● Judgeの目 その8  裁判官の報酬には哲学が必要だ
  
〜人事院勧告を直ちに裁判官に準用してもよいのか。
浅見 宣義(大分地方裁判所) 
衝撃の最高裁判決
マスコミでもかなり報道されましたが,9月14日,最高裁判所で憲法違反の判決が出されました。国外に居住する日本人が,衆議院議員選挙の小選挙区で投票できないようにしている公職選挙法の規定が,憲法に反するとしたものです。しかも,立法の怠慢による国家賠償を1人当たり5000円ずつ国が支払うよう命じました。選挙権という民主社会での重要な国民の権利について,国会の怠慢によってその権利行使の機会が理由なく制限されているとして,最高裁判所がその救済を命じたのです。

 読者の皆さんの中にも,新聞の一面にでかでか書かれた記事を見て驚かれた方も多いのではないでしょうか。



国や地方公共団体が被告になる事件
 こうした,国や地方公共団体が被告になる事件は,最高裁判所に限らず,地方裁判所や高等裁判所にも数多く係属しています。行政事件や国家賠償事件の形をとることが多いようです。こうした事件は,マスコミだけでなく,国民の皆さんの関心が高い事件が多いと思います。このため,国や地方公共団体が敗訴する判決が出ますと,新聞やテレビで大きく報道されることが多いのです。そして,そうした判決は,国や地方公共団体に反省を迫るため,現実の影響力も大きいと感じるのは私だけではなく,多くの裁判官の率直な気持ではないでしょうか。

 裁判官は行政よりだとか,国に甘いという批判もあるのですが,多くの裁判官は,原告や被告が誰であっても,一つ一つの事件を区別することなく,法と良心に従って全力投球していると思います。どのような事件であっても,事実(真実)は何かを証拠に従って判断し,あるべき法解釈を,立法趣旨,判例,学説,結論の落ち着きなどを考えて,真剣に追及するものです。そのため,冒頭に述べた最高裁判決のように,憲法も含めた法に反すると判断される限り,原告がたった1人でも,また,どのようなレベルの問題でも,国や地方公共団体が敗訴する判決が出る可能性があるのです。近年の例では,小泉首相が控訴を諦める決断をされたハンセン病に関する熊本地方裁判所の判決(平成13年)や,福井敦賀市の「もんじゅ」の原子炉設置許可処分の無効確認を認めた名古屋高裁金沢支部判決(平成15年。ただし,最高裁で覆されました。)などが有名です。こうした権限があるのは,日本社会の中で,裁判所だけなのです。このことは,国民の皆さんに是非ご理解いただきたいと思います。「そんなことは,学校でも習う基本的なことだ」と言われるかもしれませんが,今回の話の前提ですので,お話しすることをご容赦下さい。

 比喩的に,司法が人権の「最後の砦」と言われることがありますが,法的にはそのとおりなのです。人権侵害の事例が会った際に,当該侵害されたものの個人的努力だけでなく,各種団体,弁護士会,行政機関等で人権が救済されることは沢山ありますし,政治過程の中で取り上げられることによって救済目的が果たされることもあるでしょう。しかしながら,それらが万策尽きてもなお,最終的には司法の場が残っているのです。



判決には裁判官の私情が決して入ってはいけない
 すべての事件がそうですが,上記のような事件でも当然,裁判官が,どういう判決をするかにおいて,裁判官個人の利害,心配,感情などが影響を受けることが決してあってはならないのです。つまり,「この原告は気にくわない」だとか,「この地方公共団体は印象が悪い」などといった感情だけでなく,「こんな判決をしたら行政にどう思われるか心配」だとか「この判決で,自分はどうなるかわからない」などという心配が決して入ってはいけないのです。それが入ると,裁判ではなくなってしまいます。自分を離れて,心静かに正義は何かを追及するときに,司法の真の役割を果たせるのでしょう。

 裁判官には,公正,中立という裁判官倫理が必要といわれますが,これは,上記のように,裁判に裁判官個人の利害,心配,感情などが入らないようにするためです。私は,その倫理を制度的に支えるのは,「裁判官の独立」「裁判官の身分保障」と言われるものだと思います。裁判官の独立や裁判官の身分保障は,裁判官が誰からも指揮命令を受けないこと,裁判官が意に反して免官,転官,転所等を受けないことを指していますが,これらは,裁判官であっても人間であることを前提にして,公正,中立な裁判をさせるために,裁判官個人に倫理的に期待するだけでは当然足りないとして,それを支える制度を整備したものです。日本国憲法だけでなく,世界各国の憲法で規定されています。つまり,これは,裁判官が真の裁判をするための人類の英知といえるものだと思います。



裁判官の身分保障で考えること
 裁判官の身分保障の重要な内容として,「裁判官の報酬は在職中減額されない」という憲法の規定があります。これは,立法や行政にとって,不本意な判決を出した,又は出すおそれのある裁判官を報酬の面で危機に陥れることがないようにするための規定ともいえます。もちろん,司法内部でもそのようなことが行われないようにする保障も含みます。アメリカ合衆国憲法やイギリス最高法院法にも同趣旨の規定が存在します。

 このように,裁判官の身分保障にとって,報酬の問題は,憲法で書かれるほど重要なものなのです。何回も繰り返すようで恐縮ですが,裁判官の身分保障は,裁判を中立,公正にさせるため,時には,前記のように国や地方公共団体が被告になる事件であっても,裁判を中立,公正にさせるためであって,裁判官個人に特権を与えるというものではありません。

 裁判官個人への特権ではないにしても,上記のような趣旨からすると,報酬の問題は裁判官の身分保障の問題としてとても大きいものです。その性質上,サラリーマンの方々は当然として,自営業者や企業の経営者の方でもご理解いただけると思います。そうすると,形式上は減額とはいえないけれど,裁判官の報酬が行政や立法に握られているとしたらどうでしょうか。先ほど述べましたように,裁判官は,国や地方公共団体が当事者であっても,法と良心に反する限り,行政や日本社会にあるべき判決を,法と良心に従って判断しなければなりません。しかし,そういう立場なのに,立法や行政に報酬が握られているとすると,本当に真の裁判をしているのか心配だ,という印象は国民の皆さんに生じないでしょうか。少なくとも,「どういうこと」といった疑問は生じるのではないかと思います。



人事院勧告問題とは何か。
 現行の制度では,内閣が作り,国会が議決する国家公務員の給与体系にリンクして,裁判官の報酬等に関する法律(裁判官報酬法)が定められています。つまり,裁判官は,独立で身分保障がされているようですが,報酬は,内閣が原案を作り,国会が議決する裁判官報酬法及びその改正によることになっているのです。もちろん,裁判官報酬法の改正には,最高裁判所の関与もあるようですが,内容は国家公務員一般にリンクしていることは否定できないところです。

このため,公務員の給与についての方針が,実質裁判官の報酬にも直接影響が及ぶ体系になっています。今年の人事院勧告は,中央と地方における民間の給与格差を,そのまま国家公務員に反映させようというものです。つまり,全国共通に適用される俸給表の水準を平均4.8パーセント(中高齢層はさらに2パーセント程度)引き下げる,民間賃金が高い地域には,3パーセントから最大18パーセントまでの地域手当を支給するという重要な内容を含んできます。その当否は,政治過程で判断されるべきものであり,私達司法の人間がとやかく口を出すべきものではありませんが,行政と同じ形でそのまま裁判官に当てはめることには,慎重さが必要だと思います。今回の人事院勧告では,結局,地方と東京では,同じ裁判の仕事を真剣にしていても,最大18パーセントの差がつきます。私の属する大分地方・家庭裁判所も,東京の裁判所に比べて18パーセントの差が生じます。今後,全国で,おそらく今まで以上に東京に行きたい,東京に残りたい,地方に行くなら裁判官を辞めるという裁判官も出てくるでしょう。今回人事院勧告を裁判官報酬の面でも受け入れると,今後さらに,都市と地方の民間給与の差が大きくなれば,当然受け入れざるを得なくなり,またその他の公務員の給与に関する変動をすべて,裁判所としても受け入れざるを得なくなる可能性があります。その限度は,憲法,法律上全く存在せず,裁判官制度への悪影響は増大すると懸念されます。

 一番心配されるのは,裁判に自分の利害や私情が入る結果とならないかということです。意に沿わない転所(転勤)を求められた裁判官や,地方を本拠にして誇りを持っている裁判官の中には,今回の人事院勧告で腐る裁判官もでないとも限りません。本来,裁判官に特権を与えるためではなく,真の裁判をさせるために報酬の規定が憲法に入れられているにもかかわらず,行政の影響を受けて,裁判官の地位が不安定になる,特に今の方向では地方の裁判官の地位が不安定になるのは,許されるのでしょうか。



裁判官報酬には哲学が必要だ。
 私は,国の財政や国民生活一般が大変な時期に,自分たちだけが,憲法等による身分保障をたてに特権的なことを主張するつもりはありません。場合により,一律の減額も必要だと思います。また,三権(立法,行政,司法)のチェックアンドバランスや,財政民主主義の面からの縛りも必要でしょう。しかしながら,そもそも,行政官と裁判官は地位,職務が異なっており,憲法,法律上の身分及びその保障に違いがあります。報酬の変更は,裁判官の独立・身分保障のほか,裁判官制度,司法制度の特徴を十分踏まえたものでなければならないと考えています。そのため,裁判官の報酬のあり方については,真の裁判を裁判官にさせるに相応しい「哲学」とその具体化のための制度が是非とも必要なのです。

 このため,今年の人事院勧告等を直ちに受け入れるのではなく,将来の裁判官の報酬のあり方及びその変更のあり方を抜本的に検討する研究会を,最高裁判所裁判官会議の議決により,最高裁判所に設置することが必要と考えています。時代の流れが速い時期ですので,遅くとも1年以内に結論を出さなくてはいけませんが,国民の皆さんの理解も是非とも必要です。そのため,法曹三者だけでなく,財政・人事の専門家,有識者,民間人を含めたメンバーが必要と考えています。最高裁には,是非英断をお願いしたいと考えています。



おわりに
今回は,裁判官報酬に関して長々と書きましたが,これは司法改革の内容として重要なものなのです。報酬の話をすると,今の時代,公務員の特権の話かとうんざりされるむきもあると思います。しかし,そうではないのです。これは,裁判を公正,中立に,しかも全国でそれをさせるために考えなければならないことなのです。平成司法改革は,裁判の担い手である法曹の改革を三本柱の一つとしています。司法制度改革審議会は,「裁判官の報酬の進級制(昇級制)について,現在の報酬の段階の簡素化を含め,そのあり方について検討すべきである」という意見書を出していますが,今回の人事院勧告等を裁判官に導入することは,裁判官の間の報酬の格差を大きくするために,上記意見書,すなわち平成司法改革の基本方針に反する結果となるのです。そのことを是非ご理解下さい。
(平成17年10月)