●小説で見る裁判・事実・真実(番外)
石塚章夫  
 一ヶ月ほど前、日本裁判官ネットワークのメールで宮沢賢治と裁判についてのやりとりがあった。最近2冊ほど本も出版されたほどで、面白いテーマである。以下は、私が1995(平成7)年9月に「宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報」第11号に投稿したものである。

猫の召喚状
仕事がら興味があって、賢治と裁判という視点で作品を読んでみた。

 堀尾青史「年譜宮澤賢治伝」には、1957(昭和32)年に84歳で世を去った賢治の父政次郎は、生前長く民生委員や調停委員をつとめ、八百件もの紛争をまとめて、藍綬褒章をうけた、とある。賢治が死んだ昭和8年には、政次郎は60歳だったから、父が花巻の裁判所に出掛ける姿を賢治は見ていたはずである。私が一関の裁判所に勤務中、昔、賢治が所用で一関の裁判所に来たことがあるというまことしやかな話を耳にしたが、確かめる術もなかった。

 ともかく賢治は、裁判と無縁な環境にいたわけではなかった。

 作品の中でまず目につくのは、「雨ニモマケズ」の一節である。

 西ニケンクワヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ここでは、訴訟は喧嘩と同列に扱われ、つまらないものだとされている。しかし、この「つまらない」とはどういう意味だろうか。賢治の作品のなかには裁判を「おもしろく」扱った例があるのをみると、単に争いごと一般を「ヤメロ」と言っているのではなさそうである。
 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」では、立身して世界裁判長となったネネムが、ばけもの世界の人民が「向ふの世界」に出現する出現罪を裁く仕事をする。その起訴状は、次のようなものだった。「ウウウウエイ。35歳。アツレキ31年7月1日夜、表、アフリカ、コンゴオの林中の空地に於て故なくして、檀(ほしいまま)に出現、舞踏中の土地人を恐怖散乱せしめたる件。」この「故なくして檀に」という表現は、法律家以外はまず使用しないものである。賢治はどこからかそのような資料を入手したものと思われる。

 ネネムは名裁判で名声を博するが、はしゃぎすぎて自ら出現罪を犯してしまい、自分を裁判するはめになる。自ら裁いてきた罪を自分が犯してしまうというモチーフは、その職にある私にとって他人事と思えない。

 「どんぐりと山猫」は、裁判という仕事をとてもうまく使った作品である。「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなってゐないやうなのが、いちばんえらい」という一郎の判決がどのような意味を持つのかをめぐって、たくさんの研究論文がある。

 私が今ここで注目したいのは、一郎裁判長が裁判所に出向くまでの手続きである。はじめに「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。山ねこ拝」とのはがきが来る。裁判が終わって、次回の手続きについて次のようなやりとりがある。

 やまねこはまだなにか言ひたさうに、しばらくひげをひねって、眼をぱちぱちさせてゐましたが、たうたう決心したらしく言ひ出しました。「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでせう。」
一郎はわらって言ひました。
「さぁ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方はいゝでせう。」
そして、この作品は次のように終わっている。
 それからあと、山ねこ拝といふはがきは、もうきませんでした。やっぱり、出頭すべしと書いてもいゝと言へばよかったと、一郎はときどき思ふのです。
 裁判官に対して「用事これありに付き、明日出頭すべし」という発想には驚かされる。現在、日本の裁判所では、刑事裁判の被告人に対しては、次のような召喚状を出している。
被告人 ネン ネネム

 右の者に対する出現罪被告事件について、平成○年○月○日午前○時○分に公判を開廷しますから、当裁判所第○○号法廷に出頭してください。正式な理由がなく出頭しないときは、勾引状を発することがあります。

平成○年○月○日             
  盛岡地方裁判所 裁判官 山猫賢治


 ひところに比べると、たいへん丁寧な表現になっている。しかし、あくまで召喚するのは裁判官でありその場所は裁判所である。これを逆転してしまう発想は普通の人にはできない。裁く者が裁かれたり、裁判官に召喚状を出したりというような自在な視点で見られると、裁判もあるフィクションの上に成り立っていることが見破られてしまう。賢治が訴訟は「つまらない」と言った理由はそこにあるのではないか、と私は思う。

 ところで、鹿児島地方裁判所に、アマミノクロウサギほか3匹が、ゴルフ場建設を目的とする開発許可の取消を求めて訴訟を提起した(1995年2月23日朝日新聞)。この訴えはまもなく却下されてしまった。ウサギが訴訟を提起するという視点の転換に裁判官はついていけなかった。賢治ならこの訴訟をどう言うだろうか。

 

(平成21年2月)