● 判事補桜田秀作の他職経験
サポーター 中村元弥(旭川弁護士会)
 既にオピニオン欄に浅見宣義判事が「judgeの目その3 旧裁判官,新裁判官?」と題して投稿されているが,この春からいわゆる「他職経験」制度,すなわち若い裁判官(判事補)たちが役所を離れて,弁護士としての職務を2年間経験するという制度がスタートしている。鳴り物入りで始まったものの,浅見判事が紹介したような若手裁判官の受け止め方や,あるいは逆に「いろんな事件ができる事務所に行きたかったのに,配布された判事補受入事務所リストには渉外系ばかりが目立って,行く気が失せた。」といった声を聞くと,いささか先行きを心配してしまう。

 以下に掲載するのは,この制度が定められたころに,私がある雑誌に「バーチャル他職経験」として投稿したものである。この制度の意味するところが何であるのかについて,早期に判事補から弁護士に転身した私であるが故に語れることがあるのではないかと思って執筆したものである。先日たまたま読み返す機会があり,弁護士に転身した直後に私が経験した想いが蘇り,我ながら少し胸が熱くなった。さほど人の目に触れる機会のなかった一文であるが,多くの志ある判事補諸氏及び法律事務所によって他職経験制度に命が吹き込まれることを祈りながら,「峠の落し文」には遠く及ばないまでも「麓のビラ」程度の役割は果たすのではないかと考え,あえて再掲する次第である。(平成17年3月)

 内示の席で所長代行の顔がややこわばった感じになり,他職経験の話を切り出し始めたとき,東京地裁判事補桜田秀作の頭はクラクラし始めた。「何で俺が『罰ゲーム』なんだよ。せっかく花の東京地裁初任で振り出しだったのに。やはり二回試験で高熱出したのがついて回るのか。」。罰ゲーム。転勤の内示を前に浮き足立つ同期の判事補の間で,その年から始まる他職経験制度はそう呼ばれていた。そのうえ間違って裁判所のお覚えめでたくない事務所などに入ろうものなら一生うだつが上がらないといった裏情報が飛び交ってもいた。

 桜田も,しばらくは留学の内示に有頂天な同期の友人の顔も見たくない気分だった。しかし,時間がたつと彼の中に反発心が目覚めてきた。「ようしそれなら誰もしないような他職経験をしてやろうじゃないか。観光もかねて思い切り遠くへぶっ飛んでやろう。弁護士過疎地へでも行ってバカな田舎弁護士どもを蹴散らしてやるか。」。身軽な彼の決断は早い。受け入れ事務所リストをめくる彼のアンテナをくすぐったのが,北海道の過疎地にあるにもかかわらず,ガイドラインを下回る給与条件を平気で提示した上で,一丁前に弁護士法人を名乗り,「北の大地に君の第二の青春を描いてみないか」という臭すぎるキャッチフレーズを付けた富良野岳法律事務所だった。

 こうして桜田秀作はわずか30人規模の弁護士会の会員として熱烈な歓迎を受けることになった。

 過疎地にも想像以上に多彩な事件があり,桜田も着任早々に代理人・弁護人として足繁く法廷に通うようになった。立場を変えて法廷に入ると,少し前まで自分が座っていた場所があんなに高かったのかと少しびっくりした。新鮮な刺激を受けて活性化する部分はあるが,果たしてあそこに自分は戻れるのだろうかと少し不安な,妙に疎外されたような気分もまだ吹っ切れなかった。

 小規模会の常として,新人には国選弁護が多く回ってくる。桜田も,早速気前よく引き受けて走り回り始めた。コピーした調書類を読んでから接見に出かけると,彼の予め思い描いていた被告人のイメージは大抵裏切られた。彼も最初は自分の社会経験の乏しさもあるのかとも思ったが,度重なると少し問題意識を持ち始めた。記録上から窺われる人物像とのギャップを埋めるべく念入りに被告人質問を準備して法廷に臨むのだが,質問の必然性を印象づけて流れを作る技術はまだ持ち合わせていない。おまけに被告人は法廷では緊張してうまく言葉が出てこない。裁判官が尋問と無関係に記録をめくる音が彼の耳を刺激し,心を焦らせる。自分が法壇の上で当然にしてきたことがこんなに弁護人の心を締め付けるのかと一層愕然とする。そんな事件に限って謄写料が削られていたりもした。

 しかし彼の反発心は,裁判官に耳を傾けさせる努力を尽くそうと,一層弁護技術に磨きをかける方へと向かっていった。

 弁護士過疎地でも消費者金融の窓口は多い。東京などの闇金融業者からの勧誘の手も伸びている。こうした業者と電話で交渉する回数も多くなる。隙あればこちらの言質を取ろうとするような連中の電話にほとほと神経が疲れ,終わった後に心を平静にするのに時間を要することさえある。裁判所にいるときには意識しなかったが,つくづく自分たち裁判官にとって書記官や事務官が厚い防波堤になってくれていたかを思わずにはいられなかった。

 多重債務者や消費者被害にあった人と接し始めたころは,愚かな連中だと軽蔑する心が主だった桜田だが,人の心を逆手にとったなりふり構わぬ業界の手口などを見聞するにつれ,心の振り子が修正され始めた。東京地裁時代には,たまに本人訴訟の和解などでくだくだした話を聞かされると,時間の無駄と感じ,この間に新しい法律や判例を勉強できるのにと感じたこともあった桜田だが,倒産企業経営者・交通事故の遺族・DV被害者などいろんな依頼者の話を聞き続けるうちに,聴き方や取り組み方によってそこから多くのことを学びうることを実感するようになっていった。何よりもその依頼者を守れる者は自分しかなく,自分が責任を負っているという重み,それが自分の法律家としての能力を鍛えることを身をもって感じた。自分の仕事を的確に評価してくれるのもまた依頼者だった。

 ちょっとしたミスを依頼者から非難され,桜田のプライドがいたく傷つけられることもあり,ついつまらない嘘をついてごまかそうかという誘惑に駆られることもなくはなかったが,「依頼者に嘘はつくまい」という一線でグッとこらえた。そうした経験を経るうちに,いつしか自分のプライドの質が変わっていっていることに気がついた。

 2年の時を経て,桜田は弁護士会にとってかけがいのない一人になっていた。周囲は最近の彼を「すっかり弁護士が板に付いた。」,「弁護士の方が向いているんじゃない。」と言うが,言われている桜田も悪い気はしない。今のところあと1年たてば古巣に戻るつもりだが(著者注・当時日弁連は三年の期間を主張していたため,このように記載しました。),ゼロワン地域に支店を出す構想を温めているボス弁の背中を見るたびにひょっとしてという悪戯心も動かないではない。それを封印しているのは,今の自分が裁判所に戻ることに大きな意味を感じているからだ。

 少なくとも,法廷に来る代理人の苦労とその背後にある依頼者の切実な思いを実感できたこと,そしてこの社会の中には,エリートと自他共に認めていた自分さえ想像できなかった様々な要素があり,それを自分の想像力で押し切ってしまうのは傲慢以外の何ものでもないことを知ったこと,―――こうしたことから来る自信と畏れ,それが自分をひと味違う裁判官に育てるスパイスになると感じている。

 彼は裁判所に入ったとき,こう思っていた。エリートである自分にふさわしい事件があるはずだ。高邁な法理論を展開する事件,社会的注目を集めかつ最先端の問題を扱う事件,そうした事件に対してこそ自分の能力は発揮されるべきだ。決してグダグダした人間関係の絡んだ事件や愚かな人間たちの事件のために使われるべきものじゃない。そのためにこそ自分はしかるべき処遇を受けて自分にふさわしい事件を扱う地位に就かなければならない,と。

 今は,そうは思わない。むしろ,そう思っていたことを恥じてもいる。この2年ちょっとの間に出会った人たち,彼の助力を必要としていた人たち,自分の力をそうした人たちのために使うことこそが,法律家としての自分の生き甲斐だと思い直している。