この本は、2004年9月12日の朝日新聞の書評欄に取り上げられた。いわく「一気に読めて文句なしに面白い。正確な刑事手続きに沿っていて、刑事訴訟法を学ぶ学生・事件記者・裁判員制度で刑事裁判に関わる一般市民にも捜査や裁判の危うさを面白く教えてくれる」(評者佐柄木俊郎)。
誘拐殺人事件が発生し、その直後に一人の男が逮捕される。男は、被害者の死体の近くに落ちていたかばんから金を抜き取った(したがってかばんに男の指紋がついていた)が、誘拐も殺人もしていない。このことが物語の冒頭で明らかにされる。にもかかわらず、男は誘拐殺人の犯行を自白し、一審ではそのまま自白を維持して死刑、控訴審では弁護人が代って無罪を主張するが・・・。物語の全部が、その捜査と裁判の場面であるが、専門家が読んでもその筋書きは実にリアルである。特に、身に覚えのないしかも極刑に値する犯罪を、自分がやったと言ってその筋書きまで矛盾のない自白調書が出来上がる取調べ過程は、この小説の中で最も迫真性のある部分である(「迫真性」という言葉は、自白が信用できることの根拠として判例でよく使われる)。
作者は、あとがきでこう書いている。「この作品を、フィクションと呼ぶのだろうか。作者としては、ドキュメントあるいはリポートと呼びたい気持ちである。全体の筋書きは架空のものだが作品を構成する膨大な細部のほとんどは、実際にどこかに存在したものだからだ。」その膨大な細部とは、親族間の遺産争い、捜査熱心な警察官、鑑定医と検察との関係、両極端の弁護士像や検察官像、そして裁判官。つまり、この作品がサスペンスである理由は、「虚偽の事実」が「真実」となるカラクリを、「実際に存在する事実」の組合せだけで解き明かしたところにあるのである。
「朔立木」はペンネームであるが、彼(あるいは彼女?)の前作『お眠り私の魂』を読んだとき、私は、裁判官についての裏側の知識の豊富さから、作者は現職の裁判官ではないかと考えたことがあった。しかし、その本に出てくる音楽についての知識の豊富さ、人間観察の深さ、そしてなによりその筆力をみると、当てはまる裁判官は私のまわりには見当たらない。ところが先の評で佐柄木俊郎氏は、作者朔立木は高名な刑事弁護士であると書いていた。高名であれば私も知っているはずであるが、未だに特定ができない。それが私にとってのミステリーである。
(追記)
その後、ある席で佐柄木氏と会う機会があり、本名を教えてもらった。なるほど高名な刑事弁護士であった。ミステリーの謎解きは後ほど・・・ |