● 樋口和博さんを偲ぶ会に出席して。
        弁護士  石川元也
 随筆集「峠の落し文」をこのネットワークに掲載して頂いた、元裁判官・弁護士の樋口和博さんは、本年2月7日未明、ご自宅でなくなられた。前夜も、ご家族と談笑しておられたというのに、深夜の心不全によるということである。99歳の大往生であった。5月の日弁連定期総会では、満百歳の表彰も予定され、楽しみにされておられたのに残念なことであった。昨年末、お会いしたときも、樋口さんは、裁判員裁判がどのように展開していくか、高い関心を示されていた。これからも、いろいろご意見も聴きただしたりしたいものと思っていたがかなわなくなった。
 5月26日、神田一橋の学士会館で、ゆかりの人々によって、「樋口和博さんを偲ぶ会」が開かれた。この5月26日は、樋口さんが、京大在学中の昭和8年、ときの文部大臣により、滝川孝辰教授が一方的に休職処分にされた、いわゆる「滝川事件」が起こった日で、その50周年の行事以来、毎年、樋口さんらを世話人として、「東京滝川事件記念会」が開かれてきたという記念の日である。樋口さんは、教授等が全員抗議の辞職をされた大学では、学ぶにあたいしないとして退学届けを出して、田舎に帰ったのである。翌年、呼び戻されて、司法試験に合格、裁判官の道に入った樋口さんには、そのときの思いがつながっていたのであるまいか。
 今回の「偲ぶ会」は、この滝川事件記念会と、樋口さんを会長とする旧制松本高校剣友会、松本県が丘高校東京同窓会の有志が一緒に開いたのである。(私は、松高、県が丘の後輩にあたる)
 席上、記念講演ということで、滝川事件記念会世話人の園部逸夫元最高裁判事(四高、京大)は、「峠の落し文」を手にしながら、次のように語られた。
 この「ハンチング」に書かれているように、樋口さんは、戦後の混乱期、ハンチングを愛用していて、裁判官にふさわしくないと注意されたが、やめず、ときには闇屋の大将と間違えられたという庶民的な人であるが、退官後、弁護士会のアメリカ司法制度視察団に加わり、その見聞の後、「選挙制度がいいのか、キャリアシステムがいいのか、それぞれに長所短所はあろうけれども、庶民の心を忘れて、尊大と威厳を押しつけるというような独善的な司法制度の在り方だけはご免蒙りたい」と書かれている、いま、裁判員裁判の実施を目前にして、この樋口さんのお気持ちをかみしめていきたい、と結ばれ、参会者に深い感銘をあたえた。
 滝川事件関係者にせよ、旧制高校同窓会関係者にせよ、それぞれ高齢に達し、樋口さんの死去は、一つの時代の終わりを告げるかのような思いを残した一面もあるが、私たちとしては、やはり、樋口さんの志してきた道を受け継いでいかなければならないと思うのである。