塔の中から
坂梨 喬 (福岡家裁) 
 医者の世界は「白い巨塔」と呼ばれる。裁判官の世界は「孤高の王国」と呼ばれたことがあった。あるいは「象牙の塔」と呼ばれたこともあったか?いずれにしろ,どの呼び方も排他的な集団に対する批判を含んだ呼び名である。

 医師の世界,裁判官の世界などは,バベルの塔のような排他的な塔(世界)を築いてしまう。それは,専門家集団の持つ組織論的な負の宿命であると思う。医師や裁判官に限らない。作家も「文壇」という排他的な世界を造っている。およそ専門家と呼ばれる人々はその緊帯の強弱はさまざまであっても排他的集団を形成する宿命を逃れることはできない。

 裁判官ネットワークの最大の功績は,この排他的な世界に「いきなり」外部の世界に通じる横穴を開けたことである。しかし,穴は開けたが,意外に後に続く者がいないというのが今のネットの悩みの一つである。それはなぜなのか?

 その原因を言い当てる自信はないが,塔の中の住人である他の裁判官たちが後に続いてくれないのは,開けられた横穴の使い道がよく分からないからではないだろうか。それ故,彼らが,裁判官ネットワークというものは塔の中のもう一つの塔であるにすぎないと直感的に感じているからではないだろうか。しかし,参集しようとしない塔の住人を,勇気がない,理想がないと責めることはできない。それよりも,ネットワークは,開けた横穴の正しい使い道と機能をもっと明確にする必要がある。横穴の使い道と機能が塔の中の一般の住人である裁判官にとっても有益なものであることが明らかにならない限り,また,ネットのメンバー自身が横穴の使い道と機能を明確に認識し,それを内部と外部に発信しない限り,ネットは塔の中の塔で終わる。

 私は,横穴の正しい使い道と機能を理解するためには,ファンクラブとの対話が一つキーワードになるのではないかと考えている。どのようなネットを構築すればよいのかについて考えるには,ファンクラブ(塔の外の人々)との対話が必要であると思う。というのも,ファンクラブの人々もネットの正しい使い方と機能を理解しないまま,ただ横穴が開いたこと自体に喝采を送っている段階にとどまっているのではないかと危惧するからである。例えば,私は,裁判官の世界が排他的な集団であることは避けられないと考えているが,その点はファンクラブの人々はどう考えておられるだろうか。裁判官の世界の排他性は全面的に崩壊すべきと考えておられるのであろうか。横穴があけられたとき喝采を叫んだことの意味は何だったのだろうか。それは私自身にも問いかけなければならないことである。

 初期ネットの人たちがテレビに登場したとき,私はやはり一陣の風が吹いたと感じたのである。それは,私が裁判官の世界に感じていた閉塞感と裏腹なものであった。しかし,そもそも,私が裁判官の世界に感じる閉塞感はなにに由来するのだろうか。塔の中は,塔の外の人々がイメージしているほど暗い世界ではない。塔の中は意外に明るいのである。また,私がこれまで出会ってきた塔の中の人々の人間的な個性に格別問題を感じているわけではない。しかし,それとは別に,裁判官の世界は閉塞しているというのも実感である。いわば明るく閉塞しているのが我々の塔である。塔の外の人々が持っている塔の中についての認識は塔の中の実体と異なる部分がたくさんあると思う。私は,塔の外の世界の人たちと,けしからん判決が出た,とか今後の司法の在り方ということだけよりも,塔の中の日常のレベルでもっと率直に語り合いたいと思っている。そして,裁判官の世界の正の部分についても負の部分についても正確な像を結びたいと考えている。