● 鳥越講演について(1) |
ミドリガメ |
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私にとっては,鳥越俊太郎さんの講演「裁判官はなぜ謝らないのか」は厳しいものでした。論旨は,冤罪(概念が問題になると思いますが,私は有罪となり刑を受けた被告人について,再審の裁判で罪を犯した証拠が明らかに否定された場合として受け取りました。)に関与した裁判官は,人間として,判断が軽率であったと思えば謝罪をするか,あるいは,事件を振り返って検証し,どこに誤りの原因があったかを報告をして,同じ過ちがないようにする義務があるのではないかということだと理解しました。裁判官だけが誤ったのに謝らなくてよい又は誤判の検証をしなくて良いとする理由はないということですが,人間的にはそのとおりであろうと思いました。また,誤判をなくし,裁判あるいは裁判所の権威を高めるためには,今後再審手続又は新たな制度によってそういう検証をすべきものでしょう。新聞記事によれば,富山氷見事件の再審の際に,被告人弁護人側の真相究明に資する事実取調請求を裁判所が一切拒否したように受け取れましたが,上記の観点からは好ましいことではなかったと思います(その点足利事件では検察官から取調べ関係のテープが開示されたのは一歩前進でしょう。)。現在の再審手続はそのようなことを保証していないし,後は民事訴訟を起こすしか検証の方法もないということも問題があります。鳥越さんは,1審の記録を読むと自分でもああいう判断をしてしまったかもしれないという石塚さんの発言の後,トーンダウンしてしまったような感じを受けましたが,あくまでも強く主張し続けるべきであろうと思いました。
鳥越さんのお話を聞きながら,私自身を振り返って,自分はどうだったろうかと考え込んでしまったのは事実です。ただ,やや物足りないと思ったのは,誤判に関するマスコミの関わり方について反省が聞かれなかったことです。マスコミの名誉毀損については損害賠償請求がなされていることをいわれ,裁判官だけが謝罪しないことにつなげられましたが,実は冤罪事件と言われる事件では,犯人が見つかるまでは,マスコミは警察に圧力を掛け,そのために警察が焦って捜査を誤る原因になっていることが多いですし,犯人を検挙すれば,大々的に報道して捜査に声援を送り,裁判中はマスコミも,決して「ザ・スクープ」のように裁判批判をしたり,疑問を呈してはいなかったのではないか。また足利事件で再鑑定請求を応援したりはしなかったのではないかということです。厳しく言えば,過去の冤罪事件については,マスコミも全体としては共犯者の一面を持つのではないか。例外的に菅生事件と松川事件での新聞記者の功績に触れたられただけです。
鳥越さんの「ザ・スクープ」等の活動は大変意義のあることだと思います。今後お願いしたいことは,再審制度改革ないし再審無罪が確定した事件の検証制度の創設を求めるという主張を強く行っていただきたいということです。その方が個々の裁判官にも受け入れやすいだろうし,次の刑事司法改革の動きを生みだすことにもなるのではないかと思った次第です。
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(平成21年12月) |
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