● 第1回シンポジウム (1999年 10月30日)
「裁判官は訴える」第2騨・・・司法の現状,具体的な功罪と改革案
文責・小林 克美 
 日本裁判官ネットワークは,1999年10月30日午後,大阪西区のYMCA会館において,上記のテーマで第一回目のシンポジウムを開催しました。その詳細は,近く雑誌に公表したいと考えていますが,ここではその概要を掲載します。

 当日は,当ネットのメンバー12名,サポーター2名が主宰者側として出席し,弁護士24名,学者8名,マスコミ関係者22名,司法書士4名,裁判所職員7名,その他の各種団体(裁判ウオッチングの会,当番弁護士を支援する会,裁判を考える会,日本アムネスティなど)十数名で100名近い参加があり,活気あふれたシンポジウムになりました。

 はじめに, 和歌山家庭裁判所の森野裁判官の司会で開会し,大津地方裁判所の安原裁判官が9月18日の創立総会以後の状況として,次のような報告をしました。

 創立総会以後,マスコミや大学などからたくさんの取材,講演の要請を頂きました。新聞社10社、テレビ9社、ラジオ4社、雑誌等9社、日弁連単位弁護士会5回、市民集会等9件、5大学からです。メンバーで手分けして出掛けたり,執筆したりして対応しました。ホームページには6310件のアクセスを頂きました。40代の男性から「こんなものを作って最高裁判所に睨まれないかと心配」。地方の土地家屋調査士から「国民が何に困っているのか、同じ目の高さで一緒に考え、痛みを知ることが必要です」。検察審査会に勤める事務官から「一般の人の視点は信頼できるということです。年齢、性別、職種もありとあらゆる審査員が11人集まって、真剣に論議すると、前もって資料を作り、しっかり記録を読み込んだはずの職員が見落としていたようなことまで話題に上ることがあります。発見の連続です」。本のほうも4刷目に入っりました。

 最高裁にも,今回のシンポジウムの招待状を出しましたが「裁判官の有志による催しのようですので、最高裁判所として職員を派遣することは控えさせていただきます」と丁寧な返事を頂いています。裁判所当局には,ネットワークのメンバーが市民と語り合うのを嫌う姿勢は見受けられません。予期した以上に好意的に受け止められていますが,我々の真価を問われるのはこれからです。年内に総会を開いて、メンバー、サポーターが一緒になって、これからの活動方針を検討します。



● 第1部

宮本敦裁判官の報告 (裁判官の仕事の実情ー裁判官,職員の増員論をにらんで)

 やつれていないでふっくらとしているので,矢鴨裁判官ではなくて、ネギカモ裁判官ではないかと、からかわれている宮本です。裁判官には優秀な人もいれば、並の人もいるだろうが、それぞれの人がじっくり記録を読み、じっくり準備して、その上でこの事件をどう解決するのがいいかと考え,自分なりの思いを込めて知恵を絞れば,民事の和解も,家事調停もたくさん成立して当事者に喜んで貰える。裁判官のステータスを守るために増員はできないとか,裁判官がヒマになるとよけいなことを考えるという裁判官増員に消極論があるようですが、これは余りにもレベルの低い考え方です。裁判官が単に記録読みに追われているということじゃなくて、十分に記録を読んで更にその上でじっくり腕組みをして考えられる時間がほしい。そうしないと本当にいい仕事はできないと思う。裁判官を少なくとも二倍程度には増やしてほしい。

安原浩裁判官の報告 (刑事裁判の実情と改革の方向ー陪審制も視野に入れて)

 安原裁判官自身の一週間の仕事と友人の民事裁判官の仕事の多忙さ並びに合理化体制が報告された。裁判官は毎月事件処理結果一覧表を見て一喜一憂し,検証、鑑定、証人調べといった手間がかかる手続を制限し,判決もできるだけ簡単に書くというパターン化した処理に陥り,裁判官自身の意識が固定化し、柔軟性を失い,ついには処理事件数の多さだけが喜びになってしまい,必然的に手間のかかる否認事件に対して冷たい目で見るということになってしまう。このような悪循環を解決する方策は、だれが考えても裁判官の倍増、必要な職員数、法廷等の確保が最大の緊急の解決策だ。ただ、刑事裁判官としては忙しさが解決すれば、全て解決するわけではない。刑事裁判官にとって、どうしたら誤判を防げるか、あるいは被害者、被告人、社会の納得が得られるかという、この二点は多忙とは別に考えなければいけない重大問題であり,裁判官の長期の実体験研修の実現と長期的視野で法曹一元、陪・参審に積極的に取り組む必要があると思う。


● 第2部

伊東武是裁判官の報告 (裁判官の意識構造の現状ー法曹一元論に関連して)


 キャリア裁判官に対する批判に対しては、裁判所の内部では,弁護士との比較で強い反発があり,キャリア裁判官の中でも非常に丁寧に訴訟指揮をしている人も多々ある。結局、その人柄とか人間性によって違いが出てくるとすると,例え法曹一元が実現しても、やはり事件に忙殺されて、不親切、冷たいという評価が残るだろう。現行のキャリアシステムに対する批判が傾向として出てくる構造的原因を考えなければならない。その第一は閉鎖社会に由来する「処世術としての横並び主義」,第二は実社会とのつながりが少ないために生ずる「現実認識の不足」,第三は判決起案能力と迅速事務処理能力をという一面的な「能力優先思考」,最後に「人生観としての昇進志向」だと思う。ドイツのキャリアシステムでは人事の面からの悪影響の弊害を除去し,公平を担保するたに様々な人事制度の工夫をしているが,日本ではこの面での制度的仕組みはほとんどない。司法制度改革審議会で藤田耕三委員が,我がキャリアシステムの弊害を全く否定する発言をしているが,現行制度の問題点を自己批判し、その改善の道を示さないようでは、心ある裁判官がキャリアシステムを見捨てて法曹一元支持の方向に向かうのは必然の流れかと思う。

浅見宣義前裁判官の報告 (裁判所に個性はあるかー分権的司法のススメ)

 私は平成五年,判例時報に「イメージアップ作戦」という論文を書いて,裁判所に対する固い,暗いというマイナスイメージを変えない限り,裁判所は利用し易くならないという問題提起をし,裁判所の中で改革の努力してみたが、司法行政の壁が厚く,イメージアップの研究会活動に止まった。民事訴訟の運営の改善は比較的自由にできるが,訴訟運営も,例えば裁判手続説明のビデオ一本を自作するにしても,予算面などで司法行政の厚い壁にぶつかった。司法行政は集権的で,裁判官はこれには触れずに実務一本槍でいくという職人像が日本の伝統であり、ここ三〇年ぐらいで特に浸透した考え方だと思う。この結果、社会の司法改革の動きに対する現場裁判官の関心が極めて低いことが心配だ。

 裁判所の将来を考えると、裁判所の「分権的司法」を提案したい。集権的な裁判所の司法行政権限をできるだけ現場に下ろして、その裁判所のことはその裁判所が決めるようにすることだ。法曹一元制度も分権的司法の基盤がなければ,弁護士からの任官者の持ち味を殺してしまい成功しないだろう。日本の司法行政は法体系が非常に不備で、司法行政の権限分配をまとめた法規がない。規定の空白部分は,行政公序権限説によって,一番上の最高裁にあるという解釈運用になっている。司法行政法をきちんと制定して、地元に権限を下ろし、地元で裁判所を動かせることにしなくてはいけない。このような分権的司法を考えると,司法行政を担う人をより多くする必要があり,理想としては裁判七割、司法行政三割くらいの担当が良いと思う。現場の裁判官が司法行政を担当すれば,おのずと裁判内容にまで影響すると思う。もちろん,分権的司法にも弊害があるので,私たちとしては対案を出していく必要がある。