● 鳥越俊太郎さんの講演「冤罪と裁判官」要旨
 こんにちわ,鳥越でございます。私は1940年生まれで,世間でよくいう「around 古希」,アラコキであります。古希を迎えますが,古希というのは中国の杜甫が,「人生七〇古来希なり」と言ったというところから古希という言い方になったということですが,人生50年の時代に70歳まで生きるということは希であったことを意味しております。今や古希は希でも何でもなくて,そこら中に一杯いて,いわば障害物というくらいの感じになっております。何で私が年の話をしたかというと,私は昭和15年の生まれであります。したがって終戦の時は5歳であります。5歳というとある程度物心ついている年頃で,記憶がそろそろ残っているころでございまして,当然空襲とか,終戦の日であるとか,防空壕だとか,防空頭巾だとか,肉弾三勇士とか,そういうことは子供心に覚えているわけです。終戦の日だけではなくて,実は戦後の今日に至るまで,戦後の歴史を全部知っているということであります。戦後の歴史を全部自分の体で体験している,いわば一番若い世代ですね。今日は裁判官ネットワークですから,裁判のことをお話するわけですから,私は基本的には重要な裁判は大体全部覚えている。知っている。勿論必ずしも私が全部調べたわけではありませんし,法廷に行ったわけではありませんけれども,新聞やテレビ等で伝えられる裁判を一応私なりに覚えている。で,今日は私の結論を先に申し上げますと,ここに現役の裁判官がいらっしゃるので多少言いにくいところがあるんですが,「裁判官はなぜ謝らないのか」。このひとことであり,これが結論です。

 世の中には様々な職業があります。どの職業も仕事上ミスをすれば,間違った判断をし,間違った結論を導き出し,被害を与えた場合は,謝り,謝罪をし,場合によっては弁償をし,場合によっては身柄を拘束され,刑事事件として被告人となる。それがこの世の社会,殆どの職業においてそうです。我々の仕事でも損害賠償ということで,殆どの仕事はミスを犯せば謝罪しなければいけないし,損害賠償もしなければいけないし,損害賠償の訴えも受け止めなければいけない。

 しかしながら結論を言いますと,裁判官と神様は間違っても謝らなくていい。 謝った裁判官は1人だけ知っています。袴田事件の袴田さんに対して,一審で無実だと思いながら「有罪」判決を書く立場にあった熊本さんが,涙ながらに詫びておられたのを私は覚えております。間違っている裁判官は詫びるか,なぜ自分たちが間違ったか,検証するか,何らかのアクションを起こさなければならないんですが,残念ながらそういう裁判官にお目にかかったことはありません。日本では。裁判官はミスを犯しても許されるんですか。それが私の今日の最終的な結論です。

 私たちマスコミの世界も,かつては新聞の無謬神話というのがありまして,新聞は誤ることはないと。しかししょっちゅう間違っているんですよ。だから新聞が間違ったときは,訂正というのは新聞の隅に目立たないようにちょこっと訂正を書く。しかし時代と共に今は新聞もテレビも間違った場合は,謝罪するようになりました。このおそらく淵源になると思うんですが,1980年にアメリカでワシントンポストという非常に有名な,ワシントンで発行されている新聞があります。ワシントンポストがジミーズワールドというキャンペ−ンを張ったんですね。これはジミーという8才の少年が麻薬漬けになっていて大変だと。そのお母さんもジャンキー(麻薬中毒患者)であると,次々とキャンペ−ンとして売って,大評判になりました。しかし,その担当記者がその後追及される中で,最終的にはそのジミーズワールドという麻薬事件は,ジミーという少年もいないし,その母親もいないし,それは全く虚構であり,捏造であるということを白状するわけです。さあ大変ですね。ワシントンポストはどうしたらよいのか。いろいろ議論の末,オンブズマンをしていたある教授に,ワシントンポストのトップから,是非この問題を,なぜ私達は間違ったのか,自由に社内で取材していいから,しかも実名で,誰が何をしてどういう誤った判断を犯したのかということを,全部レポートを書くことを依頼し,それを新聞に載せると言われるんですね。それで教授はオンブズマンとして4日間くらい,全部で50人くらいと言っていましたが,その記事に関係した人達を皆取材をして,なぜそういう判断ミスを犯したのか,なぜそれに気付かなかったかということを全部調べて全4ページをその記事だけで,ほかの記事は一切載っていない全4頁の検証記事です。その結果,最初,虚報を流したワシントンポストはやはり読者に強い批判を受けたし,もう二度と読まないという人もいたと思う。その検証記事をワシントンポストが載せたときにアメリカ人の反応は「さすがワシントンポストだ」という受け止め方でした。それでそういうある種の衝撃と感動を受けて私はアメリカから帰ってきたんですが,帰ってきて,サンデー毎日の次長というときに実は同じような事件が起きたんですね。サンデー毎日で実は「ジャパゆきさんはエイズだった」というタイトルで,これはすごい特ダネですよ。ある外部のライターが持ち込んだネタなんです。記事掲載後,延々事情聴取の結果,最後に彼も取り調べで言うと「落ちた」わけですよね。すいませんと。どうしても何か面白い話を持って帰らないと帰れないので,と言うのです。その女性三人がエイズでも何でもない。一見もっともらしい医者の診断書なんかも付いてたわけなんですけれども,それも偽造です。騙されたんですね。社内で激論の上,私が有名な柳田邦男さんに泣きついて,虚報の原因を詳細に取材してもらい書いて頂きました。書店の親父さんが,うちはもう何十年もサンデー毎日を店頭で売っているけれども,これからも売らせて頂きます。私たちは今回の事件で誇りを持って売らせて頂きます,とハガキで書いてこられたときには,さすがにホロっと来ましたね,嬉しかったです,人間は間違いを起こします。神様じゃありません。

 こういう人間世界のなせる技を見たとき,さて裁判,誤りありませんか。戦後四大冤罪事件というのがあります。免田事件,財田川事件,島田事件,松山事件は全部,四つ全部,一審・二審,有罪,死刑。最高裁上告棄却,死刑確定。ところがその後この四つの全てに再審決定が出て,無罪が確定しております。しかしそれを一審,二審,そして最高裁,有罪及び上告棄却という判断をした,そこに携わった人,何人もいらっしゃるでしょう。その中の一人でも,内部でもいい,どっかでもいい,自分たちはなぜそういう過ちを犯したのかという検証をされたという話は聞きません。謝ったという話も聞きません。なぜ裁判官にはそういうことが許されるんですか。神様でもないのに。なぜ謝らないんですか,裁判官は,というのが私の怒りです。足利事件では,警察も謝りましたよ。もっと珍しいのは宇都宮地検の検事さんも地検に菅谷さんを呼んで頭下げてるところをビデオカメラに撮らせましたよ。検察官,警察官でさえ謝る時代ですよ。

 先日私たちはザ・スクープという番組で飯塚事件という,福岡県飯塚市で起きた少女を殺害した事件で久間さんという人が死刑になったんですが,この人の事件を取り上げました。実はこの足利事件のDNA鑑定をした技官と飯塚事件の久間さんのDNA鑑定をした技官は同じ技官なんですよ。精度の低い鑑定が根拠になっているのにばたばたと死刑にしてしまった。これがもし無実だったら国家の名による殺人でしょ。これに関わった福岡の一審,二審,そして最高裁,私は控訴の際に関わった裁判官の名前を全部出しました。おそらくテレビでは初めてだと思いますがね。別に裁判官を非難したわけではないですよ。ただ事実としてこういう問題のある,無実の人の命を奪ったかも知れないような裁判に携わった裁判官名を明らかにしたかったのです。

 私がなぜこんなに裁判に関心を持つようになったかというと,実は戦後間もなく大分県で起こった菅生(すごう)事件というのがあります。発生したのは1952年6月です。大分県の菅生村で駐在所が爆破され,共産党員など5人が逮捕されました。しかし戸高公徳(とだかきみのり)という名前の公安警察の実在する人物がその後自らの犯行であることを認めた。警察は,自ら事件をでっち上げてでも人を有罪にしようとするのか。それは私が中学生のころですから,非常にショックを受けました。そしてその次に私は1949年に起こった松川事件に関心を持ちます。これは東北本線の松川駅と次の駅との間で,列車が転覆して機関士など3人が死亡するという事件が起こります。そして警察・検察は東芝労組と国鉄労組の10人ずつ併せて20人を実行犯として逮捕し,一審の福島地裁では5人死刑,5人無期懲役,10人は有期懲役という判決が出ました。二審の仙台高裁では死刑が1人減って4人になりましたが,有罪はそのまま維持されました。僕の先輩になりますが,記者が福島地検の検事正の所に行って,諏訪メモについて聞いたんです。その検事正は正義感の強い人だったらしいんですけれども,「そのメモはうちにあるよ。」と言って内容を教えてくれました。ものすごいスクープですが,それによると1949年の8月15日に佐藤一被告らは,この日に国労の事務所へ行って,そこで列車転覆の共同謀議を行ったというのが,検察の冒頭陳述書に出ている。ところが諏訪メモによると,その同じ時刻に佐藤一被告は,謀議に行くどころか,会社側との団交の席にいたことがこの会社側の人間がつけていたメモによって明かになった。これが決定的な決め手となって,検察庁が作り上げていた壮大なる砂上の楼閣みたいな,共同謀議による列車転覆事件というストーリーが全部崩れてしまう。ということで最高裁はさすがに仙台高裁に差し戻しました。そして最終的には全員無罪が確定しました。

 菅生事件と松川事件とそれからもう1つあるんです。これは自分で取材した財田川事件というのがあります。これは殺人事件なんですが,谷口さんという人が犯人として逮捕された。そして1審,2審,最高裁と全部死刑判決で確定ということで,大阪の刑務所にいたんですね。本人はズボンに付着している血液は,今の技術であれば自分のものではないと分かる筈だから,その鑑定をして欲しいという手紙を書いていた。そして丸亀支部に届いた郵便物を置いておく棚に放っておかれた。それを当時の丸亀支部の支部長であった矢野伊吉さんという方が見つけて,自ら裁判官を辞めて,弁護士になってこの事件を調べ始めるんですね。一生懸命やって,その後再審に持ち込んで,最終的には無罪を勝ち取るわけです。これがこの4大冤罪事件の1つである財田川事件というふうになって行く。これは矢野さんという裁判官が,自らの身命を賭しておやりになった。これはやはり良心に従われたと思います。菅生事件,財田川事件,松川事件という忘れられない事件,忘れられないと同時に,それで一審,二審,最高裁,その裁判に関わった,有罪とした裁判官の皆さんは,自分たちは職務を全うしたんだと,ちゃんとやったんだと,やったけれども当時の事情では見抜けなかったんだと。だから自分にミスはない,手落ちはないと。おそらく心をそういう風に納得させて生きておられるんだと思いますよ。果たして日本のそういう裁判官がどんどん増えて,日本の司法は守られるのか。裁判員制度になりましたから,市民の常識が入るということで,裁判はこれまでよりは冤罪が少なくなっていくだろうということは言われておりますけれども,やっぱり今でも裁判官が素人の裁判員を誘導するというと変ですが,うまく説得するということになるんだろうと想像しております。間違った判断を下し,有罪,死刑というような判決を書いて,普通に家族生活を送っており,普通に人間として暮らしている。そんなことがあっていいのか,というのが私の最終的な結論です。これは私の長年の怒りなので,ついここで爆発させてしまいましたけれども。申し訳ありません。(拍手)


(以下は,質疑応答の一部である。)

(石塚章夫)私は38年間裁判官をやりまして,今退官しております。先ほどの鳥越さんの裁判官はなぜ謝らないのかという質問に答える能力はないんですが,1つだけ自分の考えを述べさせて頂いて,鳥越さんのご意見を聞けたらと思います。冤罪という定義は厳密に考えると難しいことですし,同じ誤判というのも裁判官の目から見ると1つの分からない言葉ではあるんです。というのは,誤判というのは一般的な意味では,客観的な真実と食い違うと言う意味ではあるんですけれども,では客観的真実というのが確定できるかということになりますと,これは認識論の問題として大変難しい問題がある。刑事裁判のレベルでは合理的疑いを入れなければいいかどうか,そういう基準が立っているわけで,客観的真実との乖離というものを誤判と言っているわけではないと思うんです。つまり一般的には客観的真実との差というのが確定できない以上は,合理的疑いという基準の運用の問題,結局刑事訴訟法に言う証拠の評価は自由な心証によるという刑事訴訟法の運用の当否の問題であって,一つひとつ客観的真実の合致を検証して,その妥当性を判断するような基準が逆にないということになれば,私は一般的には高裁で,上級審で無罪が確定した事件については,合理的疑いの基準の検討の問題であって,謝罪の問題ではない。これを一般化してしまいますと,一つ一つの事件について謝る,謝らないという問題になりかねないいうふうに考えております。

(鳥越)私が謝らないのかという言葉を使ったのは,現実に謝ってほしいと言っているわけではないんですね。最終的に自分が担当したものが客観的な事実と相反した結果に判決として出た場合,心の痛みを覚えていらっしゃらないのではないか。何くわぬ顔で次ぎの仕事をされているような気がするんですね。僕はね。例えばですよ,氷見事件,強姦事件は真犯人が出てきましたよ。真犯人という客観的な事実があったにしても,それはどうなんだと。それは単なる心証の問題ではないと思うんですね。それからさっき申し上げた松川事件も,心証の問題ではなくて,事実の問題として,諏訪メモが出てきて,裁判上は検察庁が構築したストーリーが根底から崩れてしまったという客観的な事実があるわけです。そういう場合に裁判官は一体どんなふうに心を納得させているのかということを僕は問いたかった。判断の誤りはある。問題は,誤ることはある程度,人間である以上仕方がないんですけれども,過ちが分かったときにどうするのか。人間としての正義の問題を問いたい。本当に真実に忠実であるならば,もし間違っていたら,素直に心の中で詫びて欲しい(拍手)。

(以下,省略)