● 令状事務について |
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私は,令状事務を担当する裁判官です。
毎日,検察庁から被疑者が勾留質問を受けるため,裁判所にやってきます。私は,彼らに被疑事実の要旨を告げ,その弁解を聴いて,勾留するかどうかを判断しています。勿論,勾留質問をする前に,一件記録を検討し,嫌疑の相当性や勾留要件,勾留の必要性,逮捕手続の適法性などを審査するわけですが,勾留請求の数からするとそれほど時間を掛けるわけにもいかず,机上に記録を広げ,必死に記録にかじりつき,気がつくと一日が終わっているという状態です。夕方になると頭の芯がしびれてくるような感じになりますが,まだ勾留質問を受けるために残っている被疑者や捜査員がいますので,帰宅するわけにはいかないのです。
その日も朝から被疑者勾留事件を処理し,疲れ切って家に帰り,夕食を取っていました。
食卓の前に座った妻が何時になく明るい声で「今日,思い切って病院に行って良かったわー」と話しかけてきたのです。
私は最初,なんで病院になど行くことになったのか不審に思ったのですが,そういえば昨日,そんな話をしていたことを思い出し「ああ,どうだったの」と尋ねました。
妻は,以前から子宮内膜症を患っていて,一度手術をしたことがあるのですが,その後も卵巣にチョコレート膿種があって,生理痛が酷かったり,腹痛がしたりして病院に通っていたのです。しかし,どうも,その病院の先生や治療方針が合わずに悩んでいたのでした。それで,近所の違う病院の先生に診てもらうことにしたのでした。
妻「うん,すごくいい先生だった。飛び込みで行ったからどんな先生がいるかも判らなかったんだけど,どうも3人の先生がいるみたいで,待合室で聞いていると,若い女の先生と,かなり年輩の男の先生と,同い年ぐらいの男の先生がいるみたいだったの。若い女の先生は,テキパキしているけど,ちょっときつい感じで,年輩の先生は偉そうな感じ,同い年ぐらいの先生は穏やかそうな感じで,あー,この先生だったらいいなーと思っていたら,ちょうど,その先生から呼ばれて・・・」
私「ふ〜ん」
妻「なんか,ああいうのって,ちょっとのことだけど,全然違うのよ。前の先生は,こちらがあれこれいっても,『ああ,そう』の一言で済ませたり,『それで,どうして欲しいの』って突き放したり,もう,話す気もなくなるような感じだったけど,こんどの先生は,なんか話しやすいというか,いろいろと話をしても,『それは,大変でしたね〜』とか『そういうこともあるんですよ』とか,共感してくれるのよ。」
私「だけど,飛び込みで行ったりしたら,向こうも時間とかないんじゃないの」
妻「そうそう,前の病院はいっつも忙しそうで,なんかイライラしているのが判るような気がしたけど,その先生は,丁寧に話を聞いてくれて,なんかもう話しているうちに治ったような気になったよ。20分ぐらい話していて,もう,話していて泣きそうになったよ。」
私「へ〜,良い先生で良かったね」
妻「うん,もう,あの先生が手術してくれるんなら,安心だよ。前の病院は,そりゃ大きな病院かも知れないし,設備も新しいかも知れないけど,所詮,私なんて大勢の患者の一人だもんね。」
私「だけど,その先生にしてみても,あんたも大勢の患者のうちの一人にすぎないんじゃないの」
妻「だから,そういうふうに患者の側に思わせないように,話を聞いてくれることが大切なんだよ・・・」
私は,妻の話を聞きながら,今日の勾留質問の様子を思い出さずにはいられませんでした。
勾留質問を待つ大勢の被疑者たち。早くしないとまた,書記官に残業させてしまう。うんざりとした表情で順番を待つ捜査官。机の上にある検討未了の膨大な一件記録。
勾留質問室では,あれやこれやと要領を得ない話を始める被疑者。外国人被疑者の時間のかかる通訳。時計の針はどんどん進む・・・・。あー,まだあと○件も残っているのに・・・・
しかし,私にとっては,大勢の中の一人に過ぎない被疑者も,その人にとってみれば,逮捕されて初めて会う裁判官が私なのです。私は,妻が絶賛する医師と比べて,どうだろうか・・・・?妻の嬉しそうな顔みて,私は食事をとりながら,考え込んでいました。そして,自分の妻がそうした医師に診てもらうことになり,喜んでいる自分に気がつきました。被疑者の家族もまた,同じような気持ちになるのだろうか,そんな風に思いました。
被疑者の大半は,中卒や高校中退者で,なかなか自分の考えを的確に表現する力のない人たちであるように感じられます。検察庁での弁解録取書では,整然とした弁解になっていても,よくよく聞いてみるとあれこれと微妙に違うようなこともあります。
また,結局,勾留することになるとしても,やはり,裁判官は警察官や検察官と違って自分のいうことに虚心に耳を傾けてくれると思ってもらいたいものです。
私も最初は,最初は,少年の被疑者には,これからの手続のことを説明したり,泣いている少年には,「君は今まで先生や両親,大人たちから悪い奴だ,仕方のない奴だと言われてきたかもしれない。でも,そういう大人たちの中にも,きっと君の良いところを見つけてくれる人が必ずいるから,やってしまったことは仕方がないとしても,これから,ちゃんと頑張れば大丈夫だから,安心しなさい。」と励ましたりしていました。また,理解力の乏しいと思われる被疑者には,被疑事実の要旨をかみ砕いて説明したり,身上についても確認めいた質問をしたりしていました。特に前科・前歴のない被疑者には,逮捕されて裁判所に連れてこられた時の気持ちを聞いたり,困ったことがないかを聞いて,できるだけ不安な気持ちを解消してあげようと務めていました。
しかし,次第にそうした無駄な質問や説明をしないようになっていました。
ある同僚の裁判官は,結局,被疑者を勾留することになるわけだから,余計な質問は無駄であり,そんなことに時間を費やすぐらいなら,早く勾留質問を終わらせて,部屋に戻って記録を検討した方がよいというのです。どうも,立ち会い書記官も同じような感覚で,まあ,最初は裁判官も珍しいからいろいろと聞いたり,話したりするようだろうけど,だんだん慣れてくれば,無駄なことはしなくなるだろうと思っているようでした。
実際,私も,たくさんの事件を処理していくうえでは,そうせざるを得ないなと思い始めていたのです。
妻の話を聞きながら,自分は最近の仕事のつまらなさの原因を考えていました。 自分は,こんな流れ作業をするために裁判官になったのだろうか,最近,仕事がつまらないと感じるのは,実は,自分がやりたいと思っていることや言いたいと思っていることを我慢しているからではないのか。たとえ,処理に時間が多少かかろうと,書記官が残業することになろうと,自分のやりたいようにやれるのが裁判官なのではないのか。無駄な質問であろうが,関係があろうが,裁判官が聞きたいことを聞いて何が悪いのか。勾留「質問」じゃないか。被疑者が最初に出会う裁判官は自分なのだ。自分たちにとっては,大勢の中の一人の被疑者であっても,その人にとっては,自分は唯一の裁判官じゃないか。わずかな時間であっても,自分は裁判所という国家機関を代表して被疑者に向き合っているんじゃないのか。たとえ,わずかな時間であっても,今まで逮捕され身柄を拘束されてきた人間にとって,ここは警察や検察庁とは違う,取調べではないということを理解してもらう必要があるのではないか。そうではなければ,わざわざ裁判所に連れてきてもらうこともないはずではないか。
医者も裁判官も,専門職(スペシャリスト)であることに変わりはありません。専門職(スペシャリスト)は,相手方に優越した知識・技能を持つが故に,一層,相手方の話にしっかりと耳を傾け,余裕を持って相手に判るように話す義務があるはずです。
それに,被疑者が自白していれば,ほっとするくせに,その同じ被疑者の弁解が長くなるとうんざりするのは背理なのです。裁判官の方が自分勝手なのです。どちらにせよ,つまり,罪を認めるにせよ認めないにせよ,被疑者の発言は最大限,尊重されるべきなのです。手続は他ならぬ被疑者のためにあるのですから。公判段階であろうと勾留段階であると,そのことに変わりはないはずです。
もともと,やりたいようにやりたいと思って裁判官になったのに,何を遠慮しているのかと自分自身がおかしくなってしまいます。
そもそも,被疑者国選弁護制度や取調状況の可視化など捜査段階の適正確保のための種々の方策が取り入れられ,また検討もされているというのに,勾留事件を処理する職員があまりに少なすぎるのではないかと思えてならないのですが,他方,裁判官として,迅速と適正という二つの要請を満たすことができるよう,被疑者の弁解にもしっかりと耳を傾け,頑張っていこうと思う次第です。
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(平成22年10月) |
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