● Judgeの目 その5 裁判官にも「リストラ」「解雇」があるってホント?
浅見 宣義(大分地裁) 
おぞましい言葉ですが・・・。
 「リストラ」「解雇」・・,これほどおぞましい言葉はない,といわれる人も多いでしょう。今の日本では,残念ながら実際にその憂き目にあわれた方も多いと思います。

 では,憲法で身分保障がある(昔,「公民」や「現代社会」の授業に出てきませんでしたか?)とされる裁判官にはどうでしょうか。実は,「ある」のです。ただ,本来は事業の再構築のために,広範囲な従業員に影響する「リストラ」に類するものではなく,特定の従業員にのみ影響する「解雇」に類するものがあるのです。

 それは,「再任拒否」といわれるものです。実は,裁判官は,終身官ではなく,10年ごとに,「再任」という再雇用の制度があるのです。その際に,裁判官として相応しくないと判断されると,「再任」されないということになります。「解雇」に類しますが,任期途中で意に反して辞めさせられるもののではないので,正確には,いわゆる「雇止め」(再雇用しない)に当たると思います。


再任拒否は実際過去にもあった?
 この「再任」制度は,裁判官の化石化を防ぐために,日本国憲法で導入されたものですが,従来「再任拒否」がなされたことは数少なかったのです。明治憲法の下では裁判官は終身官であった名残や,日本全体が終身雇用制度であったためでしょうか。このため,裁判官は,希望すればほとんどが再任されてきたといわれています。ただ,この「再任拒否」をめぐって,大きく騒がれたことが一度あります。昭和46年3月,裁判官として10年の経験のある熊本地家裁の裁判官が,「再任拒否」されました。当時は,当該裁判官が青年法律家協会というグループに属していたことが原因ではないかと騒がれ,マスコミ,学会,弁護士会等を巻き込んで大論争になりました。「司法の危機」という言葉も生まれたのです。「再任拒否」の理由開示や手続保障が十分ではないと議論され,以来,裁判官の人事は不透明ではないかという意見が長く尾を引いていたように思います。


再任拒否の今は?
 しかしながら,今回の平成司法改革の中で,裁判官の人事が不透明ではないかという反省がなされ,最高裁判所による下級裁判所裁判官の指名について,透明性を高め,国民の意見を反映させ,国民的視野に立って多角的見地から意見を述べる機関として裁判官,検事,弁護士,学識経験者で構成する下級裁判所裁判官指名諮問委員会が設置され,最高裁判所から同委員会に諮問されることになりました。その結果,従来よりも,裁判官の「再任」に関する人事は透明化されましたが,逆に裁判官として相応しくないとして,表だって「不適当」とされる裁判官が増えました。昨年は,上記指名諮問委員会で6人が不適格とされ,4人がその後再任希望を取り下げ、最終的に2人が再任拒否されました。今年は,前半に10年の任期切れを迎える181人について、再任願いを取り下げた2人を除く179人のうち,4人の再任が上記指名諮問委員会で「不適当」とされ,うち3人が再任願いを取り下げたため,今年4月に10年の任期切れを迎える判 事、判事補計165人のうち、1人が再任されないことになっています。

 これで,昭和44年以降、再任を拒否された裁判官は計8人のようですが,最近は毎年連続してなされていることになります。表だって「不適格」とされて再任願いを取り下げた人も含めて随分多いように思いますが,従前も再任が難しいと考えて再任願いを取り下げた裁判官もおられますので,「不適格」の人が最近特に増えたのかどうかは明確とはいえません。


裁判官はどう受け止めているの?
 とはいえ,表だっての「不適格」,再任拒否者が連続して出ていますので,現場の裁判官にはある程度「恐怖感」が生じたように思います。特に,昨年は,6名の裁判官が「不適格」とされたので(再任希望者のうち3パーセント台の人数でした。),「驚愕」した裁判官も少なからずおられらようです。「厳しくなった」という感想を漏らす裁判官も数多くおられました。平成司法改革は,司法を使うユーザーのための色彩を強くもっていますので,弁護士だけでなく,裁判官にも厳しい改革であることが如実に表れているということでしょうか。

 ただ,ほとんど裁判官は,私から見て,私生活も犠牲にして働いておられます。正義や人権,当事者の納得などを考えている裁判官も実に多いのです。昼,夜,休日と働いて,仕事の時間たるや,大変なものでしょう。しかし,平成司法改革の中で,「迅速に」,そして,「適正に」「常識をもって」「ミスもせず」「国民の声も聞いて」などの要望が突きつけられ,制度的に人事評価をされ,再任拒否もされうることになり,さらに,報酬も切り下げられ(一度は既に切り下げられました。),「たまらないね」とぼやく裁判官も多いのが実情です。負担に耐えかねて,肉体や精神に変調を来す裁判官もないではないと推測します。

 裁判官は,国民の負託を受け,最終的には国民の命をも奪う職責を担っているとはいえ,人間として「悲鳴」をあげる人もないではないのではないでしょうか。裁判官の肉体的,精神的なケアも特に図らなければならない時代になったと思います。それは,裁判官のためだけではなく,裁判を受ける国民の皆さんのためでもあるのです。
(平成17年3月)