● 「年末年始読書ノート」 
中村元弥(弁護士・元判事補・サポーター)

 今年は落ち着いた年末年始を過ごせたので,来るべき裁判員制度に備え,量刑や刑事政策に関する本を,腰を落ち着けてじっくり読もうと意気込んでいた。しかし,こういうときに限って理論的でない本を読みたくなるのが人情である。実際に「ジュリスト」や「法律時報」の新年号はある程度目を通したが,年末に机上に揃えた原田國男判事著「量刑判断の実際」(現代法律出版)や城下裕二教授著「量刑理論の現代的課題」(成文堂)には,埃が溜まっただけだった。そうは言っても結果的に読んだ本を並べると,仕事がらみの本が多くなるのが悲しいところ。ただ読み捨てても空しいので,書評とまではいかない読書ノートのようなものを掲載することにした。

「刑務所通いはやめられねえ」(桂才賀)
 元笑点レギュラーで,刑務所・少年院慰問を積極的に行って篤志面接委員の肩書きも持つ落語家の本。一座を「統幕芸激隊」と名付けたり,自衛隊慰問と抱き合わせで交通費を浮かせるのは,元自衛官の著者ならではのセンス。筆者にとって最も嬉しい感想文が届いたのは,我がお膝元の旭川刑務所から。約三分の一が無期刑受刑者という長期刑収容施設だからこそ,慰問慣れした「お客」の目も肥えている。施設や収容者の状況にあわせたネタ選びの工夫など,勉強になる。なお,雑誌「季刊刑事弁護」の2009年春号冒頭に,著者のインタビューが掲載されている。

「誘拐捜査」(中郡英男)
 本田靖春の「誘拐」(ちくま文庫),「我,拗ね者として生涯を閉ず」(この本は,「売血」といった言葉を知らない若い方に是非読んでもらいたい名著であるので,講談社文庫版が品切にならないうちに入手しておかれたい。),あるいは平塚八兵衛元刑事自身による「刑事一代」(新潮文庫)でもおなじみの,吉展ちゃん事件自白獲得経緯のドキュメンタリーであるが,本書がひと味違うのは,平塚氏の自白獲得を組織捜査の中で客観的に位置づけていることである。筆者は,私が郵送で愛読する東京新聞の元警視庁担当記者。

「虚夢」(薬丸岳)
 つい勢いで買ってしまったものの,帯の「娘を殺した犯人が目の前を歩いている!」と言う惹句から何となく道行きが見えてしまい,しばらく積ん読になっていた。結果的に精神障害に対する偏見を助長するような要素は殆ど無く,ある意味ホッとしたものの,分量の割に登場人物が多いことが妨げとなって,結局どの登場人物にものめり込めないまま結末に至ってしまう。北海道羽幌町は,確かにラストの舞台にはふさわしいが(実際に事件出張で吹雪に巻き込まれた弁護士としては,溜まったものではないが。)。

「告白」(湊かなえ)
 週刊文春の国内ミステリー投票でぶっちぎりのナンバーワンと言うことで早速読み始めた。確かに読み始めるとやめられないのだが,「えっ,これがベストワン。世間はこういうのが読みたいのか。世の中何か壊れたんじゃないのか。」と言うのが率直な読後感である。登場人物がそれぞれにズレていて,どれにも感情移入できないまま,「ザラザラした読後感」が残る。ピカレスクロマンとしては吉田修一「悪人」が近来の秀作と思っているが,それとの落差は大きい。

「長編小説 芥川龍之介」(小島政二郎,講談社学芸文庫)
 これは反則でしょう。確かに,芥川は「物語作家」であって「小説家」ではないと言う結論には大いに納得できるし,一方で芥川の筆者への深い愛情を表すエピソードも取り上げられている。しかし,いくら師匠芥川が死んで半世紀近く経ったからといって,芥川の自殺直後に集まった文学者たちが芥川を小説家として評価しない趣旨を発言したことに激怒していたという筆者が,ここまで書くことはないのでは,という感はぬぐえない。
芥川が文章に凝りすぎという御指摘はそのとおりだが,そういう手前の文章はなんだい。「好き? 嫌い? 嫌いじゃないけど―――,生理的に無理」(どこかの半裸芸人)と言いたくなる人が多いだろうが,でも私的には,読んで損したとは思わない。筆者によれば芥川より遙かに小説家だという徳田秋声ら忘れられた作家の作品を一度読んでみたいと思わされた。

「私の男」(桜庭一樹)
 昨年1月の直木賞受賞作を今頃読み終わった。有力候補だった佐々木譲「警官の血」とどちらに軍配を上げるかと問われると,全く異質な物を比較させられるとまどいを覚える。男性のような筆名(実際は女性)以上に,私が興味を持つのは,山陰地方出身という筆者が,オホーツク海に面した紋別という決してメジャーではない街(弁護士業界では,北海道初のひまわり基金公設事務所が作られ,女性初代所長の奮闘がテレビドキュメンタリー「弁護士たちの街角2」となったことで比較的知られてはいるのだが)を,なぜ舞台に設定したかである。紋別市民には怒られそうだが,紋別という街が,この突拍子もない話に妙なリアリティを与えている(直木賞選考委員にどの程度紋別のイメージがあったかは謎であるが)。
作品の中では時代が遡っていく。93年奥尻島の地震・津波,96年の北海道拓殖銀行破綻前夜,2000年の上京,05年,08年の東京。これを読みながら,91年に紋別の裁判所で窓から流氷を眺めながら少年審判をしていた自分,97年拓銀破綻の年に北海道で弁護士となった自分,そして今,北端の過疎地で被疑者国選・裁判員制度の最前線にいる自分の足跡を重ねてたどり直していた。

「ヤクザマネー」(NHK取材班)
 最近のヤクザ業界のしのぎの実態について迫ったテレビドキュメンタリーの書籍化である。元銀行員・元証券マンなどが,「企業舎弟」ならぬ「共生者」として暗躍する様を描いている。
 読んでいて思い出したのは,鈴木仁志弁護士が2002年に刊行した「司法占領」(講談社)というフィクションの一こまである。仕事に困った新人弁護士が,ロースクールの同級生だった暴力団組長の息子から「おいしい仕事」を回してもらい,やがて危ない仕事を断れない状況に追い込まれて転落していく場面である。刊行当時に読んだときには漠然とした危惧感を持ったに過ぎなかったが,「共生者」の中には元公認会計士もいるという「ヤクザマネー」の記述を読んで,鮮明に思い出してしまった。

「悲劇もしくは喜劇」(深谷忠記)
 主人公が,離婚を契機に一人息子を育てながら長期間の受験勉強の後に弁護士になった女性という設定(どこかで聞いたような話ですな)が購入動機となった。
 このオチは弁護士倫理上まずいだろう,と思いながらも,刑事弁護人として「感じる」ところは多い。弁護人として,公判前整理手続とその後の集中審理に一抹の不安を覚えるのは,まさにこうしたケース,被告人が浅はかな考えから弁護人にも真実を打ち明けないまま素人判断で防御戦を敷き,その結果無実の被告人が下手な嘘をついたために有罪になると言うケースであろう(例えば,サスペンス劇場などでよくある,本当は現場に行ったら既に被害者は殺されていたのに,それを言うと疑われるから現場には行ってないと主張して不確かなアリバイを弾劾され,目撃証言で有罪とされるケース)。実務的にこのようなケースに逢着することはまずない,と考えがちだが,多くの事件で,案外,知らぬは弁護人ばかりなりという部分が,ないわけではないと感じている。

「この世でいちばん大事な『カネ』の話」(西原理恵子)
 ただいま大ブレイク中(「いけちゃんとボク」と「女の子ものがたり」の映画化,「毎日かあさん」のテレビアニメ化が同時進行中)の漫画家・西原理恵子の書き下ろし単行本である(マンガではない,活字の本である。)。貧困の再生産,暴力の連鎖を平易な文章で生々しくつづっており,どうやってこの社会の中で自分の居場所を見つけていくかを自身の体験を元に具体的に説いている。少年の特性にもよるが,鑑別所等への差し入れる本の一つの選択肢にはなろう。

 ちなみに私の推す西原作品ベスト3は,『営業ものがたり』の中の「うつくしいのはら」,『毎日かあさん4』の書き下ろし部分,『できるかなV3』の「ホステスできるかな」。

(平成21年2月)