● ある裁判員説示案 |
サポ−ター(弁護士) 中 村 元 弥 |
|
先日,8年ぶりに法服に袖を通して人前に立ってしゃべる機会があった。模擬裁判員裁判での右陪席役である。この裁判ではなぜか右陪席が,以下のような説示を行うのであった。
(手続冒頭編)
それでは私の方から裁判員の皆様並びに,せっかくの行楽日和にもかかわらずお越しいただいたファンの皆様方に,これから始まる刑事裁判についてご説明申し上げます。まず検察官が勇ましく起訴状を読み上げますが,これは検察官の主張を書いた書面に過ぎません。言ってみればこれからここに書いてあることを証拠で証明してやるぞという宣戦布告です。映画で言えば予告編です。映画がおもしろいかどうかは本編を見ないとわからない,「金返せ」ということがあるように,手錠腰縄で出てくるから犯人と決まったわけではないのです。また,裁判の始まりや終わりに,検察官や弁護人が冒頭陳述・論告・弁論などといって演説のようなものを行いますが,これもそれぞれの主張であって証拠ではありません。両方が出した証拠から皆さんが我々と一緒に,手に手を取って,果たして被告人が検察官の主張するような行為をしたのかどうかを決める,事実認定を行うのです。
そんなこと言われたって法律のことなんか知らないしー,わかんないしーと思われるかもしれませんが,この裁判の中の事実認定という部分は,法律の知識がなくても皆さんにもできることなのです。というか,人生よほどボーっとして生きていない限りは皆さんも事実認定をしているのです。例えば広告やチラシなんかを見ながら,どうも話がうますぎる,これは悪徳商法ではないかとか,例えばあの人いつもニコニコしているけれども,チラッチラッと見受ける態度の端々から見てどうも本質的には意地悪な人なんじゃないかとか,その予想が外れたとか,当たったとか,そういうことを考えたり,話したりしているのではないですか。これも言ってみれば事実認定なのです。
これからこの法廷で証言する証人について,果たしてその証言,言っていることが信用できるのか,それとも何らかの理由で嘘をついているのか,あるいは記憶違いがあるのか,一部分は信用できるが別の部分は信用できないのではないかとかを判断していただきます。たとえば,そうですね,会場の奥様方,「あーた!!,あーた,浮気してるんじゃないの」と質問して「していません」ということばを額面通りに文字だけで受け取りますか? もっとネチネチと細かい質問をして前後が矛盾してないかとか,あるいはそのときの目の色,汗のかき具合に至るまで注意深く観察するのではないですか。そういう日常で養った力で我々を助けていただきたいのです。
ただ刑事裁判の事実認定には大事なルールがあります。被告人について有罪とするためには検察官の方が100%それを立証しないといけないのです。「疑わしきは被告人の利益に」というルールです。アリバイがどうだとかいいますが,弁護側はアリバイがあることや真犯人が誰なのかを立証しなくてもいいのです。全ての証拠を見て,証言を聞き終わったあとに,このルールに従って起訴状に書かれた事実があったと認めることができるか,有罪無罪を判断していただきます。ルールというとスポーツかゲームのようで,事件は現実に起こっているんだ,会議室で起こっているんじゃないとかいう方がいらっしゃるかもしれませんが,ルールが定められているのには訳があります。近代国家は,たとえ真犯人を処罰できないことがあったとしても,一人の無実の人間も処罰してはならないという大きな決断をしてこうしたルールを定めたのです。
次に,裁判員の皆さんは,裁判の手続が一旦終わった後に正式の話し合い,評議といいますが,それが始まるまで,誰とも意見交換しないでください。裁判員同士でもだめです。ましてや会場でせんべいやキャラメルを食べちゃだめ!!。家でテレビ見てるんじゃないんだから。それから,法廷でのやりとり以外には個人的な聞き込み調査などをしてはいけません。この事件についての新聞・テレビ・ラジオを見たり聞いたりしてはいけません。(模擬裁判だから)たぶん載っていませんけれども。この法廷に提出された証拠にだけ基づいて判断してください。メモはどうぞご自由にお取り下さい。紙はいくらでも差し上げますが無駄遣いはしないで下さい。油紙には使えません。ただ,メモをとることに集中しすぎて証人の態度などに注目することを忘れないでください。
なお,ほんまもんの裁判官はこんなおもろいことはいいませんし,インテルも入っておりませんし,トンカチトントンもやりませんのでお間違いなきように。
(最終説示編)
裁判員の皆様,長時間お疲れ様でした。人の話をずーっと聞いているのも疲れますでしょう。我々の稼業のしんどさも幾分わかっていただけたかと思いますが,もう少しだけ私の話を聞いて下さい。
冒頭にも申しましたように,刑事裁判では検察官が立証責任を負っています。刑事裁判においては,一度は被告人の弁解や弁明を信じてみるという姿勢が必要です。検察官がその弁解や弁明が事実でないという証拠を提出しない限り,被告人の弁解や弁明を信じてもいいのです。もっともあり得ないような弁明を信じる必要はないのですが。
もし皆さんが被告人の弁解が成り立つ可能性があるという合理的な疑いが一点でも残ると判断するのであれば,勇気を持って無罪と主張しなければなりません。
合理的な疑いを残さない証明とは,おそらくは有罪であろうとか,多分やったであろうという程度の証明では足りないことを意味します。他方,有罪であることが科学的に絶対間違いない程度までの証明は必要ありません。そんなことを常に求めるのはおよそ不可能だからです。では,合理的な疑いを残さない証明とは何か。それは皆さん方の常識と良心に照らして疑いが残らないという程度の立証を意味します。これが,言葉で表現はできても具体的にはなかなか難しい。例えばそうですね,被告人をあなたの知っている人に置き換えてもいいかもしれません。家族だとちょっと近すぎますが。あなたの目の前の証拠で知人を有罪にしていいのか,あなたの知人はそれで刑罰を受けても納得できるのだろうかと。
有罪・無罪について裁判官と積極的に意見交換していただくことになりますが,議論を尽くしても有罪・無罪の意見が分かれたときの評決方法についてご説明します。有罪判決をするには裁判官3人と裁判員6人をあわせた9人の中で過半数の賛成が必要であり,なおかつ賛成意見の中に一人は裁判官が入っていなければなりません。裁判員6人が全員有罪を主張しても,裁判官全員が無罪といえば無罪なのです。逆に裁判員6人が無罪を主張すれば,裁判官全員が有罪意見でも,裁判官が最低二人の裁判員を説得できない限り,有罪判決はできないのです。
そして,仮に,有罪という結論に達した場合には,量刑,懲役何年にするのか,死刑や無期懲役は考えられないのかについても判断して下さい。これも全員一致するまで議論するのが望ましいのでしょうが,当然意見は分かれます。その場合は各自の意見を重い順に並べてみて,原則として5番目(3位タイや4位タイを含みます。),すなわち真ん中にくる意見の刑で決まります。但し,例外があります。裁判官3人の意見がその5番目の意見よりも軽い刑の場合には,裁判官の中でもっとも重い意見で決まります。
それでは,裁判員の皆さん,大変なご苦労をおかけいたしますが,どうか誠実に職務を果たしていただけますようお願い申し上げます。
以 上 |
|