● 少額訴訟の誤解
小林克美(メンバー、京都簡裁裁判所)
 簡易裁判所では,民事訴訟法の改正により,平成10年から,訴額30万円以下の金銭の支払を求める事件について,原則として「1回の審理で即日判決」をする「少額訴訟」を実施し,利用者から好評を得てきました。そして平成16年には,簡裁の訴額の上限が90万円から140万円に引き上げられたことに伴い,少額訴訟の訴額の上限も60万円に引き上げられたので,少額訴訟は増加傾向にあります。
 しかし,近年は,少額訴訟としては不適切な事件が提訴されることが多くなり,原告の期待に添わない例が目立つようになってきました。別な言い方をすると,少額訴訟であれば「1回で勝てるんだ」と誤解して,難しい事件を少額訴訟に持ち込む人が少なくないのです。

 少額訴訟は「1回審理で即日判決」が標語ですが,これはあくまでも「原則」であって,例外があります。原告が勝訴判決を得たからといって,必ず被告から支払を受けられる訳ではなく,強制執行という面倒な手続をしなければならないことも少なくないので,裁判所は,被告が出頭してきた事件では必ず和解による解決を試み,和解による抜本的解決を目指しています。そして,和解が成立する可能性がある場合は,2回目の期日を指定することがあるのです。
 訴額が60万円以下の金銭請求であれば,少額訴訟にするか,従来通りの通常訴訟にするかは原告の選択にまかされますが,少額訴訟の判決に対しては控訴ができない仕組みなので(同じ簡裁の別の裁判官に再審査を求める「異議の申立て」ができるだけ),被告の権利を害さないため,被告には少額訴訟を拒否する権利が与えられています。被告が,訴状に対して答弁(反論)するまでに,「通常訴訟を求める」と言えば,無条件で通常訴訟に移ります。こうなれば「1回審理で即日判決」にはなりません。
 少額訴訟の判決に控訴ができないということは,原告にとってもリスクなのです。原告は少額訴訟を自ら選んだのですから,被告の反論と反証によって雲行が怪しくなってきても,原告には通常訴訟へ戻す権利がありません。裁判官が職権で通常訴訟へ移す方法がありますが,裁判官は原・被告どちらの味方でもありませんから,原告が不利になってきたからといって職権で通常移行させることはありません。即日原告を負かせる判決をするだけなのです。事件の内容からみて,慎重に審理し,控訴の道を残す必要があると考えた場合に,職権で通常移行させることがあるだけなのです。ですから,勝ち目の薄い事件を少額訴訟に持ち込んではいけないのです。勝ち目が濃いか薄いかを考えるためには,提訴前に被告と直談判して,被告の反論とその手持証拠を探っておく必要があるでしょう。少額訴訟の訴状を裁判所に出すとき,受付係から,被告とのこれまでの交渉経過や被告の言い分を尋ねられます。これに的確に答えられないまま,いい加減な返答をして少額訴訟を起こすと,あとで泣きを見ることになります。

 人間だれしも,自分の言い分の方が正しく,相手方の言い分が間違いだと信じたいものです。しかし,原・被告双方の言い分を第三者の立場で聞いている裁判官から見ると,裏付け証拠もないのに「自分が見たから,自分が聞いたから正しいのだ」と主観的に力説する人の主張ほど当てにならいものはありません。自分の言い分を第三者の立場に立って検討してみることが大事ですね。刑事裁判の裁判員をやってみると,第三者の立場に立って考えるということの大切さがよく分かるのではないかと思います。

(平成22年7月)