● 情報公開本人訴訟始末記 
馬場健一 (神戸大学法学研究科教授)

 ひょんなことから自分で裁判を手掛けることになってもうずいぶんになる。きっかけは一〇年前、兵庫県の情報公開条例を使って、関心のあった公立学校での体罰事件の事故報告書の開示請求を県の教育委員会に行ったことに遡る。
 開示された県下の公立学校の事故報告書(年間数十件にのぼる)を見ると、教員の氏名、所属学校名、校長名がすべて非公開、加えて場合によっては教育委員会名や怪我の程度、事件に至った事情やその後の経緯、当事者の発言その他までもが黒塗りにされていた。プライバシー保護などが理由とされたが、個人の特定には至りそうもない部分まで広く非公開とされていると感じ、とりあえず手続も簡単で費用もかからない行政不服審査を申し立てみたたが、受け入れられなかった。さてどうしたものか・・・・

 自分の専門は「法社会学」といって、法と社会の関係を論じる社会科学である。講義では常日頃、「法治国の市民は必要なときには裁判利用をためらうべきではない。」「『法の支配』が日本社会に浸透するためにも、司法や法律家がもっと活用されねばならない。」などと自分の考えも述べてきた。こんな偉そうなことを学生には言いながら、いざ自分が法律問題に直面したら尻込みするのではしめしがつかない。裁判当事者になってみるのも良い勉強だろうとも考え、弁護士抜きの本人訴訟を提起することにした。

 ところで法学系の大学教員なら誰でも裁判くらい簡単にやれるのだろう、と思うのは大間違いである。自分も実務的なノウハウについては素人同然で、準備のためにまず読んだのが『はじめての本人訴訟』だの『お役所の正し方』だのといった一般向け書籍だったという始末であった。そういうわけで手探りで書面を作り、法廷にも毎回一人で出かけたのだが、対する被告側は弁護士が二人もつき、県の職員の方が何人も傍聴している。また裁判官も第一審から三人が関与する合議法廷で、どうも予想以上に大仰で面食らった。また原告席に座ってみると、裁判官の一言一言が強く重く響くことにも驚いた。圧倒的な存在感なのである。

 さて肝心の判決だが、最初の開示請求から五年後、提訴から三年後の二〇〇三年の第一審(神戸地裁)判決も、その翌年の控訴審(大阪高裁)判決も、残念ながらほぼ完全敗訴を喫した。最大の敗因は、こちらに極めて不利な、とある最高裁判例が壁となったことであった。その内容はごく簡単にいって、「プライバシー情報が載っている文書をどの範囲まで公開するかは行政がかなり自由に決めてよい。その場合、黒塗り部分の中に個人を特定できない部分があってもかまわない。」というものである。どういう理屈でこうした結論が出てくるのかはここでは書ききれないが、こういう判例を適用されたのでは勝ち目はない。そもそもこれでは情報公開制度の意義がほとんどなくなってしまうではないかと納得がいかず、最高裁自身どう考えるか知りたいとも思い上告した。

 最高裁の判決は何年も先になることも予想され、また仮にそこでも敗訴すればそれで終わりである。他方最高裁が判決を出す前に、もう一度同種の裁判を起こして判決を得ておけば、下級審レベルでは別の判断が出る可能性も残る。そこで次に上告後すぐ、あらためて開示請求した年度の新しい別の体罰事故報告書を対象に、第二次訴訟を神戸地裁に提起した。今回は前回の反省も踏まえ、特に非公開範囲の広い数件の文書を選び出し、「先の判決の論理だと、こんなに黒塗り部分が多いものもそのまま甘受しなければならないことになるが、裁判所はそれでよいと考えるのか?」などと問題提起した。

 結論的にいうとこの戦略が奏してというべきか、第二次訴訟の神戸地裁判決(二〇〇五年)は、学校名どころか、教員名まで公開せよという、こちらの主張を大きく認めたほぼ完全勝訴の逆転判決となった。ちなみに担当裁判官は先の第一審判決と共通(途中で一部交代)であり、裁判官が直近に出した自分の判決を間違いと認め改める、という異例の判決であった。判決文に目を通してみて、予想以上の内容に驚き、にわかには信じられなかったことを覚えている。この判決は新聞各紙でも報道された。

 当然今度は被告の側が控訴したが、翌年に出た大阪高裁の控訴審判決もこの地裁判決の結論を大筋で支持し、さらに地裁判決がなお従っていた上記最高裁判例の本件への適用を、巧みな論法で回避までしたものであった。この控訴審を担当した裁判官は、第一次訴訟の高裁判決の裁判官とは別の方であったが、その判決内容のみならず訴訟運営なども素晴らしく感銘を受けた。なおこの高裁判決は、結論が地裁判決と同様だったため新聞記事にこそならなかったが、法律的に重要な論点を含むものとして、詳細な解説付きで専門の判例雑誌に掲載された。

 本件については被告の側がさらに上告。この時点ではなお第一次訴訟の上告審判決も出ておらず、最高裁には同一当事者の同種事件で結論が全く逆の二つの事案が同時に係属することとなった。当然どちらか一方の結論を支持し他方を誤りと判断するとばかり思っていたところ、二〇〇七年一一月二二日、最高裁第一小法廷は、第一次訴訟の上告も第二次訴訟の上告もどちらも理由がないとして、あろうことか同時に棄却してしまった。つまり当方が負けた判決と勝った判決の両方が同時に確定し、同種文書で非公開を大きく認めることも、それを大きく取り消すことも両方とも「あり」だと最高裁は判断したのである。(実際当方勝訴の第二次訴訟の対象文書だけ、その後学校名も教員名も開示された。)このこと自体珍事としてこれも新聞記事になった。神戸新聞など夕刊一面トップだったため、同僚の一人はそれを見て「ついに馬場が何か大きな不祥事を起こした!」と誤解し一瞬青ざめたそうである。

 法学入門の講義では三審制の機能のひとつに、「上級審が法的争点に決着をつけ判例を統一すること」があると教えるのだが、あえてそうしないこともあることを身をもって知った。良心的に解釈すれば、最高裁が高みから一方的に結論を出すことをせず、「下級審がもう少し自ら考えてみよ」とメッセージを発しているとも取れるが、これでは当事者の紛争は解決しない。新聞記事によると被告の県教委も「どうしろというのか!?」と困っているとのことであったが同感である。

 そういうわけで、現在当方は自分に有利な判決を武器に、県教委は自分が勝った判決を盾に、一〇年越しのしきり直しの第三ラウンドの行政不服審査が進行中である。

 蛇足ながら、こうした活動はいまのところ研究業績としてはもちろんのこと、「研究者の社会貢献」にさえならないようだが、なに、面白いからちっともかまわない。                          

追記
 上記「第三ラウンドの行政不服審査」に対して、兵庫県公文書公開審査会は2008年10月末、体罰を行った教員名は非公開でよいが、事件のあった学校名と校長名は公開せよとの答申を出した。いわば当方勝訴の判決と敗訴の判決とのあいだを取ったような判断であったが、このような公開が実現すればなお一歩前進である。

 2009年1月半ばの時点で、この答申に沿った公開範囲の拡大に県教委が踏み切るかどうかは、態度が明らかにされていないので不明である。

追記その2
 本日(2009年1月23日)県教委の決定が届き、公開範囲を広げよとのこの情報公開審査会の答申にもかかわらず、非公開を完全維持だそうです。
 学校名・校長名くらい出してもよさそうなものなのに.....
 みたび裁判所の判断をあおがねばならないことになりそうです。いやはや.....

(2009年1月)