● 進学校の落ちこぼれ

白山次郎

 裁判官というと,子どもの頃から勉強がよく出来て,学業優秀・品行方正というイメージがあるようですが,私はまったくの劣等生でした。
 といっても,私の卒業した高校は,文武両道がモットーの伝統ある名門の進学校でした。東大や京大に進む卒業生も多く,社会の様々な分野でいわゆる「エリート」として活躍しておられます。
 そうした進学校の劣等生という立場は大変,辛いもので,実は私はその学校の卒業生であることをまったく誇りに思うことができず,公式の同窓会といった催しに出席したことはありません。おそらく,今後もないでしょう。

 もちろん,楽しい思い出もいくつかはありますが,それよりもつらい思い出の方がはるかに多いのです。

 例えば,数学の時間。
 教師は,時間の初めに前の黒板を大きく4つに,更に教室の後ろの黒板を3つに分け,それぞれのところに問題番号を書き,生徒を指名します。指名された生徒は,問題集のその問題番号の解答を書き,それを教師が添削するというわけです。予め範囲が指定されているので,しっかり予習をしてくればどうということはないのでしょうが,出来の悪い私は,たいていの問題が解けず,その時間を迎えます。10問あれば解けるのは最初の2,3問で後は皆目わかりません。指名されれば,黒板の前に行き,チョークで黒板に解答を書いて,席に戻るのですが,できなければ,黒板の前でずっと立ち続けることになります。教師は,解答された順に色のついたチョークで添削していきます。「これはなかなかエレガントな解答ですね」とか「これは力技ですな」とかコメントをしながら,どんどん講評を加えて別解などを説明していくのですが,指名されても解答できない私はずっと黒板の前でチョークを握りしめ,黒板を見つめながら立ち尽くすことになります。とにかく,なにか書かなければと思い,あれこれと図を書いてみたりするのですが,焦れば焦るほど自分が何をしようとしているのかもわからなくなってきます。授業が終わりに近づき,添削できていないのは,私の問題だけになります。教師は,ほとほと困った奴だという目で私を見て,ため息をつき,イライラしながら「チョークを無駄にして,何してるの?どうしたいの?黒板が汚れるだけでしょ!さっさと消しなさい!」と言い放ちます。私は慌てて黒板消しで自分の無残な解答(のようなもの)を消そうとするのですが,いつの間にか制服のズボンはチョークの粉だらけで,その姿をみて優秀なクラスメートたちがクスクスと笑います。そうこうするうちに終礼の鐘がなり,教師は,私を無視して,時間を惜しんで淡々と問題を解説し,答えを黒板に書きます。教室は静まり返り,ノートをとる音だけが響きます。私は,それを呆然と眺めつつ,ふと,自分だけが今日の問題の解答をまったくノートに書き写していないことに気がつくのです。

 例えば,英語の時間。
 その英語教師は,指名されて何回か解答できなかった私を二度と指名することはありませんでした。座席の前から順番にあてられて,次はいよいよ自分の番だと緊張していると,どういうわけか私の斜め前の生徒が指名され,指名の順序がずれるのです。何度かそういうことが続くと,それが何を意味しているかが次第に判ってきます。できない生徒は指名されず無視されるのです。中学では優等生だった私にとって,これはなかなか屈辱的な仕打ちでしたが,それにも次第に慣れてくると,もうどうでもいいような気持ちになっていきます。私の席の周りの人たちは私のところで指名の順序が狂うので,とても迷惑をしているようでしたが,そんなことは知ったことではありません。その後,教師がうっかり私を指名したことがあり,私はもう指名されないものと「英語」の学習自体を放棄していたので,当然,質問に答えられるはずもありません。それなら,黙っていればいいものを,私が,でたらめな発音でいい加減な回答をしたので,教師は,舌打ちをしつつ,流暢な英語で私を罵りました。数人の生徒がクスクスと笑い,また何人かは気の毒そうに私を見ます。教師はさらに私のことを英語で罵るのですが,私はその意味が解らず,呆然としていました。その姿はまさに英語教師が私を罵るのに用いたdonkey(まぬけ,のろま)という単語そのものでした。また,この英語教師のテストの採点方法は,なかなかユニークで,間違っている解答には赤でマルをつけ,正しい解答にはチェック印をつけるのです。そして,名前の横には減点する点数が書かれていて,答案用紙の最後に本来の点数が書かれていました。私は,時々,勘違いをして,マルがたくさんついていて,自分の名前の横に書かれた「73」とか「62」という数字を見て,「おぉ,意外に出来てる」と喜び(実際の点数は,27点とか38点!),ひどく落胆する級友の答案用紙の名前の横に「21」とか「30」とかいう数字が書かれてあるのをちらりと見て,慰めの言葉を口にし,後で真実を知って慌てて自分の答案用紙を机の下に押し込むようなことをしていました(まさに,donkey野郎です!)。

 これでも,中学生の頃は,学校でも上位10人の中に入る成績だったので,こうしたことは実に辛く切ない体験でした(告白すると,今でも,何年かに一度は,高校のテストやら授業の悪夢をみることがあります。)たいてい,こういう劣等生は運動が得意で,勉強での不利を補うのですが,私は,運動もダメで,部活こそラグビーといった男らしいものでしたが,その部活も青息吐息の状態で,体育の授業では,鉄棒やらマット運動で,挙句の果てにはラジオ体操で居残りを命じられていました。まさにドラえもんのいないのび太といったところです。私は,高校時代,自己肯定感というものをまったく得ることができず,一年浪人して予備校に通い,さんざん苦労してなんとか,地元の大学の法学部に滑り込んだのでした。

 最近,娘の進学先を検討していて,無意識に,偏差値の高い学校や大学進学実績の高い学校ばかりに目を奪われ,ああでもないこうでもないと思案しておりました。そんな折り,ふと,自分の高校時代はどうであったかをリアルに思い出しました。私はまさしく「進学校の劣等生」だったのです。

 娘にはこんな思いはさせたくはありません。
 愉快ならざる高校生活を送った父から君に言えることは次のとおりです。
 「充実した学校生活を送れるかどうかは,単に学校のレベル,テストの偏差値で決まるものではない。君は,きみ自身が一番楽しいと思える時間を過ごせる学校を自分の目でみて選びなさい。勝負の土俵は,他人から押し付けられるものではなく,自分で決めるものです。」


(平成24年10月)