年末年始版を書いて調子に乗り,続編を書き継ぐことにした。
「悼む人」(天童荒太)/「カラスの親指」(道尾秀介)
直木賞受賞作品と落選した候補作品である。
実は直木賞決定日までに,時代物以外の候補作である上記2作を読み,賞の行方を占おうと試み,両作を7割程度読み終えたところで当日を迎えた。この日は2回前の受賞作「私の男」の舞台である紋別への日帰り出張。運転を家族に任せて優雅に車内読書で読了するつもりだったのだが,吹雪で高速道が封鎖される中でのドライブとなり,帰りの夜道では吹雪に巻かれて道を見失いかけながら,道路脇の矢印マークを頼りに口ナビをするような状況で,とても読書どころではない。ようやく帰り着いてニュースで結果を知ってから読了した。
「悼む人」のテーマには,弁護士としても共感する部分はあるのだが,小説としては「カラス」に軍配を上げたい。「悼む人」の,人間の死に差異はあるのかという問いかけには共感し得ても,母親よりも「旅」を優先させるほど徹底しながら,一方で犯罪被害者と死刑囚に差をつけるかで逡巡し中途半端なルール化で解決しようとするなど,どうにも主人公の行動自体には共感できず,「永遠の仔」のようにはのめり込めない。一方,「カラス」も雰囲気は大好きな作品なのだが,エンディングが余りに技巧的過ぎる気がして,そこで点を損したかな。娘の名前を決めた理由(417頁)にはホロリと来るが。
知る人ぞ知る大森望・豊崎由美氏の「文学賞メッタ斬り」コンビには,腰の抜ける選考結果だったようだが,上記のとおり一面で共感する。
「隠蔽捜査2 果断」(今野敏)
こちらは山本周五郎賞受賞作。平成の初めころは,私はこの賞とは波長が合い,受賞作を信用銘柄としていたが,最近は是々非々。これは比較的是の方。
弁護士って,警察組織に案外疎かったりして,「踊る大捜査線」や「相棒」ウオッチャーの素人の方が詳しかったりして。SATとSITについて勉強になりました(ここを読んで脇に汗をかいた弁護士は読むように)。
「死刑基準」(加茂隆康)
弁護士がミステリーを書くのがはやりのようで,中には既に石塚元判事がこのHPで書評を書かれている「死亡推定時刻」(朔立木)のような傑作もあるが,この本については,少なくとも「死刑基準」というタイトルに惹かれて手に取る人には余りお勧めはしない。
日本の弁護士が尋問に関する刑事訴訟規則,特に書面や物を示す尋問に関する規則199条の10ないし12に通じていないのは御指摘のとおりなのだが,だからといって規則199条の11と12で証人の過去の発言の録音テープ(証拠調べ未了。しかも証人に無断での録音)の再生が当然許されるかのように書くのもどうかな(329頁)。ところがこの小説では,検察官はある理由があって,規則で要求できる内容の事前開示を求めないばかりか,「しかるべく」と容認してしまう(こんなフェアな検察官ばかりだと,弁護人は随分救われるのだが。)。この点を日弁連の裁判員制度関係のメーリングリストに投稿したら,「証拠調べ未了であれば,証人にだけヘッドホンで聴かせる形になるのでは」などと,結構議論が盛り上がってしまった。裁判員制度を控え,教科書に書かれていない応用問題はまだまだ多いと感じさせられた。
「漫画映画の志」(高畑勲)
1月12日にブログで書いたとおり,スタジオジブリが出している「王と鳥」というDVDを見て大いに感銘を受けたのだが,その制作経過,特に先行して制作された「やぶにらみの暴君」との関係について興味を持ち,この本を手に取った。一つのアニメ映画を自分の納得のいく形に仕上げるまでに35年もの時間を費やした男ポール・グリモーの執念に打たれる。
私が「王と鳥」を見て何を感じたかは,ブログをご覧いただきたい。「やぶにらみの暴君」との最大の違いはエンディングで,それこそ「王と鳥」の「キモ」なのだと思う。グリモーは「理想主義的・楽観的な善意の願望を作品の中で満たしてやって観客を感動させるような,甘やかな作品を作ることは一度もありませんでした」(244頁)。
「仕事道楽」(鈴木敏夫)
これも「王と鳥」つながりで,スタジオジブリのプロデューサー鈴木氏の本。何となく「提灯本」的な先入観で読み始めたのだが,宮崎・高畑両雄の素顔が意外に直裁に語られていて面白い。
NHKテレビ「ようこそ先輩」に出演した際に,映画「魔女の宅急便」の世界の地図を生き生きと書ける子供たちが,「自分の好きな場所を描いてみて」と言われて,「好きな場所なんてない」などと答え,実在の世界の地図を殆ど書けないという話にはドキリとさせられる(166頁)。巻末の「出世」を報告したときの著者の母親の言葉も好き(197頁)。
「ゴールデンスランバー」(伊坂幸太郎)
こちらは書店員さんの選ぶ本屋大賞受賞作。この人の小説を読むのは初めて。出だしで刑事事件について「最高裁長官を委員長とする調査報告書」なんて書かれると,「おいおい」と思ってしまうのだが,それも結果的には架空の「日本」,「仙台」を舞台にするための,確信犯的な「JFK」化なのだと了解できてしまう。その一方で,無差別殺人を契機として街角に無造作に設置される「セキュリティポッド」の恐ろしさにはリアリティがある。監視社会化を乗り越える人間の絆の力を信じてみたい,と実感させるよく練られたストーリー。この間読んだミステリーの中では文句なく面白い。
「塩狩峠」(三浦綾子)
実は今年の2月28日は,モデルとなった事故が起こって100周年なのである。ということを旭川市民である私は,同期の落合洋司弁護士のブログを読んで初めて知った次第で,まことにお恥ずかしい。
ふじ子と主人公の恋は,余りに美しすぎて,むしろ著者の自伝である「道ありき」,「この土の器をも」などをお勧めしたくなるのだが,やはり,あの場面では落涙する。私には同僚三堀との関係がもっともグッと来た。弁護士会という集団の中でいつの間にか「中堅以上」に押し出されている自分は,若い人たちからどういう目で見られているのだろうと最近特に気になってしまうのだが,そうした気持ちが反映したのかも知れない。
「元職員」(吉田修一)
吉田修一の「悪人」は,裁判員に選ばれた方に是非読んでいただきたいと思っている名著である。刑事事件における「事実」というものの難しさを,実にリアルに描き出している。そんな彼の新作を,クライムノベルということもあって大いに期待を持って読んだが,期待が大きすぎたのか,しっくり来ないまま終わってしまった。私が物語の舞台であるバンコクに行ったことがないせいなのか。しかし,タイに暮らす日本人の「本当の自分を偽った」生活の描写は,主人公の日本での生活とシンクロする。自宅の押入にある物をため込むという主人公の一見理解不能な行動(106頁)も,刑事弁護人としてはリアリティを感じてしまう。
「精神科医は腹の底で何を考えているか」(春日武彦)
心神喪失者等医療観察法に基づく医療のすばらしさを蕩々と論じられる精神科医のお話をうかがいながら読むには最高の本である。
巻末に100人の精神科医のタイプが1,2行でまとめられているのだが,これが秀逸で,思わず弁護士や裁判官に置き換えたくなる。「赤ひげ先生の単純明快さに憧れ,しかしそれが自分の心の脆さの裏返しであることを自覚しない医師」,「頼もしさや親しみやすさを醸し出そうとして,しかし結果的には宝塚の男役の出来損ないみたいな口調で喋っているだけの変な医師」といったあたりドキリとさせられる。「医師と患者との出会いで大切なことの一つは,医師がどのような立場での一貫性を保っているか,それを患者側が理解し納得出来るかということであろう」(85頁)という点は,依頼者と弁護士にも当てはまる。
刑事事件の調書に「趣味は読書」などと書いてあると,ついつい「どんな本を読んでいるの」と聞いてしまいがちだが(もちろん情状弁護の手がかりにならないかというスケベ心もあってのことだが),精神科ではこうした質問がタブーではないかと感じるようになった(59頁)というあたり,興味深い。
「市場検察」(村山治)
本書を手にとって目次を読むとつい買って読まずにはいられなくなってしまう。特に第13章「政界捜査は司法制度改革と取引されたか」というタイトルには飛びついてしまう。残念ながら期待したような方向での情報は与えられず,「司法制度改革」もグローバリゼーションの文脈でしか捕らえられていない点に不満はあるのだが,日歯連事件の捜査と第159回国会における裁判員法等の審議がほぼ重なっていた経過などを指摘されるとドキリとさせられる。平成の特捜検察事件簿の総ざらい的な書物として,内輪話も含めて興味深いので,中堅若手を問わず「歴史」を読み返す材料に好適と考える。「公益」が変われば「正義」が変わるのはある意味仕方ないとしても,問題はその「公益」を誰が判断し,具体的事件にどうあてはめるのかである。この文章を書いている平成21年3月20日過ぎというタイミングで,一層そう思わずにいられない。裁判員制度が,こうした問題を広く国民に問う良き端緒になれば嬉しいのであるが。
なお,法律以外の本ばかり読んでいると思われるのもシャクなので,判例タイムズ3月1日号の「新民事訴訟法の10年」座談会,特に井垣元判事,西口判事の発言が素晴らしかったこと,3月15日号の「模擬裁判の成果と課題」は色々な意味で裁判員裁判に携わる者の必読文献であることに触れて筆を置く。 |