弁護人の冒頭陳述

 被告人が,共犯者山田太郎と殺人未遂の共同正犯の責任を負うこと自体は争いません。
 只,被告人は,本件殺害行為に関して,決して主犯者ではありません。山田太郎こそが主犯者であり,被告人は,いわば山田に追随したに過ぎなず,山田の行動に責任を負わされる立場に過ぎないのです。この点を重要な情状事実として主張します。

 確かに,被告人は,当初,中村英俊やその婚約者久保恵子憎しの感情から,山田に殺害を依頼するような言動に出ました。そして,被告人は,最後まで,その依頼を撤回することなくきて,ついに,山田の本件犯行を招いたのですから,共同正犯の責任はやむを得ないと考えます。

 しかしながら,被告人は,始めのうちこそ,殺害を本気に考え,山田にこれを頼んだのですが,時間の経過とともに,次第に殺害の気持ちは失せてきていたのであります。かえって,依頼した後,京都まで来て,被告人にまとわりつくようになった山田との関係がうっとうしくなっていたのです。山田に対して,被告人は,強い嫌悪感を持ちこそすれ,一片の愛情も感じていませんでした。他方,被告人に未練を持っていた山田は,被告人からの依頼を契機に,被告人に再び接近し,執ようにまとわりついて,同女との関係回復を願い,その間,度々性交渉を求めてきたのであります。

 被告人は,執ように関係回復を迫ってくる山田を嫌悪しつつも,かつて,暴力団に属していて粗暴な山田に対して,京都まで出てきた今更,殺害をやめてくれとは言い出すことはできませんでした。執ように肉体交渉を求めてくる山田を拒否する手段として,「久保を殺害してくれたら」その欲求に応じ,関係を回復してもいいような言葉を出すことがありました。そうした言葉を口にした被告人は,山田が本気に久保を殺害することはないと思っていました。どうせ,実行することはできない事柄を要求し,それを条件として,山田の肉体交渉の要求を断っていたのです。被告人は,この実現不可能な条件を出し続けることで,いずれ山田は自分のことを諦めてくれると考えていたのです。被告人の殺害催促の言葉は,本音ではなく,山田の関係回復を断るための方便であったのであります。言葉を換えて言えば,山田が,執ように被告人の身体を求め,関係回復を迫り続ける行動がなければ,この殺害計画はうやむやのうちに沙汰やみになっていたでありましょう。被告人の方から,決して執ように催促に及ぶことはなかったと考えられるのであります。

 ところが,山田は,躊躇いの気持ちはあったでしょうが,被告人の「久保を殺害してくれたら」という言葉を本気で受け取り,何としても,被告人と肉体交渉を持ち,関係を回復したいとの気持ちから,ついに本件犯行に及びました。山田は,被告人のためというより,自らの欲望を実現するために本件に及んだのであります。

 本件は,確かに,当初こそ,被告人のイニシアがありました。しかし,その後の経過は,山田が,被告人に対する関係回復を一途に願い,その実現のために手段を選ばない行動に出たというのが,真相であります。

 被告人の山田に犯行を迫るかのような言動は,真意ではなく,山田の求めを断る便宜上のその場しのぎの言葉に過ぎなかったのです。現に,被告人は,山田が本当に殺害行動に出たことを意外に思い,驚いたのであります。

 弁護人は,このような経過を立証して,本件を犯行実現に向けて主導したのは山田であって,決して被告人ではなかったことを明らかにしたいと思います。