司法改革は,激しい議論の場面から法的整備の実務レベルに移行し,国民参加についても大きな枠組みが定まった。今,ネット会員は,これから何をなすべきか,それぞれの模索が続いている。会員は,自らのアイデンティティを保ちつつ,仲間である他の会員との協同の道を探し求めている。
会員がネットワークに参加した動機は様々であったと思われる。主なものは次の3つではなかったか。
1. よき裁判をするための刺激を受けたい。
2. 裁判をする環境を良くしたい。
3. 裁判所と国民との距離を縮めたい。
会員の一人一人が日々明るく生き生きとした裁判官生活を送り,ネット全体としても,裁判所の中で存在感を持ち,「燦然と」まではいかなくとも,せめて「いぶし銀」くらいの輝きを持ちたいものである。
上の3つを原点と呼ぶなら,ここに立ち返って今後の方向を考えてみたい。
1の点に関しては,昨秋総会での「経営手法を取り入れた」裁判実践についてのN会員の報告は刺激的であった。「裁判官は訴える」掲載のM会員の「足でかせぐ事実審理」もユニークなもので多くの共感を呼んだ。その他,I会員の「修復的司法」の取り組みなど,各会員はそれぞれになにがしかの実践に取り組んでいる。時代の要請に答える斬新な裁判上の工夫は,各自の努力目標の中心にあっていいと思う。そうした各自の実践を仲間同士で批評し合い高め合って,より一般化することができ,それを裁判所の内外に発表することができるならば,裁判の質の向上に貢献するはもちろん,その会員の自信に繋がろう。ネット全体の信頼も一層高めるものにもなる。わがネットの中に,こうした実践を励まし合う環境をもっと根付かせていきたいものである。
2の点に関しては,その評価は分かれるにせよ,司法改革の課題ともなった裁判官制度の改革の大筋は定まった。わがネットも,人事評価等について全員あるいは有志で意見表明をしてきた。裁判所の中ではなかなか多数を獲得することが難しく,国民の理解も得にくい課題ではあった。だが,裁判官がその精神の自由闊達さを維持し,裁判に専心できるためには,処遇上の問題,執務条件の向上は決して小さいものではない。今後の運用について,しっかりと見守っていきたい。
これからの裁判官世界は,評価制度の正式導入等を契機に,何やら一層重苦しくなるとの心配が聞こえてくる。事件数の増大を前に,能力主義が大手を振るい,画一的な処理がもてはやされる一方で,地道で丁寧な裁判実践が軽視される傾向も生まれかねない。激務の中で,発散させる途のない不満をうっ積する裁判官も増えて来よう。近時,精神を病み,悲劇的な結末を見た例さえあった。司法行政が改善に取り組まなければならない課題もあるはずである。ネットワークは,司法行政の正規のルートが取り上げ切れない現場裁判官の切実な声を拾い集める努力をすることも大切ではないだろうか。そうした声を背景に執務条件の改善を提言することがあってもいいのではないか。
3の点に関しては,開かれた裁判所を目指すこれまでのネットの活動を継続発展させることに尽きる。国民とともに裁判の問題を考えて行く。裁判所の閉鎖性打破は時代の要請である。司法行政当局も,同じ目標を掲げて「裁判所委員会」の充実に努め,「出前講座」等の企画も進めている。歓迎すべきことである。只,例えて言えば,当局のそれはNHK的であり,ネットのそれは民放的なものと言えよう。遠慮することのない率直さこそネットワークの対外活動のスタイルであり長所でもある。会員自身が伸びやかに行動する姿勢は,裁判所に対する国民の真の信頼を高めるだけでなく,裁判所内部の自由な環境作りにも貢献するに違いない。
「開かれた」諸活動は,国民に対して啓蒙的な場面もあるだろうし,裁判所の問題点を訴える時もあろう。また,自らを省みるための対話の機会もあらねばならない。これまで実践してきた「シンポジウム」や「市民講座」などの企画も一層充実した内容で取り組みたいものである。
これらの原点をまとめて言うなら,1は「自分」のために,2は「同僚」のために,3は「国民」のために,ということになろうか。
会員は,それぞれの個性にあう目標とスタイルを持ち,明るく楽しく実践し,その経験を交流しあい,よき裁判,よき裁判所のために貢献しようでないか。
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