● 団藤先生のこと |
2012年10月1日 ムサシ(サポーター) |
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1 私と妻は昭和53年4月に新任判事補として任官したが,新任判事補研鑽の一環ととして,当時最高裁判事を勤められていた団藤先生が,新任判事補70数名に講演され,裁判官の心構えなどを話されたことがあった。その正確な内容は記憶していないし,資料も残っていないが,今でも記憶に残っている部分がある。
2 当時の団藤最高裁判事は,後輩の裁判官たちに次のような話をされた。「諸君はこのたび判事補として任官したわけだが,仕事はしっかり頑張って貰いたい。諸君は民事,刑事事件などの合議体の左陪席裁判官として仕事をすることになるが,裁判長はベテランで経験も知識も豊富であり,判例などもよく知っている。事件について合議する際には,諸君が裁判長を論破するようなことは不可能に近いかも知れない。諸君は裁判長に比べて甚だ未熟である。しかし経験豊かな裁判長が持っていないものを若い諸君は持っている。諸君には若々しい感性がある。正義感と情熱もあるだろう。諸君は裁判長のいう内容に簡単に納得しないで,自分はこう思う,この最高裁判例はおかしいのではないかなどと精一杯裁判長に意見を言って貰いたい。裁判長も未熟な左陪席裁判官も対等な立場であることを認識してほしい。そうすることによって,時には裁判長が意見を変えることもあるかも知れない。第一審の判決が前進しないと,最高裁の判例もよくなって行かない。わが国の司法の将来は若い諸君の肩にかかっているんですよ。」。そんなお話であったと思う。
3 われわれ新任判事補は,その講演を聞いて感動した。そして裁判官になってよかったと皆で話しあったものである。その後団藤先生の講演のことは,同期の裁判官は皆,心の底で大切にしてきたと思っている。
4 実は団藤先生は,現在の岡山操山(そうざん)高校の前身である旧制岡山二中のご出身であり,私の高校の大先輩に当たられる。その講演をお聞きした翌年,私は初めて団藤先生に年賀状を差し上げて,私が先生の大学,高校の後輩であること,先生のご講演に深く感動したことなどを書いたのである。大学の後輩ということだけでは,甚だその数も多いが,高校の後輩の裁判官の数は甚だ少ないので,年賀状の返事を事実上強制することになるのではないかと,いささか迷ったうえでのことではあったが,先生は丁寧な返事を下さり,私たち夫婦を励まして下さった。その後30年以上も年賀状の交換が続いたのであった。そのうちにお訪ねしたいという思いもあったが,残念ながら果たせないでいた。このたび98歳という長寿を全うされ,老衰のため逝去されたという報に接して,夫婦でお訪ねして,ご講演をお聞きして感動したことや,後輩として(妻は後輩ではないが)様々な思いをお話しておけばよかったと,痛恨の思いを禁じ得ないでいる。不肖の後輩として,心からお悔やみを申し上げたい。合掌。
☆団藤先生は、今年6月に逝去された。本稿は、その際の追悼文である。
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(平成24年10月) |
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