それを見たのは,7月上旬の法廷であった。たまたま,国選弁護の法廷を終えた後,少し時間があったので,最近登録された弁護士がどのような法廷活動をされるのかという好奇心から,傍聴席に残って法廷傍聴をしてみた。そうすると,次の単独法廷事件に,法服を着た刑事部総括裁判官の後ろから,背広姿の新任判事補が法廷に入ってきて,部総括の隣に座った。
そう,知る人ぞ知る「参与判事補」である。部総括は,時々新任判事補と小声で会話しながら法廷を進めていたが,法廷にいる被告人には,隣の背広姿の男が誰であるかについて一切の説明はなかった。
お若い方はご存じないかもしれないが,この制度は最高裁の規則に基づくものではあるものの,永年封印されてきた。
それは,いわゆる「司法の危機」の時代に,本来「裁判官としての独立」が保障されるべき判事補について,これを制度的にも「半人前」として扱い,「裁判官の独立」自体を脅かす制度として,強い批判を浴びたからである。(1974年の日弁連定期総会における反対決議)
批判は外部からなされただけではなく,裁判所内部でも若手裁判官を中心に反対運動が起こった。その様子は,判例時報に掲載されている全国裁判官懇話会の報告等から,読み取ることができる(判例時報685号の16頁から19頁,同739号の22頁から27頁参照。他に「日本国憲法と裁判官」(日本評論社)に収められている山口毅彦氏の講演でも触れられている)。
近時,司法修習の期間短縮に伴ってか,新任判事補研鑽の一環として参与判事補制度活用の動きがあると話には聞いていたが,まさか実際に目にすることになるとは思わなかったので,相当の衝撃があった。
偶々,最近刊行された「植村立郎判事退官記念論文集」の第二巻には,「参与判事補制度活用のすすめ」という伊東顕判事の論文が掲載されており,最高裁は,活用のお墨付きを公的に発しているものと推察される。
危惧されるのは,この動きが,最高裁がいつでも統一司法修習がなくなっても良い態勢づくりをしているという懸念を生みかねないことである(あるいは,本当にそう思っているのかもしれないが)。
私が弁護人として立ち会った法廷に,もし参与判事補が現れたら,「裁判長,お隣の方はどなたで,どういう目的で隣に座っているのか,被告人に説明してください。」と発言しようと決めている。
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