● 「市民講座」の講義を担当して
京都家裁  森野俊彦  
 昨年11月末、大阪市立大学文化交流センターで、市民講座「改革の中の裁判」がありました。ネットワーク所属の裁判官6名が分担して6回にわたりお話をしたわけですが、私は、「離婚と子供」という題で話をさせていただきました。

 家庭裁判所が担う仕事のなかで、一番多く、かつ重要な事件はなんといっても「夫婦間の調整」の調停事件です。「調整」という事件名がつきますが、実質は「離婚」の申し立てです。子供のいない夫婦の場合は、離婚をするかどうか、慰謝料ないし財産分与等の離婚給付をどうするかだけで比較的単純ですが、夫婦に子供がいる場合、親権者をどちらにするか、養育費は幾らくらい出せるか、それに面接交渉をどの程度認めるかが問題になります。親権者をどちらにするかは、父親と母親がどれだけ子どもに愛情を持っているか、取り巻く生活環境は、監護補助者の状況は、さらには子ども自身の希望は、といったことを総合的にみて判断することになります。母親優先の原則が昔から言われてきましたが、少子化の趨勢もあり、最近、親権者にこだわり、子育てをしたいというお父さんが増えています。「子どもが小さいからお母さんに」という判断は、今や通じるとは限らなくなったのです。調停委員会は、双方の事情をきいて、なるべく話合いで解決しようとするのですが、「力及ばず」不成立となることも少なくありません。また親権は母親に譲るけれども、そのかわり「面接交渉」を是非認めてほしいという要求が父親からなされることも最近増えています。裁判所としては、「夫」としては問題があるにせよ、「父親」としては問題ないから認めてもいいのではと思うのですが、感情的対立から認めようとしないお母さんが結構おられます。面接交渉の問題はとことん争われますと「審判」でしか解決できないのですが、その強制執行をどうするかで隘路があり、いま家庭裁判所裁判官が最も頭を悩まし、心を痛めている問題のひとつといってよいでしょう。

 当日は、以上のようなことのほか、家裁ですることになった「人事訴訟」での参与員の役割や、児童虐待についてこれから家裁の関与が増えることなどをお話しました。当日、市民の皆さんの前でお話をしていて感じたのは、結構、高齢の方、つまり「お父さん」や「お母さん」ではなく、「おじいさん」「おばあさん」に属する方が多いことに気付きました。一番きいてほしい方々があまり来られなかったのは、おそらく、そうした年代で現に夫婦間で葛藤を抱えておれば、講義を聴きにくるどころではないということだと思いました。テーマの設定がまずかったかなとおもいつつ、こうした方々にどのようにすれば裁判官の思いが伝わるか、課題をひとつ与えられたような気がします。

 今回の講座の内容については、従前同様、読売新聞の方でコンパクトにまとめられ、私の分は大阪版では昨年12月22日の朝刊にのせていただきました。写真も笑顔が写っており、大変気に入りました。何人かの方が、今年の年賀状でその記事に触れておられ、嬉しく思いました。ところで、実は、記事が載った当日、新聞社の編集部の方の連絡で、山口や九州の方で手違いがあり、写真が前日の岡文夫判事のままで掲載されたということを知らされました。私自身は全く知らないことですし、「間違い」の記事を見ることもなかったので、心を騒がせることはもなかったのですが、そうしたミスが身近に起こりうることに、少しばかり驚くとともに、我々自身も気をつけなければと思いました。ともあれ、これからも機会があれば、日々の法廷や調停室で感じたこと、思ったことを市民の皆さんに伝えていきたいと思っています。
(平成17年1月)