● 裁判員裁判のもたらすもの
山田眞也(サポーター,元裁判官,現弁護士,千葉県) 
 奈良地裁が小林被告に言い渡した死刑判決は、多くの国民の要望に応えたと言える。私も死刑を是認する立場から、当然、こうなると予期してきた。報道で知り得る限りでは、広島地裁で同種事件における死刑の求刑が斥けられ、無期懲役が言い渡されて双方が控訴しているペルー国籍の被告の場合と比べても、この事件はさらに悪質性が目立ち、死刑を避ける余地はなかったと言えそうだが、私は広島の事件についても死刑を選択すべきだと思っている。この死刑回避判決については、もし裁判員が量刑判断に加わっていたら、どうなっただろうかと指摘する論評があり、私もそれを先例に頼りがちな裁判官への自然な批判と感じたのだが、今日の死刑判決の報道にふれて、別の見方が浮かんできた。

 私の漠然とした感じでは、裁判員制度の導入に積極的な論者の多くは、私のような死刑是認派ではなく、むしろ重罰に消極的な人々ではないかと思えるのだが、裁判員が加わる量刑判断が、裁判官のみによる判断よりも、刑が重くなる傾向を示すだろうということは、おそらく誰もが予期しているはずだ。

 現に裁判員制度実施後における死刑求刑事件での弁護の方法が、弁護人の立場から本格的に論じられている。社会の憤激を招いている事件では、裁判員の関与が被告に不利な影響を及ぼすことは、容易に予測できる。陪審員制度の場合は、被告は有罪を争わない事件で陪審裁判を回避できるはずだが、これから実施される裁判員制度では、被告が裁判員の関与を望まない場合でも、これを拒否することが許されていない。しかし私が知る限り、弁護士の間でも、このように事実に争いがない事件についても裁判員の関与を必要とする制度に対しては、疑問とする意見が多いようだ。その第一の理由は、裁判員の負担をなるべく減らすべきだということにあり、私も同感である。

 裁判員の負担という点で、今日、新たに感じたのは、このようにあまりにも残虐な事件の審理に加わるのは、一般市民である裁判員にとって苦痛が大きすぎはしないかということである。

 生々しい現場写真などには、裁判官でも目をふさぎたくなる。

 実は、裁判員は原則として法廷で耳から得た知識だけに基づいて判断することが求められ、記録に目を通す必要はないという建前になっているらしく、私にとってそれはまた別の大きな疑問だが、仮に現場写真までは見なくてもいいとしても、詳細な調書を読み聞かされるだけでも、裁判員の心理的負担は大きいはずだ。被告が望みもしないのに、それだけの負担を一般市民に課する必要があるのか。

 陪審員制度は、実際には司法取引によって、大部分の事件が陪審抜きで処理されることを前提として、ようやく維持されているのではないか。

 文書の戸別配布が住居侵入罪などに問われる政治がらみの事件では、裁判員が審理に加わることは大いに結構だと思うが、今のところ、法定刑が低いこれらの事件は、これまでどおり裁判官だけで処理されることになっている。私はむしろ、こういう事件にこそ、裁判員がしっかり目を光らせれば、検察官も見え見えな差別起訴など、恥ずかしくてできなくなるだろうと思うのだが。

(平成18年9月26日)