● 自白と刑事司法について考える(2)
伊東 武是 (神戸地裁姫路支部) 

 前回,犯罪事実の認定に必ずしも自白が必要でない場合について触れた。

 かつてこんな事件を担当したことがある。その起訴事実は,被告人が某国立大学名誉教授だと身分を偽って女子大生(被害者)と知り合い,「京大生を紹介する」とか「バイト先を紹介する」などと甘言を用いて交際を続けていたが,被害者が次第に被告人を怪しむようになり交際が途絶えそうになったとき,被害者の住む大学の寮に電話して,周りの友人らに危害を加えるかのような言動を示して脅迫したというである(脅迫事件)。

 法廷では,被告人は脅迫的な言動を一切していないと強く争い,被害者の証人尋問が行われた。その証言は,被告人からの電話内容について,怖かった気持ちなど感情を伴った極めて具体性のあるもので,反対尋問にも耐えたばかりか,電話を受けた直後にその恐怖の思いを周りの人達に伝えて相談したというのであって,十分に信用できるものであった。それに引き替え,被告人の公判での弁解供述に説得力はなく,到底信用できないとの心証に至った。

 被告人は,捜査段階では,脅迫をしたことを認める自白をしていたようであるが,弁護人がこの自白調書の任意性を争ったため(捜査官から自白を強要されたという),採用に至っていない。そこで,検察官は,さらに,その自白調書の採用を求めて,取調警察官の証人尋問を請求し,自白の任意性(自白の強要はしていない)を立証しようとした。

 しかし,私は,この証人請求を却下し,併せて,不同意とされていた被告人の供述調書(脅迫を自白したもの)を必要性なしとして却下した。

 法曹関係者でない方には,この手続の意味が分かりにくいかも知れない。要するに,被告人の捜査段階の自白は,証拠調べする必要はないと判断したということである。もう十分な心証が得られている。これ以上,取調警察官の証人尋問をして,密室で行われた取調べ情況がどうであったかという(どうせ被告人の言い分とは水掛け論に決まっている)認定困難な証拠調べをし,時間と労力を使って訴訟を長引かせる必要はない,自白調書が採用されることになっても,被害者の供述を反復するに過ぎないものであって,独自の証拠価値は少ないだろうと判断したのだ。

 この事件は,これで有罪判決が出され,前科がある関係で実刑にはなったが,控訴もなく確定した(検察官は,自白調書の取調べがされなかったことに不満なようだったが)。

 このような訴訟指揮は異例かもしれない。通常は,任意性があるかどうかの証拠調べをして,これが肯定されれば自白調書も採用するのかもしれない。

 こうした事例を通じて,次のようなことがいえないだろうか。

A 被害者,目撃者などがいる事件については,その被害者らが被告人の犯罪行為のほぼ全容を語っているような場合,公判における有罪認定に自白は原則として必要ない。その被害者らの供述が(被告人の弁解内容と対比しつつ)信用できれば有罪,信用できなければ無罪となるだけだ。

B 特に,その自白が,かなり厳しい取調べの結果だとうかがえるとき(当初否認の後に自白したが被告人が任意性を争う場合など),その自白は,他の客観的証拠(被害者,目撃者の供述)から心証を得た捜査官がその心証を誘導,説得により被告人に認めさせたというにすぎない場合がほとんどで,独自の証拠価値は乏しい。


 にもかかららず,わが国の捜査では,被害者らが被告人の犯罪行為を全面的に供述しているときでも,被疑者から,弁解を聞くだけで満足せず,なお詳細に自白を得ようとする。否定する被疑者に対しては,勾留期間を延長して20日間執ように説得かつ誘導して自白させようとする(伝統的な取調べ)。

 これは,有罪に向けての必要な証拠を得るための取調べというより,被告人を反省させる,裁判で争わせない,社会的な安心を得るといった,いわば,一種の刑事政策として行われているといえば,言い過ぎであろうか。

 実を言えば,被害者らの供述をなぞるような無理矢理言わされた自白よりも,不合理な弁解の方がずっと被告人の有罪心証に結び付き易いのだ。

 何年か前,毎年のように警察学校に呼ばれて若い捜査官らに講演をする機会があった。私がそうした機会に強調したのは,「否認する被疑者の弁解をそのまましっかり調書にとってほしい,もしその被疑者が罪を犯しているなら,不合理不自然な弁解をするものだ,しかも,ほかの証拠を突き付けられるたびにその弁解は変遷する,そうした経過が,なまじの自白以上に,裁判官に被告人有罪の心証を与える」という点であった。
(つづく)
(平成16年9月)