● 少年非行を激減させよう! |
井垣康弘 弁護士(元神戸家裁裁判官) |
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昨年定年退官するまで、神戸家裁で非行少年の審判を6000件ほど担当した。最近、その経験を、「少年裁判官ノオト・日本評論社・1600円」にまとめた。ご一読の上ご意見をいただきたい。今日は、少年非行を激減させる一つの方法を書く。
「わが国の安全神話」が崩れつつある。少年非行も年々「凶悪化・低年齢化」し、恐ろしい世の中になりつつあるとみなが心配し始めた。
その思いが、「子どもを生み育てることが怖い」というところにまで繋がると、少子化を後押しし、徐々にわが国の活力が削がれて行く。
少年非行と言ってもいろいろだが、市民の立場で、最も腹立たしいものが、街路を通行中に無差別に襲われる「ひったくりや親父狩り」である。
小高い岡の上に立ち、ぐるりと周囲の街を見渡して見よう。われわれは、そこを市民が何の不安も無く通行していることに安らぎと喜びを感じる。そして良い社会だと安心する。
ところが、「ひったくり」などに手を染めた少年に聞くと、そこは「狩場」にしか見えず、通行人は「獲物」にしか見えないそうだ。大草原で獲物を狩る肉食動物のような心境で、「老若男女・どんな獲物を襲うのが一番得か」とか、「どういう場所でどのように襲うのが一番成功しやすいか」とかの相談事は仲間内で熱心に行う。
一時、自転車の前カゴにハンドバッグを入れ、ヨロヨロと走っている老婆が一番奪いやすく、実入りも多いと評判が高かったとのこと。ところが、ひったくられた弾みに、老婆が自転車に乗ったまま倒れ、頭を打って死んだ事件が発生した。それが、「死刑または無期懲役に処せられる強盗致死事件」として大々的に報道された。「ひったくり族」の間では、「これは割りに合わない。老婆はヤバイ。自転車に乗っている人も危ない。歩行中の若い娘にしよう」と相談がまとまったそうな。ところが、「若い女から奪った財布の中味の軽さ」には、つくづくイヤになるのだそうだ。そこで、一時、隆とした背広を着こなしている社長風のオジサンが集中的に狙われたこともある(地検の検事正や地裁の所長が襲われたのが、その時期に当てはまる)。今は、財布の中味は、開けてみないと分からないとのことだそうだ。
しかし、「ひったくり」に成功して見事に逃げ切り、財布の中に「一万円札が何十枚も見えた」ときの天にも昇る嬉しさは格別のものがあるのだそうだ。そして、彼らは、襲われた人間の「痛み」、地域の人々の「不安」、ひいては社会の安全が損なわれたことに対する国民全般の「苛立ち」には無頓着だ。
このように、われわれ普通の市民の価値観と、非行に走っている最中の少年の価値観とでは、180度違っている。もちろん、非行少年の価値観は明らかに間違っている。しかし、われわれの側で、何年も掛けて、そのような「ゆがんだ価値観」を抱くように少年たちを「じっくり」育ててきたという一面があるのだ。
「街の狩人」たちの素顔は、不登校の中学生または中退した高校生(大半がそうだという意味である)。そして学力は小学校3年生レベルで止まっている。漢字は書けず読めず、九九も全部は言えず、分数は分からない。これでは、車の免許も取れず、就職も無理だ。長い人生に対する希望も展望も持てない。振り返れば、小学校4年生ころから後、授業が分からないという屈辱感を日々溜め込み(学校でのイジメや家庭内虐待を受けていることも多い)、じわじわと「自己肯定感」を失って行く。
そして、体力が大人に近づいた中学2年生ころ、「別に学校に来なくてもよい」とのメッセージを感じ、不登校→夜昼逆転の生活になる。心配する母親に向かって発する言葉は、「ウルサイ!ババー」だけ。地域に似たような仲間がそこそこいて、競い合って束の間の「ひったくり人生」が始まるのだ。
このような少年を捕まえて、少年院で教育する。勉強は手取り足取りして教える。すると、やれば出来るのである。義務教育が目標としている基礎的な学力を身に付けさせることに成功するのである。それにより少年たちが得た感動と自信をばねに使い、被害者の痛みに思いをはせさせ、街路の安全の大切さを教える。すると、刹那的で反社会的な価値観が、「ぐんぐん転換し始め、まともな価値観の方向に向かう」のである。
このような少年たちの劇的な変化を目の当たりにするにつけ、小4から始まる「落ちこぼれ=ふるい落とし」を食い止め、義務教育を受ける権利を名実共に保障する取り組みに成功しさえすれば、少年犯罪が激減することを私は保証する。
地域に、小学生を対象とする無料の学習塾を立ち上げたい。 |
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