皆様からのメール(2004/6/1)


60歳代 男性 元裁判所職員

 
山崎豊子原作「白い巨塔」が再びドラマ化された。ドラマでは,浪速大学病院の教授回診のシーンがたびたび登場する。白衣を着た教授が殿様のように,助教授・講師・インターンを引き連れて病室を練り歩くのだ。  あのシーンを見るたびに,裁判所で行われている最高裁判事や高裁長官の視察を思い出し,気が滅入る。

 庁内の図面を広げ,どこをどう歩き,誰が先導するかを1週間もかけて協議する。長官や最高裁判事にお出しするお茶の銘柄は何がよいか,お茶菓子は何がよいかを話し合う。出す弁当の箱は朱塗りの箱がよいか,お吸い物を温めるタイミングはどうか,そんなことまで決めるのである。

 視察コースにドアがあると大変である。ドアを開けておく必要があるというのである。手はどうしたのか,怪我でもされたのかと言いたいところであるが,誰もそうしたことを指摘できる雰囲気ではない。結局,60個近いドアストッパーが集められ,視察コースのドアというドアはすべて開け放たれるのである。そして,先導,そのまた先導,誘導などという形で何人もの職員が動員される。見苦しいという理由で,当事者案内のために職員がパソコンで作りドアに貼り付けた図面は外され,廊下は「特別清掃」で掃き清められる。

 そして,視察が始まり,何事もなかったかのように終わる。  そうした視察では,裁判所内にどれだけドアがあり,一般当事者がどれほど不自由をしているかを実感することはできない。また,どれほど,庁内が来庁者にとってわかりにくいかを実感することもできない。

 視察が終わるとドアストッパーは一カ所に集められ,どこかにしまい込まれるのである。長官や最高裁判事のために開け放たれたドアは,一般来庁者に向けては閉ざされる。それがたとえ車椅子の方であろうと・・・

 そう,教授回診の際の何気ない一言で,助教授や講師が身を固くするのと同様,長官や最高裁判事の視察の際の何気ない一言で,職員は連日の残業を強いられることなるのである。そのため,「視察」は何にもまして優先して取り組む課題となるのだ。  「白い巨塔」は大学病院に限ったことではない。


60歳代 横浜 武山哲夫

 最近、「裁判官が日本を滅ぼす」(門田隆将著・新潮社)を読みました。大いに疑問の著です。性犯罪事件、痴漢えん罪事件、少年犯罪事件、医療過誤事件など問題の裁判をとりあげながら、全体として厳罰主義で、「判決はかくあるべし」を前提に、それと異なる判決には手厳しく批判し「日本の裁判がいかに非常識な、未成熟な裁判官によってこなわれているか」と非難するのです。

 これでは裁判官たまったものじゃないですか。私も人権侵害事件の支援をしていますから、被害者の訴えを斥ける判決などには、いささか頭に来ることもあるが、裁判官批判と裁判批判はおのずから異なります。「裁判官にあらずんば人にあらず、”神”かなんかだと思っている」「エリートコースを歩み、強烈なエリート意識でおごり昂ぶらされて最高裁のイエスマンに育てられた超エリート集団」と決めつけては議論にもなりません。

 たしかに最高裁の強圧的な司法行政は改めさせる必要もあります。しかし今、国民本位の司法制度をめざす様々な市民レベルの運動が広がってきており、またJネットのように心有る裁判官の皆さんの動きが公然と出ています。同著では参考文献としてJネットの「裁判官は訴える」「裁判官だって喋りたい」なども紹介しながら、本文では一切触れていません。Jネットの皆さんが積極的に外部にむけて発言し、司法制度改革に真摯に率直に提言する姿を一顧だにしないのです。

 最高裁の官僚的、強権的姿勢を批判しながら、良心的な前向きの努力を無視しては、読むものをして絶望感しか与えず、裁判不信や国民の裁判離れを加速させるだけで、それこそ”日本を滅ぼす”ことになりはしないか。Jネットの皆さんのご意見を伺いたいところです。



30歳代 男性 兵庫県

 ずいぶん前から、私はアメリカでの法廷闘争が、陪審員に左右されるのを見て日本でもこうなったら裁判が面白くなるのにと不埒なことを考えていたものでした。が、実際に裁判員制度が導入されるとそんなのんきなことを言っていられないようです。  今の法曹人口の少なさの打開のためのロースクール構想も、より不均衡の状態を助長するのでは、という危惧もあります。

 最近、法律を勉強するようになって、もっと早くに法律に関して学べるように(小中学生)するべきだと思いました。せめて、憲法は知っておくべきだし、またそのことで、市民が司法をより理解できるようになるのでは、と考えます。  私自身、親が判事だったから普通の人よりも興味を持っていると思いますが、一般には何か問題があった時にあわてて考えるのではないでしょうか。

 裁判官が、(あるいは、検事も。弁護士はもちろんのこと)こうして意見を表明して議論することは、とても意義のあることだと思います。(裁判官の家族もそこに加えてみたらとも思います。けっこう言いたい事があると思いますよ。)

 とりとめがなくなってしまいましたが、この活動がよりよい司法改革
に寄与する事を願っています。



40歳代 女性 東京都

 以前、青木英五郎著「裁判官の戦争責任」という書物を読んだとき、著者への尊敬はもちろんですが、「関西はえらい」という感に打たれた記憶があります。私は東京生まれの東京育ちですが、関西には、弱い者を思いやる暖かさや、中央の不条理に屈しない剛毅を産む土壌があるのではないかと感じました。皆様の「裁判官は訴える」という書物を読んだときにも同じ感想を持ちました。皆様の活動を市民の一人として感謝し、さらに発展していかれることを祈念してやみません。



30歳代 女性 東京都

 ニュースで「裁判官に対する評価を訴訟関係者からアンケートで集める方法の導入」を読みこのサイトを訪れました。私個人は裁判に縁遠い者ですが、それでも現在の司法が正しく機能しているか、という問いには大きく疑問を持っています。ただ、どうすれば変わるのかが私の位置からはほど遠いところにあるようで、なにをしてよいのかもわからずにいるのです。

 そんな中、このような活動をしている皆さまがいることを心強く思います。きっと優秀な方ばかりなのでしょうが、国民の大多数は「庶民」であることを忘れず、情報収集を怠らず、国民に愛される司法を目指して頑張っていただきたいと思います。正義が見えない時代ですからね・・・。

 今後の皆さまの活躍に注目しています。