● 「自己完結型人事評価制度」でよいのか [PDF]
〜「裁判官の人事評価の在り方に関する研究会報告」のうち,外部評価の問題について
浅見 宣義 (大阪高裁判事・職務代行)  
1 ほっとした?

 最高裁判所事務総局に設置された「裁判官の人事評価の在り方に関する研究会」(以下「研究会」という。)が,10か月余りの協議を経て,平成14年7月16日付けで報告書(以下「報告書」という。)を完成させた。昨年6月12日に公表された司法制度改革審議会意見書(以下「審議会意見書」という。)において,提案された裁判官の人事評価制度の改善を具体化しようとするものであり,関係者の労には敬意を表したい。

 ところで,多くの裁判官は,人事評価制度がどのようなものになるのか疑心暗鬼であったと思われるが,報告書を見て胸をなで下ろしたというのが正直なところではなかろうか。従前最高裁判所が司法制度改革審議会に報告していた現状の制度(最高裁事務総局人事局作成の平成12年5月31日「裁判官の人事評価の基準,評価の本人開示,不服申立制度等について」,同年7月31日「司法制度改革審議会からの質問に対する回答」参照。報告書8ないし12頁でも概観されている。)と,報告書の提案する制度は基本部分においてあまり変更が見られないからである。例えば,研究会の論点整理(平成13年12月17日)で触れられた「評価の目的」「段階式評価」「評価権者」「多面的評価」「自己評価書の作成」等では,報告書は現状とほとんど変更のない結論を取っている。(「自己評価書の作成」は任意的なものにとどめた。)。現状の制度に対する肯定的評価(16頁)と裏腹である。その中でも,特に重要な特徴は,審議会意見書が「裁判所内部のみではなく裁判所外部の見方に配慮しうるような適切な方法を検討すべきである」と提案したにもかかわらず,「事件関係者その他の部外者を対象とするアンケート調査等を行うことは相当ではないという意見が多数を占めた。」(47頁)というように,外部評価を否定した点である(「多数」であるから,全員一致でないことは記憶されなければならない。)。


2 「自己完結型」人事評価制度

 上記の点に限らず,個々の論点で,「裁判所外」の人間が人事評価やその制度化に絡むことについては報告書は極めて消極的である。不服申立について第三者機関を否定したこと(54頁),制度化について裁判所法の改正ではなく,最高裁判所規則で行うべであるとしたこと(56頁)等である。それぞれについて,それなりの理由が列挙はしてはいるものの,結局,第三者が絡むことについては,悉く消極的であることは,この報告書の「体質」を示していると見られないであろうか。

 裁判所内では,従前人事制度は「人事の秘密」という理論で,個別情報だけでなく制度情報も,外部はおろか内部でも正確な情報が公表されていなかったこと,人事評価制度も,導入された1955年以後40数年間その存在さえ公表されなかったが,第三者機関である審議会が最高裁判所に照会して初めて,その概要が公表されたこと,それら「人事の秘密」や人事評価制度を担ってきた最高裁人事局の局長,参事官がそれぞれ幹事,幹事補佐を務め,研究会の議論をリードしたこと(委員の方々は良識を示されたことは確かであろうが,座長,委員,幹事,幹事補佐の計9名中,裁判官出身者が5人を占め,資料提供や報告書案の作成等でリーダーシップをとったことは否定できないであろう。)などからすると,報告書の「体質」は当然といえば当然かもしれないが,大きな問題点を孕んでいる。

 一言で表現すると,報告書の構想する人事評価制度は,成立,内容,実施について,第三者の関与を否定する「自己完結型」である。人事評価の透明化,客観化については,審議会でも外部評価の点でかなり意見が分かれたのは事実である(第56回議事録)。このため,外部評価の詳細については,審議会意見書の後に先送りされたのであるが,報告書の「体質」は,審議会各委員の幅のある意見の中でも,最も自己完結型のものといえよう。


3 「自己完結型」の論法と問題点

  報告書では,外部評価を否定する論拠として次の理由を挙げている(46 頁)。


@  事件関係者は,裁判の結論に直接の利害関係があり,その内容と切り離して評価情報を提供することに困難な面があり,客観性のある評価を期待しうるのか,その情報提供が裁判の判断内容にわたる場合には,裁判官の職権行使の独立性の確保の観点から問題である。

A  評価情報の信頼度を判定するために,広範囲な事件内容の調査を行うことになれば,そのこと自体個々の裁判官に対する心理的影響,事件の審理に影響を及ぼす影響等がある。

B  事件関係者に限らず,一般的に部外者から裁判官の評価について意見を聴くのは,客観的な事実に基づく責任を持った意見を述べることが可能なのか,単なる人気投票と化すおそれがあるのではないかという疑問がある。
C  弁護士会や検察庁に評価情報の提供を求めると,職権行使の独立性確保の上で問題生じうる。
D  大規模庁で訴訟事件を担当せず,民事執行事件をのみを担当する執行部で勤務する裁判官のように,当事者との接触が少ない裁判官は,当事者から評価情報の提供を受ける調査を実施し難い。
E  アメリカの州裁判所の中には,アンケート調査等を行っているところがあるが,評価の目的が主として裁判官の教育,能力向上に置かれている点において我が国とは異なっているし,ドイツやフランスでは,評価に当たって裁判所外の者の意見を取り入れることは行われていない。



 B 上記理由は,外部評価を否定するための理由を,否定する方向からのみできる限り並べた感が強いが,裁判官の職権行使の独立への影響(@,A,C。Aは上記キーワードを使用していないが,実質的には同旨であることが明らかである。),外国の実情との比較(C),客観性の担保等技術的問題(@,B,D)の3つにその性質を整理できると思われる。

 このうち,使用頻度からして,報告書は,裁判官の職権行使の独立への影響を最も重視していると思われるが,本来,裁判官の職権行使の独立は他の国家機関からの干渉を受けないことがまず重要であって,そのために構想された裁判官によって構成される委員会や裁判官会議による評価や裁判官の相互評価の各制度をいずれも否定し,評価者を高裁長官,地家裁所長とし(35頁),部総括からの情報収集を中核とした報告書(35,38頁)が,もう一方で利用者や当事者からの評価を否定する理由として,職権行使の独立性を多用するのは,裁判官の職権行使の独立の本来的意義からすると,極めて一方的な使用の仕方であり,利用者や当事者への不信感のようなものを感じざるを得ない(自信のなさの裏返しの面もありはしないであろうか。)。昔,田中耕太郎最高裁長官が,長官所長会同で,当時高まった裁判批判に対し,「雑音に耳を貸すな」と訓示したものと同質の体質を感じさせる。そもそも,アメリカで,アンケート方式を行っていること自体,裁判官の職権行使の独立性と抵触しないからではなかろうか(アメリカでもそのような議論はないと思われる。法曹一元とキャリア制とどちらがアンケート方式に親和性があるかという議論はありうるかもしれないが,職権行使の独立の問題で,法曹一元なら抵触はしないが,キャリア制なら抵触するという理屈は成り立たないと考えられる。)。

 また,外国の実情との比較では,上記のとおり,アメリカではアンケート方式によって実際に外部評価がなされている州が実在しているし,ドイツ,フランスでされていないことはそのとおりであるが,同じキャリア制度の国であっても,政府の正式の機関でキャリア制度の当否が議論され,外部評価の採用が検討されて,報告書に盛り込まれるいった歴史まではないのであるから(そもそも,ドイツ,フランスでは,裁判官人事人事制度についても,自己改革の努力がされていたためではないかと思われる。),つまみぐいのようにして他国との比較をするのは,結論を先取りして都合の良い外国の制度を引用しているという批判が妥当するであろう。少なくとも,ドイツ,フランスで実現されていて,報告書が採用していない重要部分,例えば評価内容に不服がある場合に行政訴訟を提起することが可能であることや,コンセイユ・デタへの申請ができること等内部手続にとどまらない不服申立手続については,報告書は採用していないのである。

 最後に,アンケート方式等に技術的な問題があることは理解でき,その点で客観性の担保の問題があることは確かであるが(しかし,内部評価についても程度の差はあれ,同様の問題はある。),審議会から依頼された菅原教授による民事裁判利用者へのアンケートや,大阪弁護士会による裁判官評価のアンケートなどそれなりの実績も過去あり,技術的な問題は解決可能と考えられる。むしろ,技術的な問題が残れば,試行錯誤を繰り返してよりよき制度を作ることに関心が向かうべきであって(人事評価制度自体そういうものである。民間でも他の公的機関でも試行錯誤の連続である。),試み自体を謝絶することは,まさに「体質」の問題と考えざるを得ないのではなかろうか。当事者に接触しない裁判官の例は,わずかな一部をもって大多数の裁判官についての例を論じるもので,技術的問題ともいえないものである(その担当期間は,別の視点で評価すれば足りるというだけのことである。)。

4 外部評価の重要性

 A そもそも人事評価の客観性,透明性等の裁判官制度の改革が審議会で議論されたのは,法曹一元の採否との関係である。法曹一元の採否は,審議会で,最も激論された項目の一つであったが,意見書ではその採否に直接は触れず,むしろ法曹一元が含意する要素を取り出す形で,いくつかの制度の提言が意見書の中に取り入れられたのである。個々の論点では,委員の間で温度差があったが,最終的には「給源の多様化,多元化」「裁判官の任命手続の見直し(任命諮問委員会の設置等)」「裁判官の人事制度の見直し(透明性・客観性の確保)」「裁判所運営への国民参加」「最高裁裁判官の選任等の在り方(選任過程の透明性・客観性,国民審査制度の実質化)」としてまとめられたのであって,その指向するところは,従来のキャリア裁判官の制度を,裁判官の多様性,国民の司法参加等から修正していくことである。

 このため,外部評価の是非についてもこのような審議会意見書の全体の方向性と整合的なものでなければならないはずである(今回の司法制度改革についての基本法である「司法改革推進法」第1条(目的)には,「司法制度改革審議会の意見の趣旨にのっとって行われる司法制度の改革と基盤整備について」とあるし,最高裁が作成した「司法制度改革推進要綱」にも同旨の内容が冒頭に記載されている。)。外部評価を原則的に否定することが,審議会意見書全体の方向性と整合的であるとはとても考えられないし,「裁判所外部の見方に配慮しうるような適切な方法を検討すべきである」として個別の指摘にも反すると考えられる(なお,報告書《47,48頁》では,現在でも事件関係者から評価者にもたらされる情報をすべて排斥するのは相当でないとか,そのような情報には研修等を通じて役立てるのが望まれるとの記載があるが,審議会意見書の上記個別の指摘を意識した「いいわけ」的な色彩が強く,その記載によっても現状と変更されることは何もなく,変更の具体的提言もないといわざるを得ない。)。

 B 人事評価の客観性,透明性は,最終的には裁判の独立に対する国民の信頼確保というのが趣旨である。審議会でもその方向で議論されたし,意見書でもその指摘がある(裁判官の人事制度の見直しについての注記)。限定的に考えると,裁判の独立に対する国民の信頼と国民の司法参加は直結しないから,他の場面はともかく,人事評価では,国民への制度の透明性,客観性が確保されればよいという考えもあろう。実は,報告書の内容の底流にはそうした感覚があるように思われる。

 しかしながら,「ガラス張り」にのみしたら国民の信頼確保ができるというとのは,あまりに独善的ではなかろうか。「国民の信頼」という以上は,できるだけ具体的な信頼を目指すべきであって,外部評価を導入していくことは,利用者の声にも裁判官,裁判所は配慮するのであるという信頼を国民の中に生み出す一因になりうる。人事評価や異動・配置,部総括指名等の人事そのものがあるため,「最高裁や上司に過度に気をつかって判決しているのではないか。」という誤解が国民の間に少なからずあるとしたら,上記のような信頼醸成がその誤解を解く鍵ではなかろうか。逆に,外部評価を否定し,「国民の声」「利用者の声」を拒絶することになると,今回の報告書では,部総括を主たる情報源とする長官・所長の評価が制度化されるのみとなり,果たして独立に対する信頼は高まるのか疑問である。「最高裁や上司に過度に気をつかう」制度のみが,正式に制度化されたという印象を持たれるのではなかろうか。

 C 外部評価の必要性は,他の改革との関係でも重要である。特に,裁判官の任命手続の見直しでは,国民参加の趣旨を含む任命諮問委員会が設置される予定であるが,その際に使われる資料は,人事評価資料が最大のものであると予想され,報告書でも,「判事の任命については・・・評価がストレートに反映される」(16頁)とある。審議会意見書でも,裁判官の任命手続の見直しの項の注記で,「『裁判官の人事制度の見直し(透明性・客観性の確保)』に掲げた仕組みによる選考対象裁判官に係る評価については,同機関(筆者注:任命諮問委員会のこと)による選考のための判断資料として活用されるものとする。」として,当然予定している。

 しかし,報告書のように,外部評価を否定すると,任命諮問委員会に提出される資料は,内部評価のみとなる。これでは,有識者等を任命諮問委員会に参加させても,裁判所の内部の人間が作成し,そのフィルターを通した情報のみを前提に裁判官の任命,再任について議論させることになり,任命諮問委員会設置の意味は半減することになろう。任命諮問委員会に下部組織の設置が予定されているから,そこで外部評価的な情報収集が予定されているという反論がありえようが,キャリア裁判官の場合,判事補からの判事任命,判事再任の際の任地の情報は同下部組織で情報収集がなされようが,それ以外の任地での情報は収集されないであろう(再任等の際の任地の発令時期や同下部組織の活動時期・期間を考えれば,同下部組織で収集される情報は,長くても3,4年,短ければ半年や1年を対象としたものであり,しかも期間にばらつきが生じることは必定である。)。その役割を果たすのが,外部評価なのである。毎年の人事評価と上記下部組織の情報収集は,裁判官の適任者を選考するために相補いあうべきものであるから,現在の転勤制度を前提とする限り,上記下部組織では困難な情報収集を,外部評価で毎年の人事評価に組み入れることが是非とも必要である。

 D 報告書では,評価者は長官,所長とされ,相互評価は否定された。このため,希望者への本人開示が実現し評価内容に疑心暗鬼になる可能性は減少するとしても,大手を振って,長官,所長の意向を気にする裁判官が増えないとも限らない。ことに,人事評価の制度化には,若い裁判官ほど積極的であり,「きちんと評価してほしい」「能力や業績を見てほしい」といった希望の強い若い裁判官を見ると,積極面もあるが,受験戦争の勝者の感覚の延長である面も指摘せざるを得ない。正解指向の弊害が多々指摘される中,そうした若者気質を前提にすると,内部評価と外部評価をバランスよく気をつかうといった制度化を図るべきであって,報告書の内容は,若者気質をより悪化させる方向に導くのではないかと危惧される。

 E 最後に,そもそも,裁判官の適格性を評価するには,経験上内部評価だけでは十分でないことを特に強調してきたい。報告書では,事件処理能力(法的処理能力,手続運営能力),組織運営能力,一般的資質・能力,その他を評価項目としているが(28ないし29頁),このうち,手続運営能力,特に陪席裁判官の単独事件での弁論等の指揮能力,当事者との意思疎通能力,和解等における説得能力等(報告書28頁ないし29頁で掲げている検討項目である。)は,当事者や代理人でなければ,的確に判断し難い面があると思われる。日常の合議や裁判官室での討論,それに判決起案等を通じて部総括が陪席裁判官についてある程度評価したり,その情報提供をできることは否定しないが,上記のような面では,法廷に同席しない以上評価が難しい。ドイツでは,こうし面での能力評価のために,所長等が法廷を見分することがあるようであるが,我が国ではその制度化は弊害が大きすぎるので報告書でも提案していないので,外部評価を取り入れないことには,裁判官の評価が一面的なものになる可能性がある。他の面でも,同僚として評価する場合と当事者として評価する場合では,評価の視点や個別の視点の強弱が異なるから(内部的には決断力があると評価されることが,外部的には柔軟性がないと評価されることがありうる。このような場合には,裁判官の当事者との意思疎通能力が問われることも多いであろう。),多面的,複眼的に評価することこそが,裁判官の適格性を評価するにふさわしいと思われる。実際,裁判官には,内部的評価と外部的評価が一致する人も少なくないが,時にそのギャップの大きい人がおられるのも経験するところであり,自分が評価されることへの嫌悪感等を離れてみると,多面的,複眼的に評価することの積極的意義を感じる裁判官は案外多いのではないかと思われる。

5 「自己完結型」がせっかくの芽を摘んでしまう!
  〜「裁判官の人事評価制度に関する意見の概要」から

 A 今回の報告書をまとめるに当たって,研究会は,直接の意見聞き取り(4名),全国の高等裁判所での意見交換会,メール等による送付意見など,第一線の裁判官の意見をくみ取る方法を取った。異例の方式であり高く評価されるが,そのうち,外部評価の採否については意見が分かれた。高裁毎に色合いに違いはあるが,大方相半ばしたという印象である。報告書の理由付けを検証するために,煩を厭わず,最も多くの裁判官の意見が集約されている全国の高等裁判所での意見交換会の結果である「裁判官の人事評価制度に関する意見の概要(各高裁で実施された意見交換会における意見)」から,報告書の外部評価否定の理由付けを意識し,各高裁で出された意見をいくつかして指摘してみる(外国との比較については意見が見あたらなかった。第一線の裁判官にとっては,情報も少なく,またさほど本質的なことと考えられなかったからかもしれない。)。

 @ 裁判官の職権行使の独立に関して

・「序列をつけるということではなく,一定のレベルの範囲に納まっているかどうかという評価が,裁判官の独立という問題には関わらずに可能になるのではないか。」(大阪高裁管内) 

・「裁判官はお互いに他の裁判官の法廷を見る機会がないので,訴訟指揮に対して注意を与えることができるのはユーザーのみであり,その声を聞く場は必要である。・・その声に惑わされて訴訟指揮を曲げるのであれば,それは裁判官の適格性がないのである。」(札幌高裁管内)

 A 技術的問題について

・「できるだけ多方面の評価を参考にすることで客観性のある評価が可能になる」(東京高裁管内)

・「民事事件では,事件が集結したときに,当事者双方に一定のフォームのアンケートを渡し,双方から回答が一致したときだけ有効とする方法ならば,一定の客観的評価として使えるのではないか。」(名古屋高裁管内)

・「審議会の当事者からのアンケート実施庁になり,当事者の面談によるアンケートを実施した。その経験からすると,特定の裁判官の訴訟指揮が悪いとかいう極端な意見は出なかったので,当事者からの意見を聞いたとしても,そんなに極端な意見は出ないのではないか。」(名古屋高裁管内)

・「弁護士から話を聞くと必ずしも勝敗だけで評価しているのではないように思う。確かに1,2例のサンプルであると不正確であるが,5〜6年間サンプルととり続けると,自ずから収斂された結果が出てくると思う。」(広島高裁管内)

 B その他 外部評価の重要性について

・「法廷等での裁判官の訴訟式に触れる機会の多い弁護士の属する弁護士会の評価は参考になるから,これを参考資料とすることは相当であるという意見も有力であった」(東京高裁管内)

・「裁判を受ける国民のアンケートなどによって,自分の裁判におかしいところがあるとか,自分では一生懸命したが間違いであったなどと反省するような,裁判官の将来の研さん目的の評価であれば甘んじて受けるべきであり,積極的に行うべきものである。」(大阪高裁管内)

・「当事者とか代理人の意見が反映される仕組み,例えば訴訟指揮が適切であったとか,審理が迅速であったという評価を後でもらえるとなれば,国民に分かりやすく,良い審理をしようという動機付けになるだろう。」(名古屋高裁管内)

・「裁判所内部の評価だけでなく,外部の評価を取り入れて裁判官の人事評価手続が国民から見える形にすべきであるというのが大方の意見であった。」(福岡高裁管内)。

・「普通の仕事ではユーザーの評価を大切にするが,裁判所はそれを考えないのか。一般的には悪い評価しか聞こえないかもしれないが,そうでないものもある。それを汲み上げるシステムも必要ではないか。」(札幌高裁管内)

 B 公平のために述べておくと,上記と同程度に,各項目について消極的,懐疑的な意見も出されていた。問われている問題からして,第一線の裁判官の間にもとまどいが見られるのは当然であるが,従前であれば,このような問題について裁判所内にどのような意見分布があるのかは明確ではなかったのが正直なところである。これを明らかにしのは,司法改革の大きなうねりであり,このうねりがなければ,上記のような積極意見自体も形成されることもなかったのではないかと思われる。また,こうした積極意見を持つ裁判官が増えていけば,裁判の独立に対する信頼や裁判官制度に対する信頼は高まっていくことはあっても,逆になることはありえないと思われる。裁判官以外の方には,裁判官の中からも外部評価について積極的な意見も出ていることに意外感をもたれた方も多いのではなかろうか。その意味で,裁判官の中から生まれてきたこのような芽を行かす道を考えるべきであるが,報告書のように外部評価を原則的に否定してしまうと,こうした芽がかえって摘み取られる結果となるのではなかろうか。そのことに積極的意義を感じる方がおられるかもしれないが,それはあまりに反「審議会意見書」的である。

6 提案〜司法制度改革推進本部(顧問 会議・法曹制度検討会)で検討を。

 裁判官の人事評価制度の見直しは,裁判官制度の改革の中で,特に重要な3本柱(給源の多様化・多元化,裁判官の任命手続の見直し,裁判官の人事制度の見直し)のうちの一つである。その具体化に向けて努力された報告書の内容を全面否定するつもりはないし,参考になる面もないわけではない。しかし,こと国民との関係にかかわる重要な内容である外部評価の具体化については,上記のような検討結果によると,最高裁事務総局,特に主幹の人事局が中心となって意見をまとめるのは,適任ではなかったといわざるを得ない。

 司法推進本部では,司法権の独立から,この問題に何らかの配慮があるかもしれない。しかしながら,審議会の意見書にのっとって,よりよき司法を作るための「役割分担」があってしかるべきではなかろうか。内部評価の具体化については,裁判所の内部規律に関わるることであるとしても,それに止まらない項目については,審議会の意見書の具体化を図るべく司法制度改革推進本部(顧問会議,法曹制度検討会)で検討されるべきである。外部評価は,従前裁判所でなされてこなかった制度であるから,裁判所に技術的なノウハウがあるわけでもなく,裁判所だけに情報が集積している分野でもないのである。平成14年3月の司法制度改革推進計画でも,「V 司法制度を支える体制の充実強化」のうち,「第5 裁判官制度の改革」の中に「3 裁判官人事制度の見直し」として,「最高裁における検討状況をふまえた上で検討し,なお必要な場合には,本部設置期限までに,所用の措置を講ずる。」とあり,計画どおりの役割が期待されるところである。

 なお,裁判官ネットワークだけでなく,各種裁判官の会合,弁護士会,司法改革国民会議等,司法改革に関係する多くの諸団体がこの問題について声を上げることを期待している。