皆様からのメール(2005/2/1)


10歳代 女性 富山県 学生

 以前大学推薦入試のレポートを書くためにいろいろと質問に答えて頂き本当にありがとうございました。結果は残念に終わりました。しかしせっかく精一杯努力して書いたので、読んで頂けたらうれしいです。

裁判員制度は裁判のあり方にどのような影響を与えるのか。まず私は現在の裁判制度について調べ、考えてみた。すると@裁判官が非常に少ない事A裁判官は一人当たり百件以上もの仕事を抱えており、多忙なことB訴訟指揮が裁判官にゆだねられてすぎている事C一般市民にとって裁判は理解しにくい事D裁判官が判例に頼りすぎる事などの問題点が見えてきた。 この中で私が特に驚いたのは裁判官の人数の少なさである。平成15年7月の時点で日本の裁判官は3039人いるという。それに比べて韓国では35000人、フランスでは12000人と非常に多い。いや日本の裁判官が少なすぎるのだ。裁判官を大幅に増員することができれば一人当たりの担当する事件が減るだろう。多忙のため事件記録を十分検討し論点を把握して法廷に臨むことができなかった裁判官も、充実した審理をすることができ、それにより裁判期間も短縮され経費も軽減されることが期待できるだろう。しかし裁判官を増員すると同時に検察官の増員も不可欠となるはずだ。そうなればさらに莫大な費用がかかると予想される。

日本の現状を考えると大幅な増員は無理かもしれないが裁判員制度を論ずる前にまず一人でも多くの裁判官・検察官を増やすべきだ。

また日本の裁判官は判例に頼りすぎなのではないか。ある本で裁判所内では事件の種類ごとに量刑の記された回覧が回っている事を知ってとても驚いた。しかし見方を変えれば判例を多く取り入れることによって公平さが保たれるともいえるだろうし、また裁判官が多忙であることを考えると判例に頼ることが悪いとは言い切れない。けれお当事者にしてみれば判決が判例に倣い自動的に決められるなら今ひとつ納得いかないのではないだろうか。裁判員制度でも判例をふまえて評議されるであろうが、その事件のそれぞれに即した独自の評議を期待したい。

私はこの夏に「12人の怒れる男」というアメリカ映画のビデオを鑑賞し、アメリカでの陪審員制度のすばらしさ、重みなどに感銘をうけた。その後裁判員制度を調べ、様々なことがわかった。まず長所としてはE裁判が身近でわかりやすいものになるF普通の裁判にくらべてできるだけ毎日行われるため早く終わることができる事、などが考えられる。しかしFは果たして長所といえるのだろうか。確かに早く終わる事ができるかもしれないが、公正さに欠ける恐れがある。例えば審理の途中でさらに証拠調べや証人が必要になれば当然長引くだろう。そうすると長所とは言い切れない。

ところで日本の制度ではGアメリカとは違い控訴できる。アメリカでは一審で無罪なら無罪が確定するが、日本では検察が控訴できるので、有罪かもしれない人を一回の裁判で無罪に確定してしまうという不安はない。しかし日本では有罪率が高く、無罪になると検察は控訴してくるだろう。そうなればせっかくの裁判員による裁判をした意味が無くなってしまうのではないか。よほどのことがないと無罪にはならないはずだ。検察には熟慮した上で控訴して欲しい。

さらに問題と思うのはHマスメディアの永享が大きく公正な審理がしにくいI裁判の当事者との関係を調べる方法が安易な事。J一般市民にとって裁判員になることは負担が大きいことIA全く法律に素人の裁判員の意見が専門家である裁判官に誘導されやすいという事、などである。裁判員が選ばれるのは事件発生後マスコミで報道されたあとである。マスコミが一般市民に及ぼす影響は大きく、松本サリン事件やロス疑惑事件などを振り返ってみても一般市民の先入観はとても大きい。よって先入観を抱いた人が裁判官になった所で冷静に判断できるのかは疑問だ。また裁判長から質問されても申告しなければ当事者との関係はわからないが、このような安易な方法で裁判員を選出してよいのだろうか。当事者側のことを考えると本当に公正な判断をしてもらえるのかどうか不安せある。厳正なる方法で選出するべきではないのか。

この二つの点では裁判官のみの公正な判断の方が信頼できるだろう。つまり、国民の司法への信頼の向上には必ずしも結びつかない。

これまでの裁判制度とこれからの裁判員制度の導入で一般市民に裁判が身近でわかりやすくなることは期待される。そのためにも啓蒙活動はもちろんのこと、わかりやすい裁判を行う必要があるだろう。今までの判決主文では専門用語が多いため一般市民にとて一読しただけでは理解しにくいことが多々あった。そこで専門用語をわかりやすい言葉で言い換えたり国会のようにテレビ中継すれば一般市民の司法にたいする興味・関心が高まるはずである。最高裁の裁判官が国民審査で罷免される可能性が現実化してくる。このように一般市民の司法に対する興味・感心が高まるにつれて一般市民が法を主体的に受け止め、国民が主体となる国になっていくだろう。
(平成16年12月)




60歳代 男性 大阪府

私は、大阪地裁へ6年以上傍聴へいってます。社会を騒がせた事件等はよく傍聴しますが抽選券の場合は困ります。マスコミに依頼されたパートの人が多いです。法廷の中、検事のこと、弁護士の仕事等大変です。裁判官の中でも人情あふれる人、鬼の裁判官みたいな人。皆さん個性があります。まだまだ傍聴にいきます。
(平成16年12月)


40歳代 男性 神奈川県 自営業

はじめまして、隣接法律職に携わっております者です。ネットでたまたま見つけましたので書き込みをさせていただきました。

若い頃は法津に興味は無かったのですが、仕事がら法律の勉強をするようになって感じたことがあります。それは、日本においては、国、国民、権利や義務、あるいは民主主義の本質を理解する教育が不十分ではないかということです。歴史を通じてどのようにして「今」があるのかを知れば、改憲論議や政治についても、もっともっと若い人が関心を持つと思います。法律に携わる人々が協力して、そのような運動ができないものでしょうか。
(平成17年1月)


30歳代 女性 兵庫県 フリーター

 以前、貴ネットワークの講演を拝聴する機会がありました。読売新聞で井垣先生の近況を知り、懐かしいと思うと同時に驚きました。 健康を害されて今は裁判官を退いておられるとのこと。それでも法曹界でまだまだ頑張ろうとされている様子に頭が下がりました。どうかこれからも少年犯罪の現状が何かにつけ少しでも改善されるように頑張っていただきたいと思いました。
(平成17年1月)