● パネルディスカッションに参加して
裁判員経験者 小島 秀夫
 東京に向かう新幹線の中で、どうも落ち着かない気分でディスカッションを考えていた。落ち着かない理由は2つ。
 1つは東大の五月祭。43年前友人に誘われ行った事があった。私の出身大学では大学祭は11月。6月頃から準備を重ねていたが、5月に行われるのは東大だけ。参考の為に訪れたが当時の状況の中で立て看板が目立ちピンと張詰めた空気と騒々しマイクの音が記憶に残っいた。あの後、東大がいや大学がどの様に変わったか?。娘が大阪の大学に進学し、大学からの案内物を読んで相当に変わったとの印象を文面からも感じてはいたが、当時学生自治会の役員をしていた私にとって複雑な思いがあった。
 もう1つは、大学祭が学生達の社会に対する思いを小さくも大きくも表現したもので、今の学生諸君が私達市民に対してどの様な思いをぶつけて来るのか、また司法の専門家が集まり、裁判員を制度をどの様に考えて私の話を聴くのか、全く判らない点であった。裁判終了後の記者会見や個別の取材で私なりの考えを話して来たが、あくまで記者との1対1での取材で、考えの反応は記者1人。また編集後の内容は編集者の好みで発言の一部のみ切り取って構成し伝えたい内容とはズレがあった。裁判そのものが楽しい話題ではなく、新聞やTVでの発言に対して周囲の反応は必ずしも多くなく、私の考えがどの様に受け取られているのか判らなかった。今回のディスカッションには専門家を目指す学生諸君や現職の専門家が、法律や専門知識を勉強していない私の体験や思いをどれ程聴いてくれるか、そんな思いが東京駅に近付くつれて大きくなった。

 個人的な体験では地域の集会や大阪府、枚方市の行政当局との対話や交渉で多数の前での話は普段から行っているものの、知識の基盤が違う人達ではどの様な反応があるかは全く予想も出来なかった。 29日正午、赤門前に集合。新聞で見た有名人や弁護士さん達がいた。先週までNHKの取材を受けており、今日はカメラを持ち込んでの取材。やっぱりカメラは緊張を誘う。どうも他のパネラーの方には迷惑を掛けている様だ。パネラーの控え室に迷路を掻い潜って移動。威厳のある建物からその歴史性を再認識する。控え室に入り他のパネラーさん達と挨拶と名刺交換をする。皆さんが普通の人達(笑い)と判り、談笑をして普通の会話を取り戻した。

 定刻を少し通り越して司会の挨拶でディスカッションの開始。最初は安原弁護士さんの『裁判員裁判の風景』何だか講義を受けている雰囲気だ。2番目は『アンケート等から見られる制度』中村弁護士さん。所々にジョークを交えて私達の緊張を和らげる。経験者3人の体験談に移る。
 最初は青森の牧師渋谷さん。自らの生い立ちを含めて経験を語る。非常に真面目で語る雰囲気は、大変失礼ではあるが布教活動の講演の様であった。
 次は私の番。渋谷さんがとても真面目過ぎと思い、少し和らげと大阪人の乗りで少し砕けて体験を話す。
 3番目は匿名でライターをされている女性。評決で苦悩した思いを切実に語っていた。会場の皆さんの受け取りは3番目の女性の印象が強かった様だ。
 小休憩、ここでも新聞記者の挨拶を受ける。NHKだけだと思っていたがかなり来ている。

 小用後再開。後半からは体験者だけ壇上に並ばされてディスカッションの開始。審理時間の長さや裁判官のリードはどうだったかの質問等が続き、それぞれが自分の体験を語る。大きな違いはなかったが、守秘義務に付いては違った。やはりそれぞれの生活の実感や担当した裁判の違いからか感じ方が大きく違う。今まで裁判の体験を少人数の前でしか話をしていなかったが、沢山の人達ですると大きく頭を上下に降って賛意を表す方、腕を組んで上を向いて反意を示す方などこの様な場所でしか判らない反応を受け取った。特に若い裁判官や司法修習生に、裁判員は必要ですかと私が聞いた処、返事がなかったと話した時は大きな反応があった。専門家でも制度の受け取りが違い、裁判員裁判で時間が掛かり裁判官だけならもっと早く判決を言い渡されるとの意見もあると紹介された時に、この制度が開かれた裁判に向かって行くには、まだまだ時間と認識の浸透が必要だと感じさせられた。

 私自身、裁判に直接関与する機会があって初めて司法に直面する事となったが、選任、法廷での審理、評議、判決の言い渡しで市民参加が終るのではないと実感している。それは、地域の住民自治会のリーダーとして、地域の防犯を考えると、事件の背景を理解し地域で対処する事で、犯罪の多くを未然に防げるとの思いが体験を通じて強くなったことによるものである。そして、犯罪者を掘の向こうに送る事で市民参加の役割が終わるのか、帰って来る人は別の世界の人だとは言えず、これから同じ市民としてどう受け止めるのか、被害者への配慮や被告人の社会復帰は、私達の地域社会の中でどの様に取り組むべきかなどといった疑問に取り組み、被告人の更正の為に、そして類似事件の防止の為に生かすために、犯行と判決だけでなく、裁判官や裁判員がどの様に犯罪を考えて評決を出したのかも開示すべきだと考えている。

 これから時間を掛けて司法の改革が行われるだろうが、若い世代の人達が責任のある民主主義を育てて行って欲しい。ディスカッションを終えて、懇親会への道すがら女性の経験者と話ながら歩いて『そうですよね!』と意見が一致した。『まだ私達はお客さんですよね!』。昨年5月に制度が発足した時に、具体的に裁判員裁判がまだ始まっていないのに「3年後に見直しを計るべき」との発言が国会議員などから不見識な発言が出ていた。私達の経験を無にする事なく、今後もっと難しい事案が法廷に出されるだろうが、多くの裁判員からの市民の視点からの意見に耳を傾けて欲しいとの思いを強くしたディスカッションであった。

(平成22年7月)