● 「新米弁護士のひとりごと」(2)
岡山弁護士会弁護士 宮本 敦
元日本裁判官ネットワークメンバー、現サポーター
 平成17年9月から、先輩弁護士の事務所を引き継ぐ形で、自分の事務所を構えることになった。その先輩は絵が好きで、事務所の壁のあちこちに素敵な絵が飾られていたが、家族の記念の品として自宅に引き取られた後の壁が寂しくなった。どうしたものかと迷っていたが、ふと思いついて、これまで私が撮影して気にいっている写真を何枚か引き伸ばし、「半切」の大きさにしたものを額に入れて掛けてみた。岡山後楽園と烏城、備中国分寺などである。いずれも郷里の写真であるが,これらの写真を5枚飾ってみた。なかなか良い。仕事に疲れた時にボンヤリと額の前に立つことがある。思っていたよりも心が安らぐ思いがする。これは案外よいアイディアである。他の候補地としては,瀬戸大橋と鷲羽山、日本のエーゲ海と言われている牛窓の海、柳が芽を吹く倉敷の美観地区、更には少し遠いが,私が恋焦がれている伯耆大山などがある。今後1年計画でこれらの四季の写真を撮影してみよう。岡山は雪が少ないから、雪の後楽園を今のところ撮影できていない。豪雪の今年も、岡山後楽園は1回ウッスラと雪化粧した程度である。れんげやコスモスの備中国分寺などもなかなか良さそうである。そしてこれらを額にしておき、時々取り替えたり、余ったものを自宅にも飾ってやろうなどと考えている。またこれらの気にいった写真から絵はがきを作成しておいて、誰かから便りをもらったときなどに、直ちにこの絵はがきで返事を出すというのはどうだろうか。楽しい計画を思いついて,心が躍っている。今年は雪の伯耆大山の撮影に出かけようなどと,計画を練っている。

2  依頼者は証拠から見るととても無理な内容の依頼をしてくることが多い。依頼者はそれなりに深い思いを抱いて依頼してくるので、その意思を尊重し、無理と思っても依頼の趣旨に沿って訴訟などをすることも必要なことがある。しかし、弁護士は,依頼されればどんな事件でも、依頼者の意思に沿う形で、事件を受けるべきなのだろうか。案外悩むことが多い。私は、到底無理な事件は、できることなら訴訟は避けて、別の解決策を模索したいし、また無理な事件を受けて、ささやかながら報酬の額を増やす道よりも、こちらの方がひとかどの見識ある弁護士の道ではないかと思える道を選びたい。ではどうすればよいのか。
  私は依頼者に、まず私を裁判官と思って説得してみなさいと言っている。私は依頼者の味方なのだから、その私を説得できないようでは、到底裁判官を説得することはできず、訴訟をしても負けるだろう。負けそうではあるが、訴訟をしてみるだけの価値がある事件も多いと思われるので、余りいちがいには言えないが、どうみても勝ち目がなく、弁護士として訴訟をする気になれないような事件の場合には、訴訟ではなく、別の解決方法を考えて、依頼者を説得すべきであろう。

3  私が事務所を引き継いだことによって関わった事件で,既に訴訟になっていた事件の中に、これは判決では到底勝てないと思われる事件がいくつかあって、現実に敗訴した。控訴しても到底無理だと思われる事件だが、依頼者が控訴したいという強い気持ちの場合には、控訴しないで済ますのはなかなか困難である。そのような場合に、控訴の理由を書く作業は案外精神的に厳しいものがある。筆が進まず、ため息ばかりが出るのである。そういう事態が重なると、そのストレスから,このような状態が繰り返されるとガンなどの病気になりそうだと実感することにもなる。
  どう見ても無理だと思われる事件については、第一審の訴え提起の前に、依頼者に対して、「この件は訴訟をしても負けると思われる。」ということを、明確に伝え、訴訟をしないように説得することが必要なのではないかと思う。無理であることを承知のうえで、あらぬ期待を抱かせるような対応をするのは、依頼者に対しても親切であるとはいえないだろう。

4  弁護士は、依頼者の味方でなければならない。しかし、依頼者のいうことを全面的に信用するわけにもいかないことも多い。私は依頼者には、弁護士には、自分に不利なことも含めて本当のことを全て言うように求めている。多くの事件には、相手の側にもある程度の言い分があることが多い。100パーセント一方が悪い場合にも、訴訟になることはあるが、訴訟以前に決着がつくことが多いであろう。
  一体自分の依頼者と相手方に対する弁護士のスタンスはどうあるべきなのだろうか。弁護士は依頼者の味方でなければならないが,同時に,弁護士には社会正義の実現を目指すべき社会的使命がある。私は裁判官であったころは、弁護士に、自分の依頼者の味方を6割、相手方の味方を4割程度にできないものか、それが、弁護士が社会的正義を実現するのに必要であると考えたこともあるが,いざ自分が弁護士になってみると、到底それは無理である。そのようなスタンスでは依頼者の信頼は得られない。せめて7対3というところでどうだろうか。

5  一般に弁護士は、案外依頼者を説得しにくいもののようである。依頼者からの信頼を損ねないためにはやむを得ないことなのであろう。ただ、弁護士が依頼者の言い分をよく聞いて、事件の全体像をできる限り把握して、この件のあるべき解決はどうなのかをよく考えて、必要に応じて依頼者を説得するという姿勢がもっと必要だという気がする。そうすれば、訴訟となっている事件のうちのかなりの部分は、訴訟にはならなかったのではないかと思う。
  これまで弁護士不足のために、法的解決ができなかった事件も多いに違いないが、何でも訴訟で解決しようというのも好ましい事とは思えない。依頼者の要望に応えることと、社会正義の実現を追求することが矛盾すると思われる場合に、どのようなスタンスを取るかは、なかなか難しい問題である。それは、自分が理想とする弁護士像にも関わることである。その点に余り厳し過ぎると依頼者が減ることにもなりかねないが,時に依頼者をさとすような、正義感に富んだ弁護士が増えるのでなければ,社会の文化的水準の向上もなかなか困難なのではないかなどと考えている。
(平成18年2月1日)