● 審理・判決において,刑事裁判は変わりつつあるのでは
くじら(サポーター)
 2010年5月29日に開催された東京大学5月祭での「裁判員裁判で日本の刑事裁判は変わるか」というシンポジウムに参加した感想です。

 裁判員体験者の方のお話はとても貴重でした。特に私が印象に残ったのは,小 島秀夫さんの「(別のシンポジウムに出席した際に)弁護士がわれわれに『あなた方推定無罪って分かってます?』と質問したときには灰皿を投げつけてやろうかと思った」という発言でした。「市民の智恵を司法に生かす」という裁判員制度の趣旨を理解せずに,素人だからと小馬鹿にしたように態度を取る法律家がいるのは大変残念です。例えば,人はなぜ,どういうときに虚偽の自白をしてしまうのかということに対する洞察力などについて,法律家よりずっとすぐれた裁判員がいることは間違いないと思いますし,そのような意見を聞かなければ制度の意味がなくなると思います。

 ただ,裁判員の方のお話は,竹内裁判官の「弁護士任官どどいつ(37)」ではユーモアたっぷりに,浅見裁判官のシンポジウム報告では真面目に,それぞれ紹介されていますので,私は,冒頭にされた安原浩弁護士(元刑事裁判官・裁判官ネットワーク)の「ある裁判員裁判の風景」と題したお話について書きたいと思います。

 私が共感したのは,「かつての刑事裁判はドヨンとした雰囲気で,何を言っても裁判官はポーカーフェイス。壁に向かって話しているような感じだった」という言葉です。
 私も裁判官時代,民事担当でしたが,「当事者は裁判官の心証を探ろうと,ちょっとした表情にも過敏になっている。法廷では決して心証を悟られないように表情を消さなければならない」と教えられていました。それでも,民事では,和解ということもあるので,審理の過程である程度心証を開示することはありました。
 しかし,刑事裁判は本当に厳格で,裁判官があまりに表情を出さないので,人間というよりロボットのように感じられることさえありました。
 裁判員の方は,職業裁判官とは違って,審理の間,感じたこと,考えたことが表に現れる場面もあるのではないかと思います。それによって,刑事裁判が血の通った人間らしい雰囲気になるのはよいことではないかと思います。

 弁護人として「壁に向かって話す」というのは精神的に辛いだろうと思います。安原さんが「裁判員は真剣に審理を聞いてくれ,心地よい緊張感がある」と言われたのはもっともだと思います。今,大学で講義をしていても反応が乏しいときはこちらも徐々に話が平板になりがちですが,反応がよいと滑舌もよくなり,ジョークやエピソードも交えてますます反応がよくなるという良循環になります。裁判員裁判では,この良循環が期待できそうです。

 あと検察官も,今までの刑事裁判では,滅茶苦茶に早口で絶対他人に分からせようと思っていないだろう,という話し方や,被告人にやたらに横柄な口の利き方をする人がいましたが,これも裁判員裁判では劇的に改善されているようです。

 安原さんの担当された親族間の殺人事件では,求刑8年に対して,判決は懲役3年執行猶予5年だったそうです。従来の職業裁判官裁判であれば,求刑の半分以下でかつ執行猶予のつく判決というのはありえず,万一そのような判決が出れば,必ず検察官控訴となったはずだそうですが,この事件はこれで確定したそうです。
 この事件もそうでしたが,親族間の犯罪(介護疲れによる殺人など)や,財産犯(ホームレスの人がひったくりをしようとして被害者を転倒させてけがをさせたという強盗致傷など)では,量刑が従来より軽くなり,逆に性犯罪では重くなるという傾向があることも,この後の中村元弥さんの報告や裁判員体験者のお話で紹介されていました。

 このように,審理においても判決においても,たしかに「裁判員裁判で日本の刑事裁判は変わりつつある」ようです。
 これからも,裁判員裁判を体験した市民・法律家が,体験を語り,より多くの人が情報を共有し,よりよい制度を構築するために議論をする場が必要だと思いました。

(平成22年7月)