● 裁判員制度に必要な模擬評議  
  ―「京都恋敵殺人未遂事件」を傍聴して
中村英之(ファンクラブ) 
 先日全司法労働組合(裁判所の労働組合)大阪支部の団体交渉で組合側が「裁判員制度に向けて大阪地裁にも模擬法廷をつくるべきだ」と追及したら、当局側が「東京地裁にある模擬法廷は東京地裁の持ちものではなくて最高裁が東京高裁の法廷を模擬法廷に改築接収したものだ」と答えていた。模擬法廷をつくりシミュレーションをすることによって来るべき裁判員制度に備えるのはとても大事なことだ。しかし必要なのは模擬法廷だけではない、模擬評議室も必要だ。市民である裁判員と裁判官がディスカッションする練習も必要だというのが明らかになったのが、今回のJ−ネットによる模擬裁判「京都恋敵殺人未遂事件」だった。

  裁判員は傍聴に来ていた人の中から選ばれたが、そもそもJ−ネットの模擬裁判(集会)、京都以外の人間からはとても遠い立命館大学の末川記念会館陪審法廷まで出向く人たちである。そして裁判員制度に関心が高く、法律的知識もー般の市民よりあると思われる人たちの中から選ばれたのであるから、この模擬裁判がすなわち実際の裁判員裁判に生かされるかどうかはわからない。しかし、そうであっても今回の模擬裁判は将来の裁判員裁判を考えて行く上で十分参考になったと思われる。

 まず、ぼそぼそではないが明確にとまでは証言しなかった被告人。彼女の演技力はすばらしいものがあったが、そもそも多くの実際の被告人は明確な物言いはしないし、裁判官らが望むような理路整然とした仕方では話さない。「どっちなんですか?」という問いに同じ証言を繰り返すだけ。なんかすっきりとはしないものだ。それを公判には慣れていない裁判員らがどう解釈、判断するかは実際の裁判員裁判でも大きな課題となるだろう。

 次に、裁判官の主導の仕方と弁護人、検察官のあり方。アメリカの陪審のようにはならないだろうが、裁判員に対しいかに有罪.無罪の心証を形成してもらうかは弁護人、検察官の説得力、表現力もかなり関係してくるであろう。その点が今回現職裁判官らが演じた中では十分発揮されていなかった。が、時間はまだある。現実に弁護人、検察官を巻き込んでの模擬裁判はこれから可能であると思う。そして裁判官のリードの仕方と評議形態。

 裁判長が評議の際、議長を務めると裁判員がその主導性にひつばられてしまうという危惧から右陪席裁判官が譲長を務めていたが、それでも裁判員らが「どうですか?」と聞かれて答えるという評議における裁判員の客体性は解消できなかったように見える。そして時間の制約があった中での評議進行はかなり厳しいものであったが、それでも裁判員はよく議論していた。しかし、実際議論を進め出したら、そしてその議論が活発になればなるほどあのような時間でとうてい答えは見つからない、まとまらないのではないか。それがわかったことが今回の模擬評議の成果の一つであろう。

 市民は「合理的な疑いをはさむ余地も無いほど立証に成功したかどうかを議論することにそもそも債れてはいない。そして裁判官も実は裁判官同士では議論をすることはあっても、市民と議論したことなどない。どちらも同じ土俵で議論したことがないのだ。裁判員裁判では人の有罪・無罪と有罪の場合の量刑を決めるという大きな責任を負うのであるから、裁判官が主導したり、市民裁判員が不十分・いいかげんな判断をしてはならない。そのためには普段から議論の練習、経験を積んでおくことが大事だ。だから冒頭記したように模擬法廷のみならず模擬評議室も必要だと思うのだ。

 量刑相場についてJネット側から「なにも例がないと決めづらい」とあったが、裁判官主導、前例(判例)主義の克服からも議論すべきところだろう。そして最後に裁判長が控訴権の告知をしなかったことは時間がおしていた故のご愛嬌と思う。
(平成16年12月)