● 広辞苑で考える裁判員制度 その1
安原 浩 (広島高等裁判所 岡山支部) 
 新聞紙上でご存じのとおり5月20日に裁判員制度に関する法律(正式には「裁判員が参加する刑事裁判に関する法律」といいます。)が衆参両院で可決成立しました。これまでにもその立法化に向けた動きが新聞テレビでよく報じられていましたから,裁判員制度についての知識はかなり広まってきていると思われます。それでも法律自体も長文ですし,どのような制度でどう変わるのかなど具体的な内容についてはまだまだ知らない方も多いのではないでしょうか。

 司法機能の強化と市民に開かれた司法を目指す現職裁判官の集まりである日本裁判官ネットワークでは司法改革の動きを基本的には積極的に評価していますが,これからの細かな制度設計にはもっと国民の理解と積極的な参加が得られるよう,各方面の意見を取り入れてほしいと切望しています。そのためにはこのホームページをご覧になる方々にまず裁判員制度に強い関心を持っていただこうと考え,とりあえずこの制度に関連しそうな漢字を選び,その意味を広辞苑に求め,それを手がかりとして裁判員制度についてのわかりやすい説明を試みてみました。各回とも簡単に読めますので是非ご覧ください。ただしすべて私個人の見解でネットワーク全体の意見ということではありませんのでご注意ください。私としてはご質問にも全部は無理としてもできるだけお答えしたいと考えております。
 
 第1回 裁判

 手元の古い広辞苑(第2版)によりますと,チ物事を治め管理すること。また民政を管理すること。ツ正邪・曲直を判定すること。B裁判官が具体的事件につき公権に基づいて下す判断。とあります。チの用法は古いもので現在ではほとんど使われることはなく,ツとBのイメージが普通と思います。なかでもツが裁判の本質をBがその形式を示しているといえます。

 裁判員という言葉は新しい版の広辞苑にもありません。なぜなら今回の司法改革で初登場の新造語だからです。もっとも今回の法律成立で正式な日本語に昇格したことになります。似た言葉としてイギリスやアメリカに陪審員,ヨーロッパに参審員という言葉があります。陪審員は選挙民から抽選で選ばれて裁判をする人,参審員は議会などで推薦され,裁判官とともに裁判する人のことですが,裁判員は選挙民から抽選で選ばれ,しかも裁判官とともに裁判する人ということで,陪審員と参審員を合体したものといえます。そのため諸外国にも例のない新制度ということになります。

 ではなぜ法律に素人の人が裁判に参加する制度が世界中で採用されているのでしょうか。そのわけは地動説と天動説の対立に代表されるように自然科学の知識については,一般人の常識や良識とはある意味で無縁といえますが,法律学のように,世の中の何が正義かとか,法律の正しい解釈は,というような人間と人間との関わりに関する学問では,専門家である法律家や学者の意見ですべて決まるわけではなく,むしろ最終結論は一般の人が決めるところにその特色があります。もちろん専門家の意見は尊重されますが,その結論が一般の人の常識や良識に反する場合には,むしろ後者の意見が優ります。それは国民から不評の法律が改正されたり,最高裁判所で確立した判例がその後の最高裁の判決で実態にそぐわないとして変更されるという現象が時々起きることからも明らかです。

 法律という分野は,堅い,分かりにくい,怖いというイメージがつきまとい専門家に任せれば良いといことになりがちですが,一般の人々が納得できない法律やその解釈は無力といえます。法律や裁判が,力の強い人やお金持ちにもそうでない人にも平等に適用されていると感じられれば安心して日常生活が送れることになりますが,その逆の場合はそれこそ治安が悪いということになりかねません。そこにいかめしいとも思える裁判に,素人の良識を取り入れる必要性が生まれ,それが諸外国で素人裁判官が存在する理由です。日本の裁判員制度もプロとアマの組み合わせが納得できる裁判を生み出すという考え方に支えられています。

 第2回 反映

 手元の広辞苑によれば,「反映」とは 光が反射して像ができること。色などがうつりあって美しさを増すこと。とあります。いずれにしてもなにかが外から影響を及ぼした結果,新鮮なものが生まれることを指している言葉ではないでしょうか。裁判員制度は裁判に市民の声を「反映」させるために創設する,と司法制度改革審議会の報告書にはあります。

 今回の新制度では原則,裁判官3人に裁判員6人という案が実現しました。反映という言葉からすれば,裁判員の方が十分活発に意見を表明し,裁判官のみの裁判にはなかった新鮮な雰囲気が生まれるような制度設計を考えることが大切と思いますが,その意味でこの人数比はぎりぎりのところでしょうか。今回の法律では,起訴事実に間違いがないと被告人が答弁するような事件については,関係者に異存がなければ裁判官1人,裁判員4人というコンパクト構成も可能な仕組みとなっています。

 市民の声を反映させるというためには,人数の多少だけではなく,裁判官との協議がどうすれば十分に行えるかという点も重要です。そのためには裁判官にはこれまで必ずしも必要のなかった法律家以外の人との対話能力や,司会能力等が求められます。またイタリアでは最終の評決の際の裁判員の意見発表は年齢の若い人から順にさせ,裁判官の意見は最後にしなければならない,と発言のしやすさに配慮した手続きを決めているようですが,このようなきめ細かな配慮も必要かもしれません。今回の法律に具体的規定はありませんが,裁判員の男女の比率がかけはなれないように,最低2人の同性が抽選されるような工夫も必要ではないでしょうか。(つづく)

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