40歳代 男性 大分県
殺人未遂事件の模擬法廷で裁判員役務め、否、威張り散らした私でしたが、未遂犯のココロを果たして裁いてよいものか、ということを深く考えさせられました。野党のみなさん、諸悪の根源はココロにあり、臭いものは基から断たなきゃ駄目という考えに囚われの身となっていた、というのが私の模擬法廷参加の感想でした。
50歳代 男性 自営業 奈良県
最近の極悪犯罪に対する裁判弁護をみるにつけ、誰がこのような裁判内容、弁護内容を許しているのか、考えてみる。明らかに裁判官の知性、能力不足(皆勉強だけは出来るようだが)につきる、1足す1は2であると言う思考から抜ける事の出来ない単サイホウな頭の人間が人を裁く裁判官になる今のシステムが全ての諸悪の源である。特に地方裁、高等裁での判断は責任ある重厚な裁判官としての誇りある判断を下しているとは思えない。誰が悪いのか、今の裁判官採用のシステムに問題があると言う事だろう。悪徳弁護士に対しても何の抵抗も見せる事の出来ない今の裁判官制度の見直しを求む。これから随時世間に発表し、纏めていく。
60歳代 男性 大阪府
私は、7年前からフランス語法廷通訳人を務めています。これまで法廷等に40回ほど通訳をしてきました。其の過程で疑問に感じた点を、刑事裁判官の方々お伝えして、今後の執務の参考にしてくだされば、幸甚に存じ上げます。
記
- 被告人の身振り、ジエスチャーについて
西アフリカ諸国でセネガル、コンゴ、マリ国籍の被告人は、概ね裁判官の質問乃至結審時の意見陳述に際し、両腕を胸の前で組み、裁判官を凝視する傾向があります。 これは、彼らにとって、深い反省と陳謝の意を表しているのであり、反抗の態度ではありません。
- 裁判の公開原則について
検察官の被告人質問にさいし、書記官から耳マイクを被告人と通訳人に与えられて同時通訳中に裁判官が、「通訳人声が大きい!もっと小さい声で!」と通訳を中断を命じられたことが、2回もありました。いずれの場合も 傍聴席にフランス人と想われる人々が耳を傾けており、小声ではフランス語を聞きずらいと想います。ことは、憲法で万人に保障された公開裁判の大原則に関わる問題です。耳マイクの使用目的の法的根拠はどこにあるあるのでしょうか?2回も異なる裁判官から指導を受け大変戸惑いました。
- 通訳人の被告人の忌避について
公判途中に被告人が私のフランス語が理解できないと言い出し、それを裁判官に通訳すると、休憩になり、裁判官から別室で解任を告げられました。一時間余りつつがなく進行していたのに、被告人の一方的なかつ理不尽な申し出を、いとも簡単に受け入れる裁判官は如何なものでしょうか?また、別の控訴審で2時間半の初公判後、拙宅に担当裁判長から電話で解任を告げられ、いたくプライドに傷を受けました。後日談で、後任の通訳人の選任に窮したと聞き及んでいます。仏蘭西に公務で滞在の長い小生のフランス語には自負があります。余りにも腰のひけた判事たちにあきれ返ります。その後は、名古屋以西の裁判所にいきましたが、解任されていません。本当は、やめたかったのですが、小生しか受ける人が無く今まで続けています。
以上執務の参考にしてくだされば、幸甚に存じ上げます。
40歳代 男性 大分県
(6月号掲載の20歳代・女性・学生・東京都の方のメールに対して)
こんにちは!あなたはいわゆる犯罪者と呼ばれる、罪を犯したことのある人達を『非人間』あるいは『怪物』と看做しているのではないでしょうか?シャバにいる、大なり、小なり罪を犯してまだ捕まってもいないような人の方が、懲りもせず、次に何するか分からない人のほうが私は恐いです。捕まって裁判にかけられている人は事件当時のことが裁判で繰り返され、「もう、思い出したくない!やめてくれ!」と叫びたくなるような気持ちだと私は思います。シャバには未解決事件はたくさんあります。
刑事裁判被告人という方も人間には違いないでしょう。裁判員制度でも、果たして心なんていうものを裁いていいものでしょうか?日本国憲法では思想、信条の自由は保障されています。心は見えない、あなたは分からないものだから『恐い』と思うのです。だれでも間違いはやってしまうものじゃないでしょうか?あなたは一度も交通違反なんてことやったことないほど清い人間ですか?道路の左側を歩いたことは一度もない、なんて言えますか?間違えたことして、捕まり、矯正施設出て初めて人間って清くなれるものなのです。「元ヤクザだった」そんなこといって神の道を説く牧師さんだっているのです。
世の中、皆がみな善人とは限りません。『裁く』ことを目的とする裁判員制度も、いわゆる悪人を善い方向へ導くということではないでしょうか?でも、日本の刑務所は反省はおろか、看守への怨みを持たせて刑期終えたら出所させるので、何にも機能してないなんていうのが現状のようです。その点、あなたが「恐い」なんていうのはご尤もなことだと思います。
40歳代 女性 主婦 滋賀県
○○冤罪事件の無罪を証明する裁判の裁判官の対応はとても変です。これは誰が見ても、警察の作り上げたものです。どういう取調べをしたのか、明らかにするべきなのに、却下するなんて考えられません。裁判員制度が今後始まるにあったって、取調べがどのように行われたのかを、裁判員に提示するのは必要不可欠なことです。それがされないのであれば、私は冤罪をつくる片棒を担ぎたくはないので、裁判員には絶対なれません。
40歳代 男性 医師 静岡県
初めまして、渋谷と申します。静岡で医師をしております。
早速裁判官の皆様方に御聞きしたいのですが、最近の医療裁判(特に分娩と脳性麻痺の関連のように妊娠中から発症していても、分娩時に発症したと判断されているものや、原因が先天的なものでも、出産中あるいは出生後に行なわれた行為により引き起こされたとされるような判例)をみていると、病院に必要なものは医師ではなく、裁判官である。と思いたくなります。医師として助けなければならない命を目の前にして、その場で状況を判断し、一番適切と思われる医療行為を行なう訳ですが、それでも救えない命があります。たとえ救えても、その後の状況が思わしくないと、すぐに医師のミスや病院の対応が悪いといわれるようです。30年前であれば因果関係が解らなかったものも、その後の研究で新しく判明してくるものもあります。しかし、裁判官の皆様のバイブルである判例は、昔からの知識の積み重ねであり、それに当てはめれば間違いではない、と過去の情報に引きずられております。如何でしょうか、今までの判例は判例として、新しい知見があれば、それを取り入れていただけないでしょうか。
連日何件も裁判があり、裁判の準備があり、多忙であることは裁判の素人でも推測できます。医師は医療のプロとして必要な知識を得て、その場で最も必要と思われる医療を行なっております。しかし、プロとして行なっている行為に対してその行為が間違っていると、畑違いの方からいわれるのは釈然としないものがあります。裁判員制度はそういった内容になるのではないかと危懼しておりますが、医療現場との相違は、最終的には裁判官の皆様が判断されるというところにあります。裁判員の出した結論も参考にして、プロとして最良な判断をされることと思います。同じように医療訴訟等専門性の高いものはそれなりに現場を経験ているプロが扱うべきと考えますがいかがでしょうか。
長文で、申し訳ありませんが、(1)最新の知見を取り入れることの是非、(2)専門性の高い訴訟は専門のものが扱うことの是非につき皆様方のご意見をお聞かせ頂けると幸いです。
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