● 気になる言葉について
平井(弁護士、サポーター)
 今回は、日頃から気になる言葉について書きたい。

1 「思いきや」という表現をマスコミで良く聞く。確かに、広辞苑は、(2)として、「そう思ったところ(実は・・・)意外にも」という語義を宛てている。分析すると、「き」は過去を、「や」は、「ところが実は」という意味になる。しかし、「や」にそのような意味を与えるのは誤用ではないか、誤用が通用力を持ってしまったのではないか、というのが私の年来の疑問である。広辞苑が用例として挙げるのは、「当選だと思いきや、次点だった」というのであり、現代語のものである。しかし、古文にそのような用例があれば広辞苑が引く筈である。
 広辞苑の示す語義のうち、(1)「思っただろうか、決して思わない」というのが正解だと確信している。文法的には、「き」は過去を、「や」は疑問を意味するから、当然そうなる。思ったことそのものが疑問の対象である。その用例も「思いきや雪踏み分けて君を見むとは」という美麗な古文である。
 かくて、私は、(2)は間違いだと信じているので決して使わない。
 では、何故私が間違いだと信じるのか、その理由を以下に述べる。
 主観の経過を時間的に並べると、(1)「思っただろうか、決して思わない」は、過去には思っていなかったが今は思っているということである。これに反して、(2)「そう思ったところ(実は・・・)意外にも」では、過去には思っていたが現在は、(現実に裏切られて)そう思っていないということである。
 図表に示せばこういうことである。

思い
過去 現在
(1) ×
(2) ×

 図で明らかとおり、「思い」は、(1)では、過去には存在しない。しかし、(2)では、過去に存在する。同じ言葉で表す内容が時間的に入れ替わっているのである!
 (1)が正しければ、(2)が誤りであることの証明である。
 問題は、何時どのような切っ掛けで入れ替わりが発生したのか、文献に基づく根拠を探ることであるが、当面、そのようなゆとりはない。

2 「シュミレーション」という言葉を使ったり、書いたりする人がいる。しかし、英語では、simulationと綴るのであるから、シミュレーションが正しい。シュミレーションなるカタカナに対応する英語は存在しない。しかし、このパソコンで「shumire」と入力すると「しゅみれ」と平仮名に変換され、「シュミレーション」という文字が候補として出てくる。アプリケーション製作に携わった人々も同じ間違いを犯していることが推測される。

3 「裏腹」ということばを「表裏」と同じ語義で使う人がいる。しかし、「表裏」であれば、一体であり、正の相互関係である。しかし、「裏腹」であれば、相反であり、正負の対立関係である。というのが私の理解であるから、混同を避ける必要があると常に思っている。しかるに、二つの物が一体であることを表現するに当たって、「これら二つは『裏腹』の関係にある」などと表現されると私の頭は混乱するのである。

4 「すべからく」の誤用に時々出くわす。広辞苑によれば、「すべからく」の意味は、「なすべきこととして」、「当然」ということである。多くの場合、下の「べし」と呼応するとされる。徒然草の用例として、「すべからく其の心づかいを修行すべし」を挙げ、現代語の用例では、「学生はすべからく勉強すべきだ」を示す。
 誤用例は、「現代人は、すべからくうつ(躁?)の傾向がある」というようなものである。誤用者は、「すべからく」の語義として、「すべて」や「ことごとく」を念頭に置いている。おそらく、こういう関係式が頭の中にあるのだろう。

    すべからく≒(すべて+ことごとく)÷2

 しかし、この関係式は、成り立たないのである。
(2010・6・18)