皆様からのメール(2007/06/01)



20歳代 女性 学生 東京都

 昨年やっと成人した、法学とはなんら関わりのない大学生です。私が初めて裁判を傍聴したのは17歳の夏休み、弁護士さんが同伴してくださる傍聴ツアーに参加したのがきっかけでした。

 その後、自分と同じ年代の少年が関わっている事件を傍聴したいとも思いました。しかし、どうしても、傍聴席に足を踏み入れる事が出来ません。「怖い」のです。裁判の進行を知り、裁判をドラマやニュースではなく間近で見てみたい気持ちがありますし、これから裁判員制度が始まり、裁判が開かれたものになっていく以上、国民として見て知っておかなければならない気持ちにもなります。しかし、憎しみがあり、悲しみがあり、重大な罪を犯してしまった人間、裁判をしなければならない程の争いにまで発展してしまった人間を目前とする事に対して、本当に傍聴していいのかという気持ち、好奇の目で見る事に対する罪悪感を感じてしまいます。なので、未だに17歳の時以降傍聴席に入っていった事がありません。本当は被告として連れてこられた人は心の綺麗な人なのかもしれません。繊細が故に違法行為をしてしまったのかもしれません。

 裁判官の方は、私のように、被告に対して「怖い」という感情を持ち合わせてしまう事などあるのですか?

(平成19年6月)


40歳代 男性 大分県

 お世話になります。一般にいわれる、障碍者というお方々も裁判員に選ばれるのでしょうか?

 身体障碍、精神障碍、知的障碍と、障碍の程度は様々、人によりけりです。だからといって、全く選ばれない、というのであれば重大な人権侵害にあたります。障碍者が事件を起こした、いざ裁判となって障碍者の裁判員なんていう方がいなければ、障碍者の敵みたいないわゆる、カタカナで書くところの「ゼンリョーな市民」が裁くわけで、障碍者みんなが世間に背を向けひきこもることになるわけです。

 が、障碍者も罪を償うのは当然です。市民であり、日本国民ですから・・・・・
(平成19年6月)