● ある裁判員裁判の風景
2010年5月29日
兵庫県弁護士会弁護士 安 原  浩
1 これまでの刑事裁判の風景
(1) 事前の証拠開示は一部のみ
(2) 争点不明のまま始まる
(3) 基本的に供述調書の海−被告人質問や証人調べする場合も調書との読み比べ
(4) 否認事件は長期間のさみだれ審理

  傍聴してもわからない審理,すべてプロに任せる審理

2 私の体験した裁判員裁判の風景

 事案の内容 68歳の女性被告人が長年一緒に生活していた,亡夫の姉(80歳 元医師)の頭部を陶器製人形で何回も殴打して殺害した殺人被告事件

(1) 証拠開示はかなり広範囲になった 請求証拠,類型証拠,主張関連証拠
(2) 争点は公判前整理手続きで絞られ,殺意については争わずまた事件当時,被告人が重症うつ病に罹患し,心神耗弱であったことは争いが無かった。そこで,本件では殺害行為が突発的なものか(弱い殺意),かねての反発による確定的殺意かが争われた。
(3) 検察官提出証拠 現場の状況を示す図面,写真,解剖所見,精神鑑定書
犯行現場の家主の供述調書,遺族の供述調書,被告人の調書2通
厚さ5センチ程度 これまでなら最低30センチ程度
(4) 公判前整理手続 被告人出頭し傍聴人のいない法廷
残酷な写真は証拠請求撤回させる,残りもモニターには出さないことに
弁護側の精神鑑定医の証人申請(用語説明等)と友人らの嘆願書証拠請求を却下
(5) 公判廷 書記官が電話連絡で裁判長の指示を受けて,被告人の解錠指示
着席場所は弁護人の隣
裁判長を先頭に9人が入廷,補充員3人は後方の席に
裁判官席の二人に一人のモニター,弁護人と検察官の後方に大型モニター,傍聴席満席
第1日目 午前中 会議室で選任手続−年齢の若い人を理由無し忌避権行使
午後 冒頭陳述(双方ともパワポ利用),書証はすべて朗読,弁護側
情状証人取調−被告人と被害者とのこれまでの交友関係など
第2日目 午前中 弁護側被告人質問
2時間にわたり,生い立ちから事件発生のいきさつまでを聞き,被告人が友人知人の多い真面目な性格であること,被害者とは数十年にわたり生活を共にし,経済面を被害者が家事全般を被告人が支え,互いに助け合ってきたこと,被害者に認知症の症状があり,事件直前の引っ越し,引っ越し先の家主とのトラブル等で被告人がうつ病になり自殺未遂をおこしたこと,事件直前まで仲良くしていたが,テレビを消す消さないの突発的な喧嘩がきっかけで突然犯行に及んだこと
などを質問
午後 検察側被告人質問
前から世話をやかせる被害者とのトラブルがたえなかったのではないか,被害者の認知症は軽かったので苦労はなかったのではないか,被害者に経済的には全面的に依存していたのになぜこのような行為に及んだのかなどと質問

裁判員,裁判官の質問
今後の被告人の生活の具体的見通しにつき質問

論告(求刑懲役8年)
態様の残虐性と結果の重大性を強調
心身耗弱には余りふれず,恩義を忘れたと非難
弁論(パワポ)
長年の仲良し姉妹であったこと,突然の喧嘩に心身耗弱状態で抑制力が低下して暴行がエスカレートしたこと,被害者の遺族も被告人を非難していないことなどを強調
第3日目 一日中評議
第4日目 午前中評議 午後2時判決宣告 懲役3年,執行猶予5年
突発的殺意を認定,確定
3 どこがこれまでの裁判と変わったのか
   わかりやすい裁判,被告人,被害者,傍聴者の納得を目指す裁判
(1) 供述調書が激減した−公判中心主義の復活
四大死刑再審事件や足利事件の原因は,すべて自白調書の偏重と鑑定の盲信にある。とりわけ自白があると鑑定を安易に信用する傾向が見受けられ,自白調書の安易な信用が問題。
これは,信用できる供述調書の読み込みに主眼のある大半の刑事裁判の現状が生む必然の結果
書面審理がえん罪を生む
(2) わかりやすい審理になった−モニターの利用,わかりやすい鑑定書等
裁判官は必ずしも事実認定について万能ではない,裁判員向けのわかりやすい主張立証は裁判官にとっても有益なはず
(3) 新鮮な感性が反映している
刑事裁判の機能が被告人,被害者,社会の納得にあるとすれば,素人感覚は非常に大切
(4) 検察官の論告が弁護人の反論に耐えうるかを検証する判決となった
ともすれば,検察官の不備を補う判決が多いのが現状
検察官の立証責任を明確にし,評議の焦点を明確にする意味で重要な指摘といえる
本件の判決でも,証拠に基づかない検察官の主張をことごとく排斥
(5) 検察官控訴の激減
本件以外にも求刑の半分以下とした判決があったが,これまですべて確定しており,裁判員裁判尊重の姿勢が,検察庁,高裁を含めて定着しつつある

4 裁判員制度の問題点
   本格的否認事件の運用はこれから
(1) 取調の可視化法制の必要性
(2) 公判前整理手続きの公開の必要性
(3) 速記導入の義務化−証言の即時再生の必要性
(4)

争いのある事件における公判後整理手続の必要性−時間が短いの批判,裁判官の誘導の危険を防ぐ

(5)

守秘義務の類型化 裁判所職員による恣意的注意の頻発
研究のための一部解除の必要性

5 裁判員裁判の生み出すもの−犯罪発生をワイドショーの世界から自分や地域の問題へ
公的空間が身近になった場合の意識の変化
裁判,矯正,防犯等についての関心の高まり
官への依存から自主的判断へ−自治の精神