● 被害者の心の痛みを感じ取ること
伊東 武是(神戸家庭裁判所)  
 家庭裁判所でも,日々の少年審判事件に被害者配慮をどう重ねて行くか真剣な議論が続いている。

 少年法の理念に則り,少年たちの更生への意欲を高めて再非行を防止しようとしてきたこれまでの家庭裁判所の実務実践に自信を持ちたい。少年非行の深刻化の原因を,家庭裁判所の審判の「甘さ」に帰するかのような短絡的な議論はいかがなものかと思う。社会,環境,政治,教育,家庭といった背景事情の大きいことを忘れてはいけない。

 只,被害を与えた少年たちを立ち直らせるためには,その被害者の痛みを実感させ,そこからの強い悔悟の念を更生への意欲と結びつけさせなければならない。この点,少年審判に携わる者に一層の努力が求められていることは間違いない。成長途上の壊れやすい人格であることを念頭に置きつつ。


 その少年は,同年代の被害者(H)に対し自分の思い通りにしようとして仲間と共にいじめを繰り返してきた。被害者は,心に大きな傷を受け,これを引きずって,今なお,ことある毎に,身体の症状として現れ,頭痛,吐き気,さらにひどい時には意識を失うような後遺症状に苦しんでいる。少年に前歴はなく,他に格別な非行傾向はないこともあり,調査官による試験観察(最終の処分を決めるまで数か月間,反省状況等を見守るために調査官の指導の下におく中間的な措置)となった。その試験観察の間,少年は,調査官から,特別老人養護施設でボランティアとして5日間奉仕活動することを指導された。以下は,これをなし遂げた少年の感想文からの抜粋である。

「お年寄りは,当然ながら自分の座りたい場所に座り,ぼくたちがお年寄りに目線を合わせて座る。その座り方も色々で,ひざをついて長時間座るのは,つま先が痛くなってとてもしんどかった。でも,身体の自由度はぼくたちの方が融通が利くので,お年寄りにあわせなければならない。どんなにしんどくても,お年寄りは話しかけているので,それに答えるために,ぼくは耐えた。今まで味あうことのなかった,立場の弱い人に自分が会わせるというしんどさを痛感した。」

「「あの人は,うるさいから関わらんとき」と言う人がいた。確かにその人は,アホやバカや歌っては叫ぶうるさい人だった。話しかけて返答がないとすぐに肩や腕をたたくので,皆嫌がっていた。ぼくは寂しいんだと思って話しに行くと,やはり会話は全くできなかったけど,ぼくが微笑むと笑ってくれて意思疎通ができたような気分になり,とても嬉しかった。たとえ,笑うだけでも,相手が喜んでくれることが分かった。」

「5日間いると,会話ができない人でも言いたいことが分かったし,「ええんね」としか言わない人も手を握ると握り返してくれ分かりあえた気がした。要は,自分が相手をいかに分かろうとするのかが意思疎通の鍵だと分かった。スタッフの人は,お年寄りが嫌がる叫ぶ人に対しても,他の人と同じように接していた。歌を一緒に歌ってあげたりして,その人はニコニコしていた。うまく相手を理解していて驚いた。叫んでいるおばあちゃんにとっては叫ぶことは自分の意思表示で,個人の表現だと思う。それをどう捉えるかによって,ただのノイズか自分に対するメッセージというように形を変えると思う。ぼくは,今まで相手の事を分かろうとする積極性が欠けていることに気付いた。」

「ぼく自身この5日間,相手の喜ぶ顔で達成感を得られたし,無反応だとなにか孤独な気持ちになった。それが嫌で,何をしたら喜んでくれるだろう,今何をして欲しいんだろ,何を考えているんだろうとか,様々な事を考えて,自分なりに理解して,お年寄りに接すると,言いたい事も分かったし,相手も笑顔で話してくれた。ぼくもとても嬉しかったし,自然と心から楽しいという感情から,笑いがでた。これが本当に相手の事を考えて,自分が相手に合わせて,心の底から分かち合えることなんだと思った。」
「本当に打ち解けて笑いあいながら,友達感覚で話せたのは初めてだった。自然に敬語が「うそぉ!」とか「マジ?」とかの日常語で喋っていた。」

「なにか1日9時間弱の5日間は,達成感にあふれ清々しい感じだった。最後は名残惜しいものだった。そのなにかというのは,お年寄りと意思疎通できた喜びや,自分がした仕事に満足できていないものの,自分がした事で誰かが喜んでくれて,誰かの役に立っていることが分かり芽生えた自分に対する自信から得られたものだと思う。」

「Hにとって,精一杯やっているけど,ぼくに認めてもらえないという飢餓感や孤独は,暴力行為の痛みよりも,深く,痛切に,心に突き刺さったのだろうと思う。あざができるだけならば,完治すればそれで終わっていたかもしれないけど,Hは,深く心に傷を負った。この事件が発覚して半年近く経って,やっと気付けた。」

「Hは,精一杯やっているのに,ぼくは人格を否定し,自分の感情を押しつけるばかりで,Hの長所である優しさや真面目さを尊重し,Hの気持ちを考えて,Hの持っているうまく行かないとという悩みに気付いて,話し合うことができなかった。今となっては,その時のHの気持ちを考えて,ぼく自身が苦しみを深く理解し,その上で反省し,謝罪し,Hの精神的回復を祈ることしかできない。」

「たぶんぼくに対する不満をぶつけられないほどに悩んで,ぼくに何か言われるという圧迫感で一杯だったと思う。ぼくは,今になって,Hの心の傷や自分のした事の悲惨さが身にしみて分かってきた。」

「今までつき合ってきて信用していたぼくに対する憎しみも計りしれないと思うし,何よりもイジメ行為を受けている自分に対する惨めさでいっぱいだったと思う。自分たちがしている事に気付いてくれと優しいHなら望みをかけていたかもしれない。今考えただけでも,気分が悪くなりそうなほどの苦痛をHが7か月間味わっていたという事実は許されることではない。謝っただけで許してもらえるとは思っていないけど,本当に今までごめんという気持ちで一杯です。」
(平成18年12月)