● 読み散らし世界文学  医師アントワーヌの選択
山田眞也(千葉県弁護士)
 「富山県の射水市民病院で末期癌の患者7人が人工呼吸器を外されて死亡した問題で、県警は7月23日、当時の外科部長と外科第二部長だった医師二人を殺人容疑で富山地検に書類送検した。」

 この記事を読んで、「チボー家の人々」のアントワーヌが「父の死」の章の末尾で、死を目前にしながら死にきれず、尿毒症による痙攣を伴う激しい発作に喘ぎ続ける父の苦痛を、モルヒネ注射で終らせるくだりを思い出した。

 舞台は今からちょうど100年前のフランス。

 アントワーヌは環境と天分に恵まれ、医業における大成をめざして、洋々たる前途に自信を持つ青年医師。

 彼は避けようがない父の死が、少しでも早く訪れることを望むが、病人が断末魔の形相でわめき、病床から転げ落ちぬばかりに荒れ狂う地獄図にたまりかね、法や宗教が許すか許さないかを思いめぐらすことなく、迷わず、父を苦痛から解放する手段を選択し、冷静にそれを実行する。

 父の死後、彼は、自分が悪夢から逃れたいという欲求を持っていたことは自覚するが、それでも正しいことをしたという自信を失わない。

 「掟を守ることの必要性を認めれば認めるほど、それを意識して破ったことを、さらに是認する気持ちになっていた。」

 自殺を禁じるカトリックでは、安楽死が許されることもないであろう。

 また法に照らせば、おそらく現代のフランスでも、アントワーヌが選んだ手段は、殺人として罰すべき行為であろう。

 しかし、この行為は法に問われずに終り、アントワーヌが法を無視した疚しさを覚えることもない。

 仮にアントワーヌの行為が告発されたとしたら、司法はどう対処しただろうか。

 要領がいい予審判事なら、(それが自分の保身や出世の妨げにならない限り)、証拠不充分として、予審段階で事件をつぶすことを、まず考えたのではないか。

 しかし運悪く起訴するに足りる証拠が出てきてしまったら、アントワーヌの医師としての将来は失われたであろうが、小説の中では、現実主義者であるアントワーヌは、いささかの不安も覚えることなく、希望に満ちた未来へと歩み続ける。

 不運にも1914年夏に始まった戦争が、彼の周到な人生設計を打ち砕く。

 どんな絶望的な手段に訴えても、戦争阻止のために身命を賭するという弟のジャックに対し、アントワーヌは国民として戦争に協力する義務を説き、召集に応じて軍医として前線に赴くが、ドイツ軍の毒ガスに冒され、病床で死を免れる術がないことをさとり、ジャックが前線の両軍兵士に交戦の拒否を呼びかけようと企てて、何の甲斐もなく死んだことを、初めて正しい行為であったと認める。

 やがて死が迫ったとき、彼もまた、日記の最後に「思ったより、わけなくやれる」と書き残し、モルヒネを用いて自ら命を断つ。

(平成20年8月)