驚異的な生命力
今年7月25日,第11代最高裁長官の矢口洪一氏が亡くなった。享年86歳。矢口氏は,70歳で最高裁長官を定年退官後に,癌等で何度も手術が必要となる身となったが,そのたびに生き延び,失礼ながら,他の最高裁長官には見られない様々な影響力を行使した。私は,正直,その生命力に驚嘆したが,おそらく矢口氏の生前の「活躍」は,この生命力に裏付けられていたのではないかと確信している。この生命力には,老若男女問わず,是非学びたいものである。
忘れられない名前
ところで,私(昭和34年生,47歳)より上の世代,特に50代半ばからそれ以上の世代の法律家にとっては,矢口氏の名前は,忘れようにも忘れられない名前のようである。読者の方々の身近に,その世代の法律家がおられたら,判事,検事,弁護士,学者を問わず,是非聞いていただきたい。おそらく,この上なく強烈な印象を述べられるに違いない。
矢口氏は,世間で「ミスター司法行政」と呼ばれるように,裁判実務ではなく,司法行政という裁判所の総務・人事・経理等の仕事を長く担当し(裁判官生活42年のうち,30年を最高裁,特に事務総局で過ごした。),裁判所の実力者と見られている。しかも戦後最大の実力者と見られていると言っても過言ではないであろう。その在任中には,実に様々な出来事があった。死亡を報じるニュースの中には,最高裁長官在任中に,若手判事補の民間企業等への研修制度の実施や陪審・参審制度の研究に着手するなど、業績面を称えるものが多かった。最高裁長官の定年退官後に,「裁判員制度」について、市民と裁判官の人数比を「裁判員11人、裁判官1人」とする案を出したことなどの報道も同様である。
しかしながら,矢口氏は,1970年前後,「司法の危機」と呼ばれた時代には,人事担当の責任者の1人として,非難の嵐の中におられたのも事実である。これが実は,負の遺産となって,上記のような法律家の強い印象になっているのは間違いがない。
大物政治家と同じように,賞賛と批判がこれほど混在している裁判官も類を見ないであろう。その評価は,後生の歴史家の仕事かもしれない。
大物たる由縁
その矢口氏は,上記の「司法の危機」をきっかけに,現場の裁判官で作られた「裁判官懇話会」という研究会に,平成11年に招かれた。矢口氏にとっても,裁判官懇話会に参加している裁判官にとっても,複雑な気分だったに違いない。矢口氏が招かれたということで,欠席する裁判官も少なからずいたと聞いている。しかし,矢口氏は,「こういう機会に私が出てきたのも、どうせ皆さんから、苦情は出てくるだろうとは思っていましたが、私自身そう永い身ではありませんから、これで何らかのお役に立つならばと思ったのです」と述べ,会場から出た厳しい質問にも,それなりに返答をしていた(判例時報1698号)。「司法の危機」は,戦後司法にとって最大の傷であるように私は思うのだが,矢口氏が批判を回避せずに,自ら質疑応答に応じる姿を見て,私は本当に大物だと感じざるを得なかった。新聞にも投稿して,「歴史的な和解」として高く評価した(平成11年12月15日、朝日新聞・論壇)。しかし,これももう懐かしい思い出となってしまったようである。
学んで欲しい司法の歴史
実は,私は,裁判官に任官したとき,最高裁長官が矢口氏で,判事補任命の辞令を最高裁の建物の中で,矢口氏から直接もらったのである。それから20年近くの年月が流れたが,前記の新聞投稿といい,ちょっとした縁(えにし)を感じないわけではない。しかし,そんな個人的なことはともかくとして,前記のとおり,矢口氏ほど評価が分かれる裁判官はいないのであり,その足跡をたどることは,日本の司法の歴史を学び,またこれからの司法像を描くのに格好の材料であると思われるのである。しかし,法律学者でも,「民法」「刑法」など,特定の法律の分野は研究していても,「司法」や「裁判所」をトータルに研究している人はほとんどいない。法科大学院生や司法修習生でも,司法の歴史に関心を持つ人はとても少ない。自分のスキルアップを図ったり,目の前の制度の変化について行くのが精一杯という感じである。それは,私自身も同じであるから,偉そうなことは言えないのだが,上記のような関心の低さはとても残念なことだと常々思っている。もっとも,矢口氏の生前,政策研究大学院大学が「矢口洪一オーラル・ヒストリー」という矢口氏からの聴取りをまとめている。私は,これは大変貴重な資料だと思っているが,矢口氏も『最高裁判所とともに』(有斐閣、1993年)という著書を遺している。こうした資料や,山本祐司「最高裁物語(上・下)」(日本評論社、平成6年),萩屋昌志「日本の裁判所ー司法行政の歴史的研究ー」(晃洋書房,平成16年)などの書物を,法科大学院生や司法修習生の方々は是非読んでいただきたい。また,学者の中に,司法の歴史を研究する若い学者が育って欲しい。これは,司法の未来のために,私の心からの願いである。
(今回は,ですます調の文章にはしませんでした。あしからず。) |