アメリカ合衆国大統領選挙
アメリカ合衆国大統領選挙における民主党候補指名争いのは,この半年余りの間,大接戦を繰り広げ,日本でも大々的に報道されています。その行く末は多くの人の関心を呼んでいます。大接戦を繰り広げているのはヒラリー・クリントン氏とバラック・オバマ氏。ヒラリー氏は,ビル・クリントン元大統領の奥さんで,元ファーストレディーですから,もともと有名な方ですが,今年は,オバマ氏共々,世界的に名前が挙がることが多かったと思います。また,オバマ氏のおかげで,日本の小浜市(福井県)も話題になることもありました。小浜市の隣県(滋賀県)で育ち,小浜市の自然と仏像が大好きな私は,何となく嬉しいような,恥ずかしいような・・・。
ところで,このお二人は,上院議員のようですが,もともとは弁護士であることも有名な話です。ヒラリー氏は,アメリカ合衆国で最も有能な100人の弁護士に選ばれたこともあるようです。
そういえば,ブレア元首相(イギリス),シュレーダー元首相(ドイツ)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領(韓国)、陳水扁(チン・スイヘン)元総統(台湾)は皆弁護士の出身です。フランスのサルコジ現大統領もそうです。アメリカ合衆国においては,歴代大統領の半分以上(43人中20数人)がなんと弁護士出身だそうです。びっくりですね。
弁護士が政治家として活躍する理由は?
弁護士は,自由業で,政治活動をするには,時間が取りやすいという理由があるかもしれません。これは日本を含めた割と世界共通の事情でしょうね。
でも,日本の司法改革に関心を持ち,法曹の世界の変化を目の当たりにしている私から,アメリカ合衆国の事情を眺めると,勝手な憶測ですが,弁護士が大統領に多い理由として,いくつか挙げられるような気がします。
第一は,移民国家アメリカ合衆国では,共通の文化的基盤が薄いために,どうしても法律に頼る面が大きく,それ故に,法律を駆使する弁護士の役割が社会的に大きいのではないかということです。確かに,異なる国から移民してきた人たちが,秩序を持って社会生活をおくろうとすると,どうしても代表者が集まって決めた法律を基準にするしかないような気がします。それだけに,法律に接し,法律の長所にも短所にも接しやすく,法律の作り方にもなじみやすい弁護士は,法律を作り,実施する政治家に向いているような気がします。現代政治学の第一人者ともいうべき佐々木毅教授の「政治改革と司法改革を結ぶもの」(自由と正義 2006年 Vol.57 No.2)は,とても示唆に富みます。
第二は,弁護士の職業的能力です。上記のような法律立案・実施能力だけでなく,民主主義の世の中では,選挙する人たちに,訴える能力が弁護士には備わっている気がするのです。これは,陪審制を基本とするアメリカ合衆国の法廷活動を見るとよくわかります。アメリカ映画では,法廷の場面がよく出てきますよね。その中で,陪審員に訴えるために,延々と,原稿などなしに話しかける弁護士をよく見ますね。あれは,どうも掛け値なしの姿のようです。そのため,アメリカ合衆国の弁護士は,日々の仕事の中で,演説の練習をしているといっても言い過ぎではないのではないでしょうか。
第三は,豊かな法曹人口に支えられた人材の宝庫であるという点です。人口比にしますと,アメリカ合衆国は,日本の約20倍の弁護士が存在します。もちろん,弁護士間に格差はあるでしょうが,日本の人口比20倍も弁護士が存在すると,やはり有能な人も沢山集まってきている感じがするのです。もちろん,有能というのは,弁護士の仕事ができるとか,法律の立案能力があるなどというだけでなく,経済,文化,歴史,教育,科学など,いろいろな分野に理解を示す能力などもいうのだと思います。これを支えるのは,やはり豊かな法曹人口だと思うのですが,比喩的にいうと,小さな市場ではなくて,大きな市場だからこそ,多くの選挙民から信頼を勝ち得る人たちが集まってくるのではないでしょうか。
我が国でもそうなのでは?
ここまで書いていたら,あれ,日本もそういう方向に進んでいるのではないかという気がしてきたのですが,皆さんはいかがですか。
まず第一に,アメリカ合衆国と日本では,歴史も社会の成り立ちも違うのですが,最近は,日本もグローバルスタンダードとやらに巻き込まれて,日本独自のものだけではすまない社会になってきていますよね。義理人情や話合いだけは何ともならないのです。また,国内でも,世代間格差が広がり,職場や地域社会,家庭がうまくいかなくなって,法律で解決しなければならない分野が急速に増えている感じがします。さらに,何かと厳しい世の中になって,企業も行政も何もかも,コンプライアンス(法令遵守義務)が強調される世の中になっていますね。そうした中では,弁護士の重要性が高まっているのではないでしょうか。
第二に,日本でも,いよいよ来年から,裁判員制度が始まり,書面で専門家がやりとりする法廷の文化から,丁々発止で,裁判員を口頭で説得できるかどうかが鍵の法廷文化に変化していくような気がします。従来は,民事訴訟の改善はありつつも,日本の司法は,やはり書面主義だったと思うのです。でも,裁判員制度が始まれば,難しい書面で弁護士が説得する文化は後退を余儀なくされるのは間違いありません。「劇場型」と非難されようが,わかりやすい説得こそが,法廷の文化となり,弁護士の演説能力を高めていくのではないでしょうか。
そして,第三に,日本でも,司法試験合格者の増加によって,豊かな法曹人口に支えられた人材の宝庫になるのではないかという点です。司法試験制度が揺れ動いていますから,社会人の法曹参入は,一筋縄ではいかないのですが,それでも,かつてに比べると,飛躍的に多くなっています。女性もかなり増えています。あまりいうのも何ですが,旧帝大卒業生も,行政よりも司法に向く人が随分増えたと,司法修習生から度々耳にしました。
そうすると,社会の成り立ちや歴史は違うのですが,弁護士の重要性,弁護士の能力,弁護士の人口のどれを見ても,アメリカ合衆国で弁護士が大統領に多い事由の次第に日本でも揃いつつあるような気がするのです。
大変だけど,がんばりましょう。
今,日本の弁護士会は,法曹人口の問題を幹にして,大きな岐路にあるようです。
法曹人口の問題は,今回の平成司法改革の根本にあった事柄です。それだけに,これからの方向性は,弁護士だけでなく,日本国民全体にかかわるような気がしています。裁判官の私がいうのも何ですが,今年の日本弁護士連合会の会長選挙には,上記のような岐路にあることが如実に出たようです。
法曹人口の問題は,弁護士の皆さんの生活に関係しているだけに,軽々に論じられないところがあることは否定できません。しかしながら,一人一人は大変でも,法曹全体の重要性,地位はますます上がっているのではないでしょうか。そしてそれの行き着く先は,やはり,日本の総理大臣が弁護士から出る時代がくるのではないかと思うのです。今でも,政治家になっておられる弁護士は多いのですが,総理大臣になるのはこれからでしょう。司法改革の申し子である30歳台,20歳代にそういう人が育つのではないかと予想しています。
何度もいうようですが,一人一人は大変ですが,この先には,そんな日本が待っている気がするのですが,いかがでしょうか。夢想にすぎないでしょうか。
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