家裁に吹く新しい風
森野 俊彦 (京都家裁) 
 今、司法制度改革の風が裁判所全体に吹いています。司法制度改革審議会の提言を受けて、その改革を具体的に実行すべく数々の法律案が立案提出され、現に審議中であったり、あるいは裁判員法のように最近可決成立するに至ったというように、改革への足取りは急ピッチの感があります。そうした改革の流れのなかで、その先陣を切った形ですでに実行に移されているのが、人事訴訟の家裁移管です。新しい人事訴訟法が制定され、この4月から、人事訴訟事件が、家裁に移管されることになりました。

 ある人が離婚したいと決意すると、まず家庭裁判所に調停を出さなければなりません。調停前置主義といって、夫婦間の問題であるからまず話し合いにより解決をめざすべきだということになっているわけです。相手方が出てきて、話し合いの結果、離婚に合意ができ、あわせて親権者の指定や養育費等についても話し合いがまとまれば、「調停離婚」となって問題は解決するのですが、双方が離婚に異存がなくても、子供の親権者についてどちらも譲らなかったり、妻の方が慰謝料についてもこの際はっきり支払の約束をしてほしいと求めたのに夫がこれに応じないということになると、ほとんどの場合離婚だけ成立させるわけにはいかないので、調停は不成立となり、両者は当然ながら夫婦のままの状態が続きます。申立人が、どうしても離婚をしたいと思えば、これまでは、地方裁判所に離婚訴訟を提起しなければなりませんでした。つまり、家庭裁判所で相当期間話合いを続けたとしても、その後は地方裁判所で一からやりなおさなければならないのです。地方裁判所では、原告、被告つまりは妻や夫の本人尋問を実施したり、その他の証拠調べをして、離婚を認めるかどうかを決めるとともに、離婚を認める場合には親権者としてどちらが適当かについて判断するのですが、過去の一定の事実の有無を認定するのとは違って、子供にとってどちらが幸せかという将来にわたる問題について、地方裁判所でこれを適切に決めるかことができるか、昔から、議論がありました。相当以前から、そういった離婚等の人事訴訟に関する訴訟は家裁が担当するのがいいのではないかという意見も根強かったのですが、一方、家裁が訴訟を取り込むと家裁のよさ(柔軟さ)が失われるということで、なかなか具体化までいきませんでした。司法制度改革審議会が設置され、司法制度の各分野の見直しが行われるなかで、にわかにこの問題が脚光を浴び、一挙に実現することになったのです。結局、離婚訴訟(不貞の相手方に対する損害賠償も離婚訴訟が係属しておれば家裁に提起できます)のほか、認知や、親子関係不存在確認の訴訟など、いわゆる人事に関する訴訟はすべて家裁で行うことになりました。

 家裁に移管されるに至った大きな理由の一つとして、「家庭裁判所調査官の活用」が挙げられます。つまり、さきほどのように、離婚の場合に両親のどちらが親権者として適当かを決めるという場面において、人間諸科学(心理学、社会学、教育学等)の専門家である調査官の意見を聴くことができるということが一番のメリットとなります。

 そのほかに、人事訴訟特に離婚訴訟で、参与員といって、一般市民のなかから任命した人の意見をきくことができるようになりました。司法への市民参加の具体化のひとつといってよく、証拠調べに立ち会ってもらって、係争中の夫婦の婚姻関係がはたして破綻しているかどうか、その程度はどうか、被告の責任で破綻したといえる場合に、慰謝料としてどの位認めていいのか、市民の常識としての意見をきいてこれを裁判に反映させようとするものです。

 私の勤務するK家庭裁判所でも、4月以降すでに10件を超える離婚訴訟等が提起されてきました。今のところ、双方当事者が主張を戦わす争点整理の段階ですが、やがて証拠調べ期日が指定され、参与員が立ち会うこともそう遠いことではありません。担当裁判官のみならず、それにあたる書記官等もやや緊張した状態で審理を行っていますが、このように、離婚訴訟等を最初から最後まで家裁で面倒をみるということは、それだけ家裁の重要性は高くなります(なお調停前置主義はそのまま維持されており、まず調停で話し合うべきだとの基本原則に変更はありません)。そしてその分、われわれ、家事実務に携わる者の責務もより重いものとなるでしょう。家裁に吹く新しい風を意識しつつ、国民の期待や要求に十分に応えるべく、気を引き締めて、毎日の仕事に取り組んでいるところです。