●小説で見る裁判・事実・真実(3)
鴻上尚史「ヘルメットをかぶった君に会いたい」 |
石塚章夫
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太平洋戦争や安保と同じように全共闘運動は、それと世代的に前後するか否かが、結構大変な問題のようだ。作者・鴻上尚史は、全共闘世代に10年遅れた。そのわずかな遅れのために手が届かなくなってしまった「何か」を、この本は探し求めている。ヘルメットをかぶった「君」を探しながら。
そのきっかけとなったのは深夜のテレビである。あるCDのコマーシャルに、全共闘運動盛んなりし頃の大隈講堂前でビラを配るヘルメット姿の若い女性・「君」の笑顔が大写しになる。昔のニュース映画を使ったらしい。そこから作者の「君」探しが始まる。作者が勤める集英社の月刊誌「すばる」に、その報告が同時進行で掲載される(この本はその連載を一冊にしたものである)。その連載中に作者は、「君」の属しているらしいセクトから脅迫を受けたり、謎の人物から諫早湾干拓水門の爆破計画を持ちかけられたりする。この間、2004年8月の諫早湾干拓工事差し止めを認める佐賀地裁の決定やこれを取り消した2005年4月の福岡高裁の決定等がリアルタイムで引用され、話の同時進行に信憑性が増してくる。そして、「君」の姿が少しずつ見えてくる。60歳近くになっているはずの「君」が、今でもそのセクトに属して活動を続けているらしいという情報にも接する。果たして作者は「君」に会えるのか・・・
ところで、作者が「君」探しの果てに探している「何か」を、筆者は「国家の手触り」ではないかと思う。全共闘世代は国家を手で触れるリアルな物として実感できた。それが今の作者にはできない。その落差が、作者をしてこの本を書かせたエネルギー源だ。「素手で触れる」象徴的事件として、成田空港管制塔侵入事件が取り上げられている。この事件は、開港を4日後に控えた1978年3月、地下排水溝を通って活動家15人が空港内に侵入し、空港外の活動家一人の無線指示に従い管制塔内の機器類を鉄パイプなどで破壊したもので、その様子は現地からテレビ報道された。当時この16名の活動家は、一部の者から、国家に素手で触れた者として英雄視された。国側はその損害賠償を求め、4384万円の支払いを命じる判決が1995年に確定した。その後、その支払いがなされないまま賠償額は利息を含めて1億300万円となり、国側は事件から27年後に、定収のある10人の給与を差し押さえる強制執行手続きをとった。これが国家に手を触れた代償である。このリアルさ!
この本の書評を朝日新聞紙上に書いた角田光代は、「読み進むうちこれがフィクションでもそうでなくてもどうでもよくなってくる」と書いているが、筆者は性分で、どこまでが真実かをどうしても知りたいと思う。この本の奥書に「これはフィクションである」と書かれてはいるが、ある部分までは事実であることは間違いないように思える。特に「君」の実在性については。
「あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ」小野茂樹 (集英社)
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