● 日本裁判官ネットワーク例会「長嶺超輝氏をお招きして」
平成19年12月1日
於 サンピーチ岡山
長嶺超輝氏
「裁判官の爆笑お言葉集」(幻冬舎新書)の著者

報告その2(意見交換)


司会(A裁判官)
 それでは,日本裁判官ネットワークの講演会を始めさせていただきます。この裁判官ネットワークの会を初めて私のふるさと岡山で開くことになりましたことを光栄に思っております。まず,この裁判官ネットワークのコーディネーターの中の最長老ということで安原松山家庭裁判所所長の方から,最初にご挨拶申し上げます。


B裁判官
 長嶺さん今日はどうもありがとうございました。私は,この本を,非常に興味深く読みました。それに,こういう本が売れたのがとても嬉しかったんです。裁判官のいろいろ考えていることが,まとめて出版されたからです。それが30万部ですかね。うちのネットワークの一番最初に売れた本が,2万5千か6千かでしたので,えー,10倍以上だと思って今ショックを受けています。内容的には,なかなか裁判官の人間くさいところを取り上げていただいて,非常にありがたかったなと思います。是非お聞きしたいのは,一般の人がどういう声をですね,長嶺さんのところに寄せていただいているのかということ,それともう一つは,この中にかなりの数の言葉がいろいろ取り上げられているんですけど,特にですね,反響の大きかった言葉とかいうのが,そういうのがないのかという点です。その辺紹介していただければと思います。


長嶺さん
 やはり,たくさんの皆様にお買い上げいただきましたので,反響もその分たくさんちょうだいしました。そうですね,意外と多かったのが,読んで泣きましたという方ですね。私としては意外だったんですけれども,でも感動して泣いたというのは私の手柄でもなんでもなくて裁判官のお言葉に込められているものですから。私の手柄ではないんですけど。お言葉集の帯にもですね,泣く人も続出みたいな感じで,後付けしています。うちの妹も,法律どころか難しい話は一切嫌いな人間なんですけども,それでも読んで泣いたと,言ってくれました。

 あとは,そうですね,爆笑というタイトルはどうだろうということを,出版者宛にある弁護士さんからなんか,達筆な文章で,「拝見いたしました,長嶺様,爆笑というタイトルはいかがなものでしょう」というふうに出版社宛に送られてきて,長嶺さんどうしましょうというふうに聞かれたんですけど,私に聞かれてもちょっと困るので,なんとか出版社の方で処理してくださいと言いました。私の名前もですね,この超輝というのもなかなかはったりのきいた名前ですけど,これも父親がいつの間にか付けまして,スーパーマンのような子になれというプレッシャーをかけられて今まで呪いのように(笑),この名前がついてきて,どういうふうに読むんですかとか言われたりしました。

 やはり爆笑というタイトルは,裁判官が自分で言うのはきついなと,判決を言い渡して,それでは爆笑判決理由を述べますとかというのは自分では言えないと思います。

 弁護士さんからも,先ほどの方以外にもメールをいただいたりするんですが,こちらはちょっと厳しいですね。私に対して。なんでこんな本が売れるんですかねというふうに書いてあったり,こういう本が売れるんですねーというふうに書いてあったりとかします。行政書士の方からもいただいて,面白かったと。24歳のフリーターの女の子からもいただきまして,その子も泣きました,と 。一度お会いできる時を楽しみにしておりますと書いてあったんですけど,メール,返信したら返ってこなくなりました(笑)。

 あと,反響の大きかったお言葉ですか,そうですね。具体的にこれが興味深かったですという感想はあまりないんですけど,テレビで取り上げられた言葉というのは結構ありまして,ストーカー規制法違反の恋愛について語ったようなものですとか,あとは,暴走族に対して有害廃棄物だというふうに言ったとか,そういう形のものは取り上げられています。 


C裁判官
 ○○支部に勤務してますCです。この本を紹介されましたのは,さる弁護士さんからいきなり,お前が載ってる本を見つけたのでコピーあげるよと言って,いただきました。私はタイトル見てなんて失礼な本なんだろうかと思いました。何で私の喋ったことが爆笑なんだろうかと,それでまあ,あまり読む気なかったんですけども,弁護士さんが,いやいやいい内容だよと,こう付け加えのお言葉がありましたので,読んでみました。全体的な感想なんですが,タイトルとは違って本の中で取り上げられた,あるいは解説されたのを読ませていただくと,非常にこう暖かい目線でね,ものを書いて紹介していただいているんですね。タイトルと中身が解離していると,非常にいい本であるということを実感いたしました。

 その次なんですが,私は,当時まさかこんなことに引用されてね,いろんな人の目に触れるなんて思って話ししたことでは全くなかったんですが,私の判決言渡しの時の発言が,当時はマスコミから盛んに取り上げられて,心底ほんと,抑うつ状態になるくらい法廷に出るのが嫌になったほどでした。でも,75日過ぎればまあ,しょうがないかなと思ってたんですが,それから随分経ってから,急にこの本ですから,また古傷に触られるのかと思って多少辟易したんですが,他の皆様の言葉も拝見いたしまして,なんと自分たちが話した言葉が影響を与えるんだろうか,つまり喋る人間としては,物を書く方もそうだと思うんですが,自分が書く言葉が,あるいは吐いた言葉が大変な影響を与えかねないんだっていうことを,改めて感じました。

 このことが,実は私の仕事に大きく影響いたしまして,なるべく傍聴人がいたら喋らないようにしようと,訓戒は絶対にしないようにしようと,こう私の悪魔の心がささやきます。しかし,それはね,変な話なんで,訓戒をする以上は訓戒に値するような言葉をきちっと考えよう。合議体だったら合議体でちゃんと議論をして,その上で訓戒というふうな方向で物を話したらいいんじゃないかというふうに変えました。訓戒することが減ったことは確かです。

 それからもう一つ影響したのは訓戒ではなくて,被告人質問などの機会を通じてやはり被告人との間で,ある種の交流みたいなものをちゃんとしようと,そちらのほうで勝負しようと,訓戒ではなくてですね。というふうにこう気持ちが変わりました。そういう意味では大変な本に巡り会ったということであります。

 もう一つ,最後にさっきBさんからもありましたけど,この本が広く世間に知られることによって,裁判官が,皆さんと同じ人間ですと100回説明するよりも,こういう言葉が,こういう本で紹介されることによって,裁判官の人間くささと言うんですかね,そういうのが広く知られるいい機会となりました。裁判員裁判の実施を間近に控えた今日,そういう意味でタイムリーな本になったのかなというふうに思います。今日はどうもありがとうございました。


D裁判官
 ○○家裁のDです。長嶺さんの本にいろいろなお言葉がたくさん書かれていますけど,長嶺さん自身が,このなかで好きなお言葉,あるいはそこに背景にある裁判官の人間像なり考え方なり,こういう裁判官好きだなと思われる人がありましたら,一つ二つお話しいただけたらと思いますが。


長嶺さん
 はい。そういつご質問を受ける度に私が言っているのは,交通事故裁判における人の命の重みとはポケットテッシュよりも軽いという,F裁判長の言葉です。日常用語のポケットテッシュという言葉を,法廷であえて例えとして使うということはなかなか印象的でした。F裁判長は,他の事件でもポケットテッシュという例えを使われまして,インパクトといいますか,ただ命の重みが軽いとか,量刑が軽いとかそういうのではなくて,あえてそういう例えを使うということで,裁判を受けた人に対する感銘といいますか,自分のやったことに対する反省がより深まるのではないかとは思いました。

 もう一つ,やはり冒頭のY裁判長の「さだまさしのつぐないという歌を知っていますか」という,それはワイドショーでも繰り返し放送されました言葉です。幻冬舎さんがYさんと繋がりがあるということですので,もしかしたらインタビュー取材ができるのではないかということでして,Yさんにさだまさしファンですかというようなことを聞こうかなということを思っています。あの言葉は,やはり,感銘力としては相当のものがあったのではないかなと思います。被告人には,取材することは,おそらく叶いません。当時未成年で名前も公表になっていませんので,なかなか難しいとは思いますが,感銘力は高かったのではないかなというふうに思っております。


E裁判官
 私は○○地家裁○○支部ということろで裁判官やってますEといいます。いつも私はつくづく思うんですが,最近傍聴ブームと言われるんですけど,民事裁判官として寂しいのは刑事の方ばっかり行ってしまう。今一生懸命数えていましたが,この本のうち民事関係がいくつあるかというと,6つしかないんですね。その冒頭が,雲助判決というのがありまして,あんまりぱっとしたのがないという,民事裁判官としては寂しく思ってまして,やっぱり民事裁判というのが国民一般からちょっとやっぱり縁遠いとか取っつきにくいということころがあると思ってるんですが,その辺どういう印象をお持ちなのか,あるいは,民事裁判をそのどういうふうに改善したらいいと思ってらっしゃるのか,その辺を伺いたい気がするんですが,いかがでしょう。


長嶺さん
 民事裁判というのは訓戒というのはあり得ないと思いますので,当事者のトラブルが解決しないからそれを諭す形で,裁判所が介入するというのは,考え難いことです。東京地裁ですと,どうしても刑事裁判をたくさん見てしまいますし,昨日は岡山地裁で,あまり刑事裁判が無かったので,民事をたくさん見ておりました。民事の裁判官の方でお言葉を掛けられるというか,将来に対するアドバイスというのもなかなか難しいのかなと思います。もちろん私が刑事裁判を贔屓しているわけではなくて結果的にこうなったという感じですので,できればもうちょっと次回作ではバランス取れるようにということは思っております。


安原裁判官
 先ほど西村重雄教授という名前が出てきて,私はすっかり40年前に戻ったんですけど,西村教授は同期,同クラスの司法研修所の友達でして,非常に頭のいい,まじめな方です。西村君が研修所から九州大学に行かれたときに,ローマ法を勉強したいと言っておられまして,僕はその時に,そんな一銭の得にもならない勉強をして何をするんやというような余計なことを言った覚えがありますが,ちゃんと立派な弟子を育てたということで,改めて見直しております。

 さて本題の方ですけども,私のボランティア判決を本に取り上げていただきました。本の中でこの判決には強い批判がある,高裁の判決でぼろくそに言われていると紹介しながら,しかし最後のところで,外国の例を挙げて社会奉仕命令というのはそんなに異端ではないというようなことつけ加えられています。なかなかよく勉強しているなという感じを,その短い文章の中で受けました。

 このボランティア判決の意味ですけれども,長嶺さんが,この本の中で取り上げられているたくさんのほかの事例と法律的な性質が違いまして,つまり訓戒という形ではないですね。私は先ほどのC裁判官の話じゃないですけど,訓戒は原則としてしない主義です。それはなぜかといいますと,われわれ刑事裁判官の被告人との対話というのは非常に限られているんですね。もちろん被告人質問とかそういうところで,心を通わせようとしますけれども,それにもやっぱりかなり限界があって,法壇の上と下,あるいは片っ方は監視の中,こちらは裁判官として法服を着た存在として心を通わす話っていうのは本当に可能だろうかなとちょっと疑っております。昔は私も訓戒をちゃんとメモを作ってやってたんですけど,どうも最近は違うんじゃないかなと思うようになりました。

 少年審判は少年の将来というものを考えるシステムとしてできているんですけども,刑事裁判というのは,例えば再犯の恐れとか,本当に内心反省しているのかということを解明するシステムなっていないんですね。やはり判決までに裁判所に出てきた証拠,それを裁判官が評価するというシステムなので,本当の彼らの内心,例えば否認しているから反省していないとかいう言葉がよく出ますけど,それは私はちょっとおかしいと思うんですね。やっぱり否認する理由には本当にやっていない場合,それから検察官,あるいは警察官,あるいは裁判官に対する反発で言っている場合もありますし,もちろん反省していないという場合もありますけど,いろんなパターンがありうるのでそれに対して,一般的に否認しているから反省していないという言い方はおかしいし,将来彼が再犯するかどうかというのは本当に,偶然的な要素が強い。つまり出所して,あるいは法廷から解放されてから,友人なり家族なりが暖かく包むような環境であれば再犯はしないし,冷たい夜空に放り出されたという環境であればまた再犯するんです。それは法廷でどう言おうがあまり関係ないことではないかなと考えています。

 こういった考え方をある刑法学者に話しましたら,安原さんのは乾いた刑事訴訟法だなあというふうに,批判されましたけれども,刑事裁判については,将来を考えるというより,過去に犯した犯罪に対する責任の有無,程度を審理するシステムであると割り切るしかないと思います。まあ,長嶺さんの取材範囲を狭めてしまうような話なんですけども,しかし,法廷が終わるまでに裁判官というのはもっといろんなことを考えて,いろんなパターンを,つまり,終わった後の訓戒じゃなくて,終わる前のアイディアをいっぱい出す必要があると思います。こういうボランティアというようなこともさせるということは,おそらく社会奉仕命令ということでおそらく立法化されるんじゃないかと思います。

 他にも,私の試みとしては,交通事故ですと,お前なんか,顔も見たくない,謝りに来られても困ると被害者が言ったので私は一回も謝りに行ってませんと,そういうような被告人がいた場合はやっぱりちゃんと,相手から激しく罵倒されても謝りに行きなさい,それが贖罪ですということを言って,その謝罪の結果を待ったりですね,ある事件では,10万円の保釈金で釈放して,働かせて,大工の腕があったので,稼いだお金で実際に弁償させる,それまではちょっと判決をのばすと,そういう裁判が終わるまでの実績をいろいろ作らせるというようなことをもっと考えていけば,刑事裁判の審理のあり方はもっといろんなバラエティーが生まれるのではないかと思います。それに対して,Y判事のようなスタイル,おそらく多数の刑事裁判官がそういうスタイルでやっておられるんですけども,私としては,本当にそれが刑事裁判官の役割であるのかなあというようなことを,ちょっと疑問に思って,ですからこういうボランティア判決などの試みが,むしろこれからの刑事裁判の在り方ではないかと思って一生懸命あちこちで言ったり,書いたりしてるんですけど,ほとんど袋だたき状態ですね。ということで,長嶺さんの取材範囲はまだ,暫くは大丈夫だと思います。失礼しました。


長嶺さん
 アメリカのさきほどのマイケルチコニッティーさんの扱った事件の再犯率は平均よりずっと低い,2割だったかな,2割くらい極端に少ないということです。それもボランティア活動と組み合わせた独特の判決による考え方,それもあるのかなということは思っています。


G裁判官
 ○○地裁から参りましたGと申します。長嶺さん,今日は本当にお話ありがとうございました。この中で数少ない民事判決の中でですね,136頁にある尼崎大気汚染公害訴訟における竹中さんのお言葉ですね,これを取り上げていただいて本当にありがたく嬉しく思っております。

 というのは私はこの判決言い渡しの時にこの法廷の中におりました。但し,法壇の上ではなくて,原告団の弁護団の一員として席に座っておりました。私は今は裁判官しておりますけれども,5.6年前までは弁護士をしておった者です。それで,弁護士の時も感じておりましたし,裁判官になってからさらに強く感じているんですけれども,国民の裁判官に対するイメージと実際の裁判官の実態,こういったものは,大きく食い違ったところがどうしてもあるんですね。やっぱり国民と,市民と裁判官とのその交流の場というのが,とても限られているというところにも,一つ原因があるんじゃないかと思っております。私が,この裁判官ネットワークに誘われて加入したのもですね,このネットワークというのは,いろんな所に出ていって,市民との会合を積極的に持っているというところを非常に評価しております。

 1つの例ですけども私,弁護士時代は,1年間に300枚から500枚の名刺はたぶん刷ってて,それはほとんど1年でなくなるんですね。ところが,私ども裁判官は3年とか4年で異動するわけですけども,やっぱり異動すると新しいものを作る,名刺を100枚作る。それがいまだに数十枚残っているこういう状況ですから,やはりその市民と接する機会が非常に少ないということなんです。そういうところで,この裁判官の爆笑お言葉集,確かに私も最初にタイトルを見たときには,爆笑というところでどうもひっかかったんですけれども,中身拝見しますと,弁明しない裁判官の肉声というものを伝えていただいて,市民との距離をですね,側面から縮めて頂いたような感じがして非常に嬉しく思っております。今後とも,裁判官の実態に踏み込んだいろいろな著作をされることを期待しております。


周防監督
 私も幻冬舎からですね「それでも僕はやってない」という,映画のシナリオの紹介と元裁判官の木谷明さんに僕が質問をするという本を出しているんですね。お陰様で長嶺さんの本の10分の1も売れてないんですけど(笑)。実は,これが非常に危ないシナリオでして,映画の中では小日向さんという俳優さんが演じてくれた裁判官は,ほぼ実在の裁判官のイメージがシナリオのキャラクターに反映されている部分がありますが,しかしもちろんそのままかというとそうでもありません。

 ただ,ある実際の事件で,僕は担当の弁護士さんから聞いたので,確認していただけると嬉しいのですが,被害者の証人尋問が終わって保釈の段階で保釈金が高かったんですが,裁判官が,そんな高額な保釈金が払えるならそれを持って今すぐ被害者の所に行って示談してきなさい,そしたら執行猶予を付けます,という話をしたそうですが,その裁判官がこの本にも登場して,被告人に立派な言葉を吐いたことになっております。

 もう一人,東京高裁刑事部の裁判長です。私が一審の東京地裁からずっと傍聴している事件がありまして,次に控訴してかかったのがその裁判長の部だったんですけども,残念ながらその判決の時に私は海外にいて出席することができなかったんです。その時に傍聴した人から聞いた言葉ですが,ある痴漢事件で,もちろん否認をして,一審で実刑が下されたもので,結局高裁でもその実刑は維持されました。初犯です。一度逮捕された二日目に,自白らしきものをしてるんですが,その後否認に転じて,最初,迷惑防止条例違反だったものが,どういう訳か訴因変更で強制わいせつになって,ずっと八王子で戦って,東京高裁に行ったものなんですが,その量刑の理由のときにその裁判長は,「被告人は不合理な弁解を弄して犯行を否認し,被害者に慰謝の措置を何ら講じていないのはもとより,被害者を証人として尋問する結果を招いている。だから実刑もやむない。」というふうにおっしゃったそうです。これも伝聞ということになってしまうので,ここで追求しても何の意味もないとは思うんですが,訓戒以前の,どうして実刑なんだっていう時にですね,被害者を証人尋問をさせたのは悪いことというわけです。直接的な事を言えば被害者の証人尋問をしたのは検察なわけで,なんか信じられないような言葉が堂々と法廷で述べられているっていうことで,東京高裁って凄いとこだなとあらためて思いました。

 ごめんなさい,本のことにはあまり触れられなかったのですが,とりあえず最近気になったことです。裁判官の中でこの話をするっていうことはドキドキなんですけど,とりあえずぶちまけときました。


H裁判官
 ○○高裁のHです。周防さんがおっしゃった悪い例と言うんですか,名前は伏せますが,ある無罪判決の時にですね,合議の裁判長が,結論としては無罪だけどもきわめて有罪に近いという言い方,つまり自分は少数意見で,他の陪席が無罪だったから仕方なく無罪をする,というふうなニュアンスで訓戒をして物議を醸した例もあります。

 裁判官はですね,残念ながら他の裁判官の訓戒をあんまり聞けないんですね,ただ,若いときは陪席として,裁判長が訓戒をするのを隣で聞くことができます。その内容は,本来はCさんがおっしゃったように合議でしなければならないかもしれませんが,昔は,そんなことは裁判長が自分でいいようにされたんですね。私が初任の時についた裁判長はこんな訓戒をされました。検察官が開廷時刻に遅れてきたんですね。裁判長は厳しい方で,検察官が遅刻の時は,イギリスでは訴追権の放棄になるんだと厳しく言われて,強くたしなめたんですね。私はそれをどっかで使おうかなと,思って待っとったんですがなかなか検察官が遅刻しないんですね(笑)。

 私が○○支部にいたときに,弁護士さんで,常習の遅刻犯がいたんですね。あるとき「いつもすんませんすんません」と言いながら,法廷に現れたものですから,その弁護士さんに,検察官の例は言えませんので,「弁護士さん,あなたどんだけの人を待たせてますか。弁護士さん一人当たりのタイムチャージとってはる人がいるかどうかは知りませんが,それを計算したら20分の遅れはこんだけになりますよ,これからそういうことはやめなさい」と,先輩でしたけど,弁護士さんにそういうふうに注意をしました。そしたらですね,その弁護士さんは次からちゃんとまじめに,少なくとも私の法廷には遅れないように来るようになりました。民事における訓戒の一つの例だと思います。

 それから,Fさんのティッシュペーパーのことが出ましたね。実は私,Fさんと隣り合わせで仕事したことがあるんですね,ちょうどオイルショックの時で,そのトイレットペーパーとか,テッシュペーパーがなかなか手に入らなかった時だったので,どうしたらテッシュペーパーを確保できますかね,という話をしたことがあるんです。その時にテッシュペーパーにものすごく執着心を持っておられたくらいですから,その貴重なテッシュペーパーが,今度は,もう,いかにも軽くですね,駅前で配られるようになったとそういうことからおそらく,その発想がひょっとしたらあるのじゃないかなと,ま,穿った考えをしております。

 私は裁判官の爆笑お言葉集ではないですけれども,裁判官の少しさぶい駄洒落集をいずれ出したいなと思っておりますので(笑),その時はよろしくお願い致します。


長嶺さん
 いやー貴重な情報を頂きまして,そうですね,ポケットテッシュの発言が,ポケットテッシュが軽く配られているという嘆かわしさを表しているんだなということも,可能性はあるんじゃないかなと思いました。


司会
 今のHさんのご発言とも関連してるんですけども,裁判官が法廷で弁解しているっていうのが出てきますよね。弁解してるようなお言葉がこの本にも出てきますけど,確かに私たち裁判官というのは,判決を出す段階では絶対に,弁解めいたことを言わないというふうな教育を受けているんです。そういう雰囲気があります。実際のところ判決を書くまではしっかり悩むって言うか,ものすごい悩んでるんですけども,法廷では絶対そういう形は出さない,要するに最終的に実刑で懲役に行く人が,裁判官が未だに悩んでいる状態で行かせるというのは非常に失礼な話でして,そういうふうに私たち考えてきたんですね。

 私が陪席として関与したある刑事事件の判決言渡しのケースですが,裁判長が法廷で言うんですね。私はいろいろ悩んで,こうも悩んで,ああも悩んだんですよ。で,執行猶予にしようかとも考えたんですよ。しかし,でも,しょうがないから実刑にしましたというふうな言い方をするんですよね。私が一生懸命起案した判決なんですけども,で,そしたら傍聴してた当事者が,ガーッと騒ぎ始めましてですね,そんなこと言うなら執行猶予にしてくれればよかったじゃないか,って言ってワーッと騒ぎ出したんですよね。おそらくその被告人はきっと実刑に行くに当たって,納得して行けなかったんじゃないかなというように思うんです。やはりそのへんの言葉ってのは気を付けなきゃいけないなと私も感じておりまして,本当の意味で被告人の立場に立って考えたらそんな弁解なんか絶対できないなというふうな感じがしております。


I弁護士
 弁護士のIと申します。裁判官と爆笑という言葉の落差でもって売れたんだということおっしゃったんですが,この落差というのが面白かったし,それから,今日は,特に,裁判官から一生懸命にこの裁判官の肉声を伝えていただいてありがたいというようなご発言があったのに対して,長嶺さんはひょうひょうとしてですね,これは商品だと,ネタに使っただけだったと言うような,ひょうひょうとして受け答えをされたその落差がおもしろかったですね。社会的にも裁判官というものを市民に近づけたという点で,その長嶺さんの著作は改めて立ち読みだけじゃなくて買って読んでみようかなという誘惑に駆られたんですが,まだ考慮中でございます(笑)。いや,ありがとうございました。


J弁護士
 岡山で弁護士やっておりますJでございます。長嶺さんの本の中で民事裁判官の言葉が少なくて刑事裁判官の言葉が多いというようなことをおっしゃって,どうしたんだろというようなお話しがありました。当事者との遠近問題ですな,特に民事裁判の場合には一番重要なのは,やはりね,和解の席じゃないかと思うんですよ。最近の民事裁判官ね,どちらかというと和解が少ないです。私が弁護士になった当時の裁判官というのはね,もう和解や調停にものすごい熱心で,本当に一生懸命やって下さって,それをね,やはり依頼者が見聞きするわけです。裁判官はこんなに自分のことを考えてくださっとんかと,いうことをですね,通常の民事では,和解がない場合は裁判官の気持ちがは伝わらんわけですね。やはり和解を,民事裁判官はぜひ勧めていただきたい。そこで,自分がどう思っとんかと,事件をどういうふうに解明していきたいか,どういうことが貴方にとって得なのか,という話していただけるようになったら,刑事事件の場合と全く一緒で,民事裁判っていうのはすごいな,感謝しますということになるわけです。この場合には,言葉よりその事件に対する裁判官の姿勢,態度が大事だと思います。

 刑事なんですけれども,日本の場合は,法律上量刑の幅が非常に広いものですから,自分の気持ちを出すような裁判ができるんじゃないかと私は思うんです。その出し方はね,言葉ではなくて,やはり裁判官の日常の裁判のすすめ方,被告人に対してどういうように接していっておるかという,その態度だと思いますね。やはり人間です。 被告人も犯罪を犯しておりますが,それでも,人間的なつながりを求めとる人間だと思うんですよ。そういう意味で私はやはり温かい気持ち,だから裁判官ネットワークのようなね,こういうとこに入っておられる裁判官に裁判を是非お願いしたいとこう思っております。


司会
 ありがとうございました。激励も含めて承って,本当にありがとうございました。今日この場に,「日本司法の逆説」という本を出されておられます明治大学の西川先生が来られてますので,感想等も含めて何かご発言頂けたらと思います。


西川教授
 西川でございます。非常に興味深く拝見いたしました。私も,この本読ませていただいて涙した一人でございます。私は何を研究しているかと言うと,出世する裁判官,出世しない裁判官という非常に身もふたもないことを年中しておりまして,この夏休みに調べたことは,最高裁の判事ですとか,あるいは高裁長官,事務総局の局長に行く裁判官というのはどういう経歴の人なのかということをずっと調べまして,およその法則がでてきました。

 この本に取り上げられていますけれども,いま○○地裁の所長でその前に事務総局の○○局長,そういう経歴の方のことが,長嶺さんの本の一番最後に,この判事のような方にこそ裁判所組織の中でどんどん出世して欲しいと,こう出ているけですが,私も,彼の経歴を追跡しましておそらく出世するだろうと,そういうようなことを突き止めました(笑)。詳しくは今度論文を出すわけですけども,是非長嶺さんにもお読みいただきたいなということです。

 自分のやっていることばかりを申し上げましたけども,とにかく私も今から2年くらい前ですか,この裁判官ネットワークーに招かれました。初めて直に裁判官の方とお話しして,裁判官も人間なんだなと,そういうことを感じたわけですが,この本を拝読してさらに親しみが湧いたというか,いうことでございます。


K元裁判官
 私は昨年の8月に○○地家裁判事を辞めまして,今,年金生活をしております。この本のですね,裁判官の発言がどれだけ真実に合致しているかっていうことを質問したいんですね。多分直接に聞かれてないですからおそらく新聞とかですね,人から聞いたことということが資料かなと思うんですけども,複数の新聞で見ますと,違った言葉を言っているかもしれませんし,ということは,この裁判官の言葉というのはですね,記者などの文章力によって書かれているっていうことがありませんかどうか。どの程度裁判官の肉声と近いかっていうね,それが質問ですけど。


長嶺さん
 私は,少なくとも,自分が見た裁判に関しては全くいじっていません。自分のメモのとおり書いております。


L教授
 岡山大学のLと申します。私は,実は今ちょっと休会中なんですが,裁判ウオッチング岡山という裁判を傍聴する会の会長を何年かやらせていただいております。私もそういう会の会長をしていながらなかなか傍聴にいけない。一つには傍聴する日を決めて葉書なんかで会員に連絡するわけですけど,事件の特定をするのがすごく難しい,その日にどういう事件が入っているかっていうのはよく分からない。協力してくださる弁護士さんにちょっと情報いただいて,おもしろそうな事件について傍聴の案内をするんですが,そうするとなかなか都合が付かないっていうことがあってですね,一般の市民ではなかなか傍聴っていうのは難しいんじゃないかな気がしております。

 それが国の制度として本当にいいことなのかどうかちょっと疑問に感じることがあるんですね。そういうことでたくさんの裁判を傍聴されて,市民の傍聴をもっと増やすために,こういう工夫があっていいんじゃないかとかですね,例えばどういう事件か分かるようなシステムを作るような必要があるとか。例えば,長嶺さんはどういう情報の下に傍聴に行かれるのか,アットランダムに行かれるのか。そのあたりの経験も含めてですね,少し教えていただけたらというふうに思います。


長嶺さん
 裁判傍聴の傍聴人を増やすというお話ですけど,私の本を読んで,それをきっかけで傍聴に行きましたという方も,いらっしゃいます。具体的に,どうすれば増えるかというのもなかなか難しいですので,でも裁判員制度がはじまりますし,徐々に皆さんの関心も高まっていると思いますので,増えていくと思います。

 私は,できるだけ細かい事件をアットランダムに行くのが好きですし,あるいは,裁判官の名前に関心を持ち,見に行くこともあります。もちろん報道された事件でちょっとユニークそうだなと思ったのは,総務課に問い合わせまして,えー,初公判はいつか,法廷はどこかということを問い合わせてやることもあります。それはばらばらですね。



Mさん(女性参加者)

 よろしいでしょうか。実は今年の6月に岡山地裁で裁判員制度の模擬裁判がございましてそのおりに裁判員として参加させていただきました。

 実は長嶺さんのご著書はちょうど駅の構内で,ちょっと時間がありましたので,つられて買って,なんか楽しいなと感じました。爆笑というそのさきほどおっしゃった,一般市民には非常に敷居の高い裁判と裁判官のほんとの肉声,人間的な暖かみを感じるお言葉とそれから裁判官の思いですね,そのギャップが国民に受け入れられるんではないかということで先ほど話なさいました。その爆笑というタイトルは非常に伝わりまして,興味深く読ませていただきました。

 それを読みましてしばらくして模擬裁判の体験をさせていただくことになりましたので,大変強い印象を持っているんですけれども,まず,裁判官の方が本当に日々激務の中を,葛藤をもちながらお務めをしていただいているということに国民として非常に感謝の思いと信頼の思いを強く致したわけなんです。

 裁判員といいますのはやはり素人ですので,法廷に立ちましたときに非常に強い混乱の気持ちで,4日間を過ごしたわけなんです。裁判官の爆笑お言葉集ということになぞらえますと,裁判員の悲痛お言葉集というふうになるかと思うんですが,本当にこれでいいのだろうか,被告人,そしてまた被害者,それから被害者の家族,また被告人の家族,いろんな人間関係の,人生の左右される非常に重大な局面をこの素人が担っていいのだろうかという複雑な葛藤をもちまして,模擬裁判と分かっていましても大変な重圧を感じたわけです。

 特に,量刑を決める合議の場では,一人一票ということで大変重い責任を負うわけですけれども,量刑を決める基準がよく分からないので,非常に困惑して,本当にもう混乱,困惑の状況で進んでいくわけです。そしてまあ,一般の国民に分かりやすい裁判をということで,分かりやすい言葉で説明をしていただくんですけれども,かえってそれが分かりにい時もあります。感情に左右されているんではないかという,自分自身の葛藤を重く持つわけです。ですので,そのような気持ちの裁判員に配慮していただいた上で,裁判員が自分の意見が言い易いような説明をしていただける,そのようなシステムを確立していただけたらと思いました。それと,裁判員制度も始まりますし,教育の現場でもっと法律を学ぶ機会を増やしていただけたらいいのではないかと思います。


N弁護士
 昨日夜にですね全国痴漢冤罪裁判弁護団会議というのがありまして,その飲み会ですけども話になってたのは,裁判官はパチンコ台,非常に不見識なことを言って申し訳ないんですけども,パチンコの台が裁判官だという議論をしていました。

 なぜかというと,いい台に当たれば勝つけれども,悪い台に当たれば負けてすってしまうと。つまりですね,弁護団会議では一審有罪,逆転高裁無罪という判決をずっと勉強してるんですけども,ま,そういう話の中でですね,まだ,東京はいいよな,台がたくさんあるから,岡山は台が一つだよということでですね,まあ,東京と岡山という地方都市の落差,これも非常に問題なんですけども,そんな話をしていました。

 この本を私も読ませていただきました。1月に「それでも僕はやってない」という映画が見る機会があったんですね。あの映画非常にインパクトがあってですね。実は,現に係属中の事件ですけから,あまり生々しいことは言えませんけれども,○○地裁の1号法廷,100人入る,101号っていう法廷ですか,だいたい満員になるくらい傍聴者が来ました。やっぱりこれはあの映画の影響なんですね。被害者の供述をどういうふうに評価するかという,刑事裁判の事実認定の究極の問題になることが今試されているということです。

 裁判官が身近になったとか国民が司法に大きな関心を持ち出したという点では,長嶺さんの本は,非常に大きな意味がありました。刑事裁判は今曲がり角に来ていると思いますけども,やはりパチンコの台と言われるようなことがあってはならないんで,長嶺さんにも,爆笑だけじゃなしにですね,そういう視点でまたいろいろ書いていただけたらなと思って発言しました。 


B裁判官
 今度は,感想も含めて自己主張をちょっとさせていただきます。いま本質的な所で,裁判官パチンコ台論というのがありました。それで,裁判官の名誉のためにちょっと反論も含めてお話ししますと,弁護士パチプロ論,というかですねそういうのもあるのかなと思います。この事件は無罪を主張しなければならないのに,主張しない弁護人というのも確かにおられます。周防監督が言われたようににいろんな評価のある裁判官が確かにおられます。裁判官から見るとですね裁判官以上にいろんな方がおられるのが弁護士さんの世界だというのが本音ではないでしょうか。私が刑事事件を担当している際には,ほんとにこれは無罪を争わなきゃいけないのになと思って,争っていない事件というのは正直言って何件もありました。で,なんで争わないのかなと思うとやっぱり国選事件だったりしてですね,もういいじゃないかと,もう認めてますよとか言ってね,弁護士が諦めてしまっている事件があるのです。素人の被告人が認めても法律家は争わなきゃいけないのではないかなというのが正直言ってありました。こんなことを言って,裁判官と弁護士が,お互いに愚痴を言い合っても仕方ないんですけどね。ただ,裁判官も弁護士も,一生懸命やっている場合がほとんどなのですが,人間故の限界や人間くささというのも十分あるのですね。

 この本の良さっていうのは,僕はやっぱ人間がやっているのが裁判なんだということを改めて,一般の人に伝えたことではないかと思います。私は,裁判官は,いろんな人間的なこともいろいろ考えながら,裁判をしている,しかも考えさせられるというのがですね,そういう面が裁判の本質としてあって,外には出ないのですが,いろいろ考えることが多いんだといつも思っています。これを,是非みんなに伝えたいなと思っているのですが,そういう思いを持っている中で,この本が出て非常に良かったなと切に思います。

 私は,ちょっと裁判の世界から2年ほど出向して外に出,預金保険機構っていう金融破綻の処理しているところに行きました。そこで,日本銀行という,銀行の親玉みたいなところの人が言ってたことで,はっと思ったんですけど,これからの世界はやっぱり法曹界っていうか裁判とかに関与している人の中に,世の中にとって一番大事なものがあるんじゃないかというようなことを言われました。ちょっと,その趣旨を説明します。裁判で扱っているものというのはですね,それこそ何があったのかっていう事実ですね,真実は何なのかというのをみんなで見抜くっていうことです。これは大事ですね。それからこの本でもいろいろ出てきますけど,最近,虐待の事件多いですね。あと,切れて殺人を犯すとか,近親憎悪で事件を起こすとか,目を覆うような事件が絶えませんね。こうした事件の中に,なんか世の中で忘れられてはいけないものというかですね,親子の問題とか,夫婦の問題とかいろんなこう,本当に基本的なことが,毎日問われているのではないか。その基本的なことを毎日,再確認するような作業が裁判の中にあるのではないかということです。つまり,これが世の中で大事なんだっていうようなことを裁判の中で確認するのではないかというようなことを日本銀行の人が言っていたのです。

 僕も毎日,当たり前,ルーティンのようなことやっているので多くのことを当たり前だと思ってたんですけど,世間の人が僕らとしゃべってて,裁判の仕事を,先に述べた日本銀行の人のように思うんだなと感じました。やっぱり,日々そういうのを僕らも感じなければならないのでしょうね。そして,日々考えながらやっていることを生かして,国民の皆さんと一緒に議論したりすれば本当にいい裁判になるんじゃないかなと思います。その議論の時には,裁判官はやっぱり人間として自分はどう考えているんだということをもっと出していかなきゃいけないんですね。また,色々な人に出会わないといけないですね。ある意味で,裁判官がいいパチンコ台になるためにはですね,いいパチプロの人にも当たり,変なパチプロの人にも当たり,またパチンコをぜんぜんやってない人にもあたり,学びながらですね,裁判官も成長しなければならないし,実際そういう出会いで成長しているんだということを是非お伝えしたいと思います。


O裁判官
 裁判官爆笑お言葉集読ませていただきました。借りて読ませていただきました。すいません,買ってません(笑)。私は,民事の裁判官が長かったんですけど,民事でも刑事でもその事件に向き合って,真剣に考えると,書かれたような言葉はですね,私も載っけてもらってもいいよなあというような言葉は3つ4つは見つかるくらいでして,本当に裁判官っていうのは事件に向き合ってですね,深い仕事っていうか,この仕事は本当に大好きなんですけども,それだけ責任もあるし,汝裁くことなかれっていいますよね,ほんとに誰かやらないからからやっているだけであって,本当はやりたくない仕事だと思います。

 しかし,人や記録と向き合って真実は何か,この人にとって何が一番いい解決かと考えることは本当に非常にいい仕事だなあと反面思っております。先ほどパチンコ台の話が出ましたけども,まあ,Bさんに反論するわけではないですけども,刑事裁判官としては数年の経験という感じなんですけども,「裁かれるべきは誰か」という本をなかなか読む暇がなかったんで,今日,ここに来るバスの中で読んだんですけども,この前半に出てくるT裁判官の判決ですが,ああゆう判決を書くように教育されているのが刑事裁判官です。ですから,世間の非常識がやっぱりまかり通っているのが刑事裁判官の世界じゃないかなと私は思ってます。ですので,出ないパチンコ台に当たる可能性は十分あるなと私自身思ってます。

 最後に,長嶺さんにお願いなんですけども,再犯のことについて書きたいとおっしゃいました。裁判官にとっては,私もほんと数年単独裁判官やったんですけども,この被告人またやるなっていう方がたくさんおられます。一番大きいのは,親族もいない,仲間もいない,まあ,親しくできるのは犯罪者仲間だけという方がたくさんおられて,それでまあ,再犯率が高いということになってます。

 私は,法廷で判決を言い渡した時,被告人に今度またやりたくなったらおいでって言ったことがあるんです。実際に私の部屋に尋ねてきてくれました。もう3日食べてないと。ごはん食べさせて,それで,私の知り合いの生活保護の係の方につないで生活保護でうまく今いってるようですけども,ま,なんかそういうのは,空しいんですね,裁判官として。だからそういうなにか,売れないかもしれませんけども,そういう本をですね是非とも書いていただいて,そういう再犯者の実態をですね,国民の方に知ってもらうような本を是非とも書いていただきたいなとそう思っております。頑張ってください。


P裁判官
 長嶺さん,今日は長時間どうもありがとうございました。本を買う立場,あるいは売る立場としてはなかなか難しいところもあるかもしれませんが,これを機会に,裁判官の肉声と言うか,裁判官の本音というか,そういうのをまた,新たなテーマにしてですね,出していただけたらと思います。