● 裁判員制度の参加のお勧め 
                  ファンクラブ 高橋弘子
 何時の時代においても、正しい判断が出来るということは、とても大切なことであると思います。しかしその判断が正しかったかどうかについては、後から不都合な事情が招来されてきて、思い知らされることとなり、あの当時の判断は間違っていたとわかる時もきます。しかし、真実は判断が間違っていたとしても、ずっと死ぬまでわからないこともたくさんあると思います。現代社会に生きている人々はいつも決断を迫られています。しかし、何気なく重要な決断を行い、あとから手ひどいしっぺ返しを受けることもよくあることです。
 裁判所の判断も本当に正しかったかどうかということは、過去にさかのぼって検証していく必要があるのではないかと思います。間違ったでは済まされぬほど社会に大きな悪影響を及ぼしてしまったことについて、未来にそういうことが起きないように、防衛策を講じなければ、また同じ間違いが起きる可能性が十分あるといえます。
 裁判員制度について考えてみますと、富山県でおきた冤罪の背景について、市民がそれらをチェックし、なぜこういうことになったのかを考えながら、身近なこととして、自覚していく必要があります。未来にそれが再び起きないように、裁判に関心を持たなければ、自らも冤罪に巻き込まれることもあり得るということだと思います。国民は面倒がらずに、参加していくということが、少しでも明るい社会の到来に協力できたと、子孫に言い伝えられるのではないでしょうか。
 昔は政治の参政権を得ることをめぐって、原敬第19代内閣総理大臣が1921年に暗殺されましたが、同首相は1919年に衆議院議員選挙法を改正し、小選挙区制を導入すると同時に、それまで直接国税10円以上が選挙人の資格要件だったのを3円以上に引き下げた人物です。人々はいつもないものねだりで、選挙権を手中にすると関心がなくなってくる傾向があり、選挙があっても投票率が50〜60%台で推移しているのが現代社会の日本の現状となっています。裁判員制度についても、裁判がいかに社会に大きな影響を与えているのかという重大な問題であることに認識をもって、この時代に生きている私たちは、後に残していく子孫のためにも、良き社会をつくりあげなければいけないのではないかと思います。
 最近の裁判所では、破産事件が多いようですが、相続などについて、よく知らないと債務を抱えてしまうことがあると思います。被相続人の財産がマイナス財産の方が多かった場合は、放棄しなければ白らが負債を負うことになります。3ケ月以内に判断が迫られています。自分には裁判所は関係ないと面倒くさがっていると、裁判所からお呼び出しという事態にも出くわすということになります。
 知恵を働かせることがなければ、知はすたれるばかりということわざがあります。本当は間違った判断(判決)だったのに、それを放置しておくと、おかしな社会が出来てくるのではないかと思います。裁判官ネットの裁判官の方々は、一般国民に誰でも参加できる会合などを呼びかけておられます。国民と裁判所との間のコミュニケイションが大切であると認識されたからだと思います。
 一般国民の方々もこういう会合にどんどん参加されて、知を働かせるということの面白さを味わうことも、よろしいのではないかと存じます。それと同じく、裁判員制度にも積極的に参加しようではありませんか。
 私は今から6年前になりますが、平成14年3月24日に裁判官ネットが立命館大学構内で主催した裁判劇に裁判員役として参加しました。裁判官が犯人役になったりされましたが、演技がうま過ぎて、おなかを抱えて笑ってしまうほど、とても面白くて、時間が経つのも忘れてしまったことを思い出しております。
(本稿は,日本裁判官ネットワーク通信NO1「ちょっといい話」から転載しました。)