● 各メンバーの司法改革への提言
 私たちメンバーは、司法改革について各人が様々な意見を持っています。その意見の要旨を紹介します。


● 浅見宣義(預金保険機構出向中)

裁判官に多様性を
 私は、11年間裁判官を勤め、現在預金保険機構(預保)に出向中です。経験からすると、裁判官は実務に誠実に取り組み、汚職等に縁のない謹厳実直な存在です。また、修習生からの統一的採用、判事補の統一的研修と合議体での研鑽、3、4年サイクルの転勤、細分化された昇給システム等を通じた裁判官制度により、全国的に均質な裁判が保証されており、そのことは一面で賞賛されるべきでしょう。

 ただ、預保で、警察や日銀、銀行等各分野からの出向者と共に仕事をして実感するのは、社会には様々なカルチャーがあるものの、交流が十分でなく各自が蛸壺化していること、私達裁判官が当然と感じていることが蛸壺の一つにすぎず、法廷での言葉遣いや訴訟指揮のやり方、判決文の書き方や結論の出し方、判例や裁判例との整合性等の他、裁判所内外でのたち振る舞いを含めて、意味なくこだわっていることが実に多いことです。その中には、紛争解決や判決での結論に影響するものもあります。そして、年齢を重ねる毎に自己のカルチャーへの疑問が薄れ、阿吽の呼吸で合議の結論も司法行政も決まりかねないことは、実は全国的に均質な裁判と裏腹です。この均質化の中では、訴訟遅延や専門性等の技術的なことへの反省は出ても、裁判をする「人間」についての自己批判が生まれにくいといえます。

 古今東西、文化の飛躍的発展は、異質なものとの接触、受容にあります。裁判所が、社会の息吹を感じて自己批判を繰り返し、飛躍的発展をする鍵は裁判官の多様性にあります。道は2つです。キャリアシステムを維持し、キャリアが外部との接触機会を増やし自ら多様性を実現するか、はたまた弁護士や検事、学者等を裁判官に迎える法曹一元のシステムを作り人的な多様性を作るかです。私は、日本裁判官ネットワークの一員として前者の活動をしていますが、法曹人口の増大や弁護士の兼業禁止の緩和等を通じて、弁護士が社会の隅々まで進出して活躍する社会では、長い目で見ると後者の方が安定したシステムと考えます。そして、「民」中心の日本社会を形作っていくためにも、後者の方が適合的でしょう。私達キャリアは、法曹一元の導入議論に対し防衛的になるのではなく、むしろキャリア制度下で培った成果(謹厳実直さ、最低限の均質さ、いい意味での精密司法、家裁や調停の暖かさ等)を積極的に伝える伝道師としての役割を果たすべきです。



● 伊東武是(大阪高等裁判所)

裁判官の人事システムの現状と透明化について

 裁判官は、裁判所法48条の身分保障にもかかわらず、3、4年毎の転勤が慣例化している。確かに、最高裁の内示する転勤先に「任意に承諾」する形をとってはいるが、裁判官は、これを拒否すると、将来の人事でどんな不利益を被るかも知れないと分かっているから、承諾しているに過ぎない。裁判官に対する転勤の人事行政は、はたして合理性があるのか。一切理由が示されず、最高裁の専権に基き実施される転勤行政が適正に行われているという制度的保障はどこにあるのか(「裁判官は訴える」の「転勤稼業の不安をなくすために」を参照)。

 例えば、業績を上げた者には転勤上優遇するとの成績主義を取り入れることに合理性が仮にあるとしても、では、その業績評価が合理的、公正になされている保障はどこにあるのか。裁判官会議を設け、一人一人の裁判官が司法行政の担う一員になっているのであるから、行政のあり方に、当局と違った意見を持つ者も出るのは当然である。大学の教授会で全員一致があり得ないのと同じことである。

 最高裁が、行政の効率化を追求する余り、その方針と異なる意見を持つ裁判官たちを不利益に扱い易いことは容易に想像できると思う(青法協会員、懇話会参加者への不利益待遇は、そのほんの一例)。実際、現場の裁判官は皆なそのように受け取り、「もの言えば唇寒し」で、黙りを決め込み、逆に媚びを売るかのような人さえも出ている。裁判官会議の低調さは、万全の総会屋対策のとられた株主総会以下である。

 裁判官の人事への懸念は転勤だけにとどまらない。裁判官は、裁判長への昇進や昇給の遅れ、(かっては)再任拒否の不利益をも恐れている。「不利益待遇」を懸念する気持ちは、はたして「法と良心」だけに依拠すべき裁判そのものに陰さしていないといえるであろうか。

 かって、ドイツの司法大臣が独立を要求する裁判官に対して「私に昇進権を与えてくれるなら、諸君に喜んで『独立』を与えよう」と言ったという。裁判官に対する人事権は、裁判官の内面(心の奥の)の独立を保障するかどうかの鍵である。今回の改革審議では、この点の問題点をも見つめてほしい。

 裁判官に対する勤務評定の公正担保の制度(たとえば本人開示)や、民間人も加わった諮問委員会による人事行政の公正審査の制度などを設けるべきである。



● 井垣康弘(神戸家庭裁判所)

法曹一元について
 私は、判事補制度を廃止し、法曹有資格者で裁判官以外の経験を10年以上有する者(主として弁護士)から判事を任用する「法曹一元制度」に大賛成である。しかも、速やかに移行させるのが良いと思う。

 わが国における法曹一元制度の具体的内容をイメージして見たい。

 給源は法曹有資格者であるが、主として弁護士である。当事者法曹である弁護士を10年以上務めて成功し、評価の高い者の中から、自薦・他薦で選考できる仕組みを作る必要がある。

 そのために、弁護士に対する「依頼者、相手方、裁判官、検察官等からの評価システム」を作ることと、単位弁護士会から推薦されれば、裁判官任官に応募することを事実上義務づけるような趣旨の立法が必要である。任官に際し、受任事件を円滑に引き継げるよう、また退官後元の事務所に戻りやすくするよう、弁護士事務所の法人化は不可欠である。

 法曹一元裁判官の任期は10年である。しかし、10年勤務できる場合しか採用できないとする必要はなく、離島・僻地その他希望者の少ないポストの場合は、1ないし5年間しか勤務できない人(定年まで1ないし5年しかない人)でも採用して良い。もとより、どこの裁判所でも 雨だれ式審理は止め、集中審理を行うことが前提である。

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 高裁、地裁、家裁の別、本庁、支部の別、民事・刑事・家事・少年の別、裁判長か陪席かの別によらず、法曹一元裁判官の報酬は全員同額とするのが良い(裁判長は主任裁判官が交替で務める)。報酬額については、年収税込み2000万円位が取りざたされているが、最終的に、金額は、弁護士として成功している者の平均値を勘案して決めることにならざるを得ないだろう。

 なお、離島・僻地のような、希望者が少ないと予測される任地については、生活の本拠地まで時々往復する交通費の趣旨で、相当額の手当を支給するのが適切である(2と3により、経験豊かな弁護士の中から僻地希望者が殺到する可能性があると私は思う)。

 ポストを固定して募集するのが良い。大阪高裁民事○部、京都地裁刑事○部、神戸家裁家事○係、和歌山地家裁新宮支部(何でも担当)という具合である。高裁単位で裁判官として採用し、補職や転勤は例えば高裁の裁判官会議で決めるというような構想があるが、官僚システムの弊害の大半をそっくり持ち込むおそれがある。

 法曹一元裁判官の任用については、民意が反映するような方法を 講じるべきである。

 地家裁の裁判官については、府県単位で、高裁の 裁判官については管轄地域単位で、それぞれ裁判官推薦委員会を 作り、その推薦結果を尊重して任命するシステムにするのが良い。委員会の構成は、法曹三者以外の委員が大半を占めるようにすべきであり、司法制度改革審議会の委員構成が大変参考になる。



● 岡 文夫(大阪家庭裁判所)

裁判官の人事システムの現状と透明化について
 裁判官は、裁判所法48条の身分保障にもかかわらず、3、4年毎の転勤が慣例化している。確かに、最高裁の内示する転勤先に「任意に承諾」する形をとってはいるが、裁判官は、これを拒否すると、将来の人事でどんな不利益を被るかも知れないと分かっているから、承諾しているに過ぎない。裁判官に対する転勤の人事行政は、はたして合理性があるのか。一切理由が示されず、最高裁の専権に基き実施される転勤行政が適正に行われているという制度的保障はどこにあるのか(「裁判官は訴える」の「転勤稼業の不安をなくすために」を参照)。

 例えば、業績を上げた者には転勤上優遇するとの成績主義を取り入れることに合理性が仮にあるとしても、では、その業績評価が合理的、公正になされている保障はどこにあるのか。裁判官会議を設け、一人一人の裁判官が司法行政の担う一員になっているのであるから、行政のあり方に、当局と違った意見を持つ者も出るのは当然である。大学の教授会で全員一致があり得ないのと同じことである。

 最高裁が、行政の効率化を追求する余り、その方針と異なる意見を持つ裁判官たちを不利益に扱い易いことは容易に想像できると思う(青法協会員、懇話会参加者への不利益待遇は、そのほんの一例)。実際、現場の裁判官は皆なそのように受け取り、「もの言えば唇寒し」で、黙りを決め込み、逆に媚びを売るかのような人さえも出ている。裁判官会議の低調さは、万全の総会屋対策のとられた株主総会以下である。

 裁判官の人事への懸念は転勤だけにとどまらない。裁判官は、裁判長への昇進や昇給の遅れ、(かっては)再任拒否の不利益をも恐れている。「不利益待遇」を懸念する気持ちは、はたして「法と良心」だけに依拠すべき裁判そのものに陰さしていないといえるであろうか。

 かって、ドイツの司法大臣が独立を要求する裁判官に対して「私に昇進権を与えてくれるなら、諸君に喜んで『独立』を与えよう」と言ったという。裁判官に対する人事権は、裁判官の内面(心の奥の)の独立を保障するかどうかの鍵である。今回の改革審議では、この点の問題点をも見つめてほしい。

 裁判官に対する勤務評定の公正担保の制度(たとえば本人開示)や、民間人も加わった諮問委員会による人事行政の公正審査の制度などを設けるべきである。



● 小林克美(京都家庭裁判所判事)

私の司法改革案
 工業所有権訴訟,企業間取引訴訟のように,当事者に共通の専門知識又は工業所有権訴訟,企業間取引訴訟のように,当事者に共通の専門知識又は経験がある事件には,その専門家を母集団とする陪審ないしフランス並みの多数参審を採用して,その筋の専門家が裁判に寄与することを義務づけて,裁判の適正,迅速を期するのが妥当である。

 人格訴訟・怨念訴訟のように,長年の紛争経過がある事件は,超鈍行事件として,当事者のエネルギーが尽きるまで戦わせるのがよい。

 上記以外のその余の民事裁判の迅速適正を期するのが最も重要であり,そのためには弁護士への早期の相談と裁判所への早期の申立てが欠かせない。事件発生から訴訟までの交渉過程と時間経過が長いために,主張の整理と証拠収集・整理に手間暇がかかり,紛争解決が複雑困難になっているからである。

 弁護士への早期相談と裁判所への早期申立てが可能になるには,法律扶助の国家予算を数百億円に桁違いに大幅増額し,弁護士数を3倍に,裁判所の人的物的容量を2倍にする必要がある。裁判所の容量は,執行・破産事件を書記官権限に移すほか,境界確定,戸籍関係などの第一次判断を行政に移管し,裁判所の仕事を本来の訴訟事項に限定するなどの工夫をしたうえ,なお2倍に増やす必要がある。

 バブル崩壊以前は,景気の波がsinカーブ,事件数がcosカーブだったから,裁判所は最大事件数の半分以下の処理能力で対応できたが,バブル以後の事件の数と質は tanカーブであって,裁判所の処理能力は破産している。

 それにもかかわらす,現有勢力+αの小手先で処理可能と見ている最高裁は,その発想を早急に見直すべきである。
 このような発想しかできない最高裁の官僚に裁判所のリーダーシップを取らせるべきではない。官僚裁判官制度は終止符を打たねばならない。



● 安原浩(大津地方裁判所)

裁判官数倍増計画
 私は裁判官経験32年になりますが、どの程度忙しいかの実感的数字とそのための弊害について考えています。

 私が現在担当している刑事事件を中心に月間の稼働時間を考えてみますと、週日は裁判所勤務と自宅での仕事で1日9時間、休日(土日)を仕事に当てることが1回5時間程度ですから、週に50時間月間200時間程度です。
 周囲の刑事裁判官の実情をみても200時間から210時間との実感はほぼ間違いないと考えられます。

 地裁の民事裁判官の実情を聞きますと、さらに厳しく週日は1日10時間を仕事に当て、休日のうちかろうじて1日休める日があるかどうかとのことです。そうしますと週60時間となって月間では240時間から250時間程度の稼働時間となります。

 このような実情は、他の職業と比して特に忙しいといえるかとの意見があり得るとは思いますが、われわれが日々直面している仕事は、社会のあらゆる病理現象に対して明確かつ納得の得られる指針を示してルールの遵守に寄与しよう、というものですから孤独感、重圧感は強いものがあります。このような質的な問題に加えて時間的な圧迫感が加わるものですから裁判官は精神的肉体的にかなり無理をしているといえます。仕事ばかりに追われる毎日であるうえ、最近は裁判官に対する批判も厳しく、それらのストレスのため精神的、肉体的疾患にかかる裁判官もおられます。

 官僚裁判官の常識が欠けているとか市民的感覚に乏しいとか非難されますが、ゆっくり考えたり生活を楽しんだりするゆとりがないのが実情です。また私を含め疲れた裁判官は、審理や和解においてともすれば結論を急ぎ、強権的になるきらいがあり、判決は簡略化や肩すかしの傾向を帯びることになります。さらに貴審議会の資料をわれわれが読んで検討する暇がほとんどない事実に代表されるように、裁判官が司法のあり方について考える時間さえないのが実態です。

 裁判官倍増の計画は前記数字からみてもかなり大胆なものではありますが、おそらくすべて裁判官が、今の手持ち件数、処理件数が半分程度になれば、もっと納得の得られる審理、判決ができるのに、という強い願望を持っています。また規制緩和がすすむ中で将来の事件数の増加を見込むと、裁判官の倍増は是非必要であり、そのための物的施設の増加、職員数の増加の必要を考えると長期計画を現在すぐにたてる必要があると考えます。