● 美瑛で百姓になる |
サポーター(弁護士・元裁判官〉 中 村 元 弥
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私が,初めて北海道美瑛町を訪れたのは,旭川地裁に転勤して間もない平成3年5月のことであった。今でこそ富良野と並び称される美瑛であるが,当時は知る人ぞ知る穴場スポットで,先輩裁判官に案内されるまでこの地の存在さえ知らなかった。丘陵地形に広がる田園風景にすっかり魅了され,「日本にこんなところがあったのか」と感動したことを昨日のように覚えている。
その後,美瑛もすっかり観光化され,その魅力にとりつかれて本州(北海道では「内地」という。)から移住し,ペンション経営などに乗り出す者がひきも切らない状況である(かくいう私も北海道への愛着捨てがたく,平成9年に8年間の宮仕えを辞めて弱小弁護士会に「定住」することになったのだから,人のことは言えないが。)。
こうした人たちが建てる建物には共通の特徴がある。概して,見晴らしの良い丘の上に建てられている。しかし,元々の美瑛町民はそのようなところに家は建てない。丘の上は吹きっさらしで(「吹きだまり」という言葉を実感させられる冬を想像されたい。),傷ついた落葉松の脂が建物にこびりつくことを知っているからである。かくして,谷地に住む地元民と対照的に,丘の上に「来ちゃった族」と自嘲する人たちの「終の棲家」が林立しつつある。
そうした中,最近の観光拠点である北西の丘展望公園にほど近い場所に,「ファーム雨読舎」という看板が掲げられた。関西の某地方新聞の記者であった方が一念発起し,農業研修を受けた上で,約5ヘクタールの農場(甲子園球場一個半の面積だが,北海道では小規模農家である。)を取得され,自宅と宿泊・農業体験用バンガローを建てられたのである。彼の悪戦苦闘ぶりは「美瑛で百姓になる」というプログでリアルタイムに読むことができ(このタイトルで検索すれば容易にヒットする。),その一部は「美瑛の丘で百姓修行」のタイトルで自費出版もされている。農業というものが如何に大変か,仮に裁判員を務めるにしても並々ならぬ苦労があることを実感できる。先日,北海道の5月初旬としては記録的な暑さが続いた後に急に氷点下近い気温になったときには,ビニールハウスや苗床の回りに慌てて買い込んだ中古ストーブを並べて,霜害を防いだそうである。ドラマ「北の国から」そのままの世界である。
と,ここまでならよくある(かどうかは知らないが,少なくともありそうな)話であるが,問題はこの人の配偶者である。何と「奥様は弁護士」だったのである。関西の弁護士会に登録していた彼女は,何と日本有数の高額会費を誇る旭川弁護士会に登録変えされ,御自宅に「きたあかり法律事務所」という看板を掲げられた。本州の人は「北の大地に法の灯りをともす」という崇高な名前だと感銘するであろうが,北海道人は思う。「何だ,芋の名前か。」。そう,「きたあかり」はジャガイモの品種名である(男爵いもの改良品種で、でんぷん質は男爵より多く、甘味がある。)いずれにせよ,簡易裁判所所在地の富良野市にもない弁護士事務所が,突如美瑛町に誕生したのである。
当面,農場が軌道に乗るまでは農作業の分担が忙しいので,弁護士活動は会費をまかなう程度にとどめるとのことだが,究極の「半農半弁」弁護士の誕生である。農閑期に受任した事件が農繁期前に終わるという保障はないので,そのあたりのさじ加減が難しいであろうとは想像するが,既に「旭川C型肝炎弁護団」の一員にも加わっていただいている。
先日からは,自宅の一角で土日限定のランチ営業を開始された。「晴れの膳」「雨の膳」の2種類のメニュー(内容は日替わり。もちろん,「雨読舎」に引っかけている。)。だが,自家産・美瑛産の新鮮な野菜を中心にした「正しいお食事」がいただける。シェフは何と弁護士ご自身である。食後のコーヒーはイノダコーヒーである。食事のついでに野菜の苗を買うこともできる。開店日5月3日とされるところも,弁護士らしいチョイスである。
読者の方が美瑛町を訪ねる機会があれば,北西の丘の近く,「ファーム雨読舎」をのぞいてみられてはいかがであろうか。もちろん,「晴耕雨読」にはほど遠いご苦労の多い毎日であることだけは,付言しておく。
旭川弁護士会,現在総員43名(平成20年8月現在)。被疑者国選本格化・裁判員制度実施に向けていよいよ臨戦態勢である。過疎地における弁護士活動の困難さに直面しつつあり,とても長閑な「田舎弁護士」稼業とはいかないが,せめて心のどこかでは「晴耕雨読」でマイペースを貫く余裕と頑固さを持ちたいものである。
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(本稿は,日本裁判官ネットワーク通信NO1「ちょっといい話」から転載しました。) |
(初出・「法曹」平成20年8月号) |
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