この小説は、1968年(昭和43年)4月から9月まで毎日新聞に連載された。主人公は同時代の学生である。「裏街の小さな居酒屋の、土間に置いたテーブルを囲んで、彼等はいつものように安い酒を飲みながら、三時間以上議論した。・・四人とも法律を勉強している大学生で、理屈っぽい青年たちだった。だから彼等のはてしのない議論はほとんど抽象的で、観念的だった。社会がどうの、政治がどうの、そしてまた人生がどうの、革命がどうの・・・」当時の学生の平均的な姿でもあった。
小説は、主人公江藤賢一郎が受験する(旧)司法試験について、ほぼ同時進行的に、5月の短答式試験、7月の論文試験、そして9月の口述試験の様子を克明に描写している。筆者も、その2年前に同じ試験を受けた。「論文用紙は罫を引いた紙が八枚ずつひと綴りになっていて、その用紙の範囲内に答案をまとめなくてはならなかった。受験生はみな必死だった。六十人の青年たちが六十の机に平たくかがみこんでいる。そしてみな孤独だった。・・・すべてみな自分との闘い、自分の頭脳との闘いだった。・・・試験という人間審判の方式は、受験者をエゴイストにしてしまう。彼等は外の世界から断絶され、知人友人肉親から隔離され、しかも無言の冷たい眼で監視されながら、まるで実験動物のように頭脳の中の能力をテストされているのだ。この過酷で無残なテストを通らなければ、社会のエリートとして選び出されることはできない。」江藤は試験に合格するが、事件はその秋に起きた。
2006年(平成18年)11月4日付朝日新聞土曜版「愛の旅人/佐賀・天山」に「女子大生殺人の四〇年後」と題して、本書が取り上げられている。小説からは38年後だが、「事件」からは40年後である。1966年の暮れに、「妊娠した女子大学生が、交際相手の大学生に天山登山に誘い出され、殺される。そして・・・。」小説のどんでん返しのところはここでは書けないが、本書のモデルとなったこの事件は、事実は小説より奇なりを将に地で行っているような展開を見せる。
作者石川達三は、「人間の壁」の舞台・佐賀を1968年3月26日に訪問したとの記録が残っている。上記「愛の旅人」の記者は、石川はその折に本書「青春の蹉跌」のモデルとなった天山事件のことを知ったに違いないと言う。しかし、3月末にモデルに出会って、4月から新聞小説の連載が始められるのだろうか?本書は裁判の前で終わっているが、モデルとなった天山事件では、被告人の大学生は殺人罪で懲役8年の刑を言い渡されている。
この5月21日から実施に移された裁判員制度では、有罪・無罪の判断の他に、有罪の場合の刑も裁判員を含めた評議で決定される。本書を読んだ読者は、果たして何年の刑を相当と考えるだろうか。
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