皆様からのメール


25歳代  男性

 裁判は1度傍聴しただけですが、大変多忙な職業とおもわれます。自分自身は裁判の当事者となったことはありませんが、新聞記事をみていると、首をかしげたくなるような判断も少なくありません。とくに最高裁判決は国民にとって重要と思われる裁判では常識を疑いたくなることもしばしばあります。(衆院、参院定数訴訟や家永教科書裁判では官と民で判断が分かれ、職業裁判官の感覚を疑いました。)「家栽の人」の桑田判事のような裁判官が、ひとりでも多くいる裁判所になるように司法改革が出来ればいいなと思います。


男性  学生等

 今浪人生です。将来裁判官になりたいのですが、裁判官の報酬は低くないですか?司法試験という超難関をくぐったのに・・・収入だけではないですが、なぜ収入が多い弁護士にはならず裁判官になったのでしょうか?僕は弁護士は単に好きではありません。やはり被害者だけを弁護するだけではなく、加害者も弁護しなければいけないという点で好きにはなれません。裁判官のいつもテレビに映っている「渋い顔」と「渋い服」が印象的でなりたいと思ったのも単純なきっかけでした。裁判官になったきっかけを教えてください。

(ネットから一言・・・ネットから出版している「裁判官は訴える」「裁判官だってしゃべりたい」を読めば、よく分かりますよ。なお、「弁護人」が加害者の弁護をすることを十分理解しないと、裁判官の仕事はできないですよ。)



25歳未満  学生  氏家 仁

 裁判所(裁判官)が法廷(テレビのニュース)で少しでも市民と近づけるためには、やはり、裁判官の氏名を知ることだとおもいます。法廷の入り口には構成する裁判官の氏名が書かれていますが、テレビでのニュースではたまに判決で裁判長の名前を言うだけです。このごろは、裁判官が質問するとき「裁判官の○○から質問します」というようになったけれどまだ、まれだと思います。是非、法廷で裁判官の名前のプレートを置いてほしいと思います。三権の長である最高裁の長官の名前さえ大多数の人が知らないんですから。

(ネットから一言・・・裁判官は目立つのがいやな人が多いので、プレートはちょっと評判悪いでしょうね。入り口の掲示板で分かってくれると助かりますね。大体は年齢順に名前が書かれていますから。)



25歳未満  男性

 <簡裁判事>無断欠勤繰り返し、競技ダンス 兵庫・豊岡簡裁 豊岡簡易裁判所(兵庫県)の佐用昌英簡裁判事(58)が、兼務する浜坂簡易裁判所(同県)に約1年半、計38回にわたって無断欠勤を繰り返していたことが9日、分かった。欠勤時には、主に趣味の競技ダンスをしていたという。神戸地裁は懲戒処分にはしない方針だが、佐用簡裁判事は2月下旬に退官願を提出した。(毎日新聞)

 私は、裁判所の一職員ですが、今回の事件には、裁判所職員制度の暗部を見る思いがしました。 朝日新聞には、わざわざ、「一般職員から登用された簡易裁判所判事・・・」と書かれてありましたが、どこか悪意が感じられ、非常に情けない思いがしました。

 神戸地裁所長の談話では「事件処理には影響がなかったので、懲戒処分にはしない」云々ということですが、私には、納得がいきません。というのも、裁判所という役所において、結果論を言うことは自分たちの存在意義を否定するに等しいからです。私は10年余り、裁判所職員として心がけてきたことは、手続の遵守ということに尽きます。神ならぬ人間が行う裁判が人々に受け入れられるには、公正な手続に則って行われたという一点に集約されるように私には思われます。

 私も、いろいろなミスをしてしまいますが、そのミスはきちんと手続の中で正されていくのであって、結果的に影響がないから手続をしていなくてもよいということにはならないと私には思えます。民間企業や他の行政官庁なら結果良ければそれでよしと言えても、裁判所ではそれは通用しないものだと思っていたのですが・・・。

 社交ダンスがしたければ、休暇をとってやればよいことであって、そうした社会人としての最低の手続すら踏まずに無断欠勤をしておいて、その結果、別段、事件処理に影響がなかったからと懲戒免職にしないというのは、いったいどういうことなのかと思います。当然、処罰されるべき非行であると私には思えます。

 なにより、私が不審に思うのは、浜坂簡易裁判所の職員はこうした事態をどうして1年もの間、そのままにしておいたのだろうということです。

 一般職員から登用される簡易裁判所判事は、いわば功なり名を遂げた限られた人たちです。そうした「偉い人」のわがままをそのままにしておく風潮があるとしたら、これは裁判所も第二の「外務省」あるいは第二の「雪印食品」ということになりはしないでしょうか。登庁するはずの裁判官が登庁しない、しかも、それが1回や2回ではない、当然、その裁判所の職員はこうした状況を知っていながら、やはり、事件処理に影響がないという理由で、そのままにしておいたのでしょうか。

 これは、まさしく、悪いことだと知りながら後の面倒をおそれて放置あるいはその処理に加担していたということではないでしょうか。それは、雪印職員の社員が上司の指示を「悪いこと」だと知りながら、それに従ってラベルを貼り替えていたのと何ら変わりはないように私には思えます。

 この問題が、個人的な非行として処理されてしまうところが、司法の閉鎖性の端的な顕れではないかと感じます。

 判事、簡易裁判所判事、一般職員のヒエラルキーが厳然として存在し、さらに法曹資格を持つ者と持たざる者の間にはキャリアとノンキャリアのような隔絶した壁がある、そして、ノンキャリアは、ひたすら組織内部で問題を起こさないように、起こさないように、職場ではひたすら人間関係の和、協調の精神が重視される。上司の非行や無能には目をつぶるか、自分でなんとかしなければならず、それを上に報告したり、いわやんや直接、意見などするなんてとんでもない。そんなことをしたりしても、うるさい奴という評判がたつだけで、なんの得にもならない。あー、こうした裁判所組織の息苦しさを感じるのは私だけなのでしょうか。

 私は、簡裁判事が、社交ダンスに熱中した無断欠勤をしていたことより、1年もの間、それを黙認、あるいは放置していた裁判所という組織にはどこか本質的な問題を孕んでいるのではなかろうかと心配です。

(ネットから一言・・・うるさい奴と評判のたつ人がいないと、息苦しさはなくならないのではないでしょうか。評判がたつことを勲章とくらいに思って頑張って下さい。ネットワークの裁判官も、うるさい奴と評判されている人たちですので。)



30歳代  林 栄摩

 裁判官は、一般的感情がなさ過ぎると重います。被疑者を信用しすぎです。逮捕されてからの行動は、自分の罪を軽くするための演技だということが見破れない。本の見すぎで現実社会から掛け離れた存在です。陪審制度をあらためて希望します。



25歳未満  男性

 裁判所職員と裁判官のバッヂって違うのですか?

(ネットから一言・・・デザインは同じで、色が違うようですが、裁判所の職員や裁判官はあまりバッジをつけません。)



25歳代  金式 健吾

 私は、芸術大学の学生です。今、刑事裁判への裁判員制度の導入が検討されているそうですが、心配です。何回か刑事裁判を傍聴した経験からして、一般の方ときちんと話し合うことができるか疑問だからです。何かなるべく事実に踏み込まないようにする姿勢の裁判官も見受けられました。

 舞台裏は知らないから、推測での意見なのですが、これから研修所での教育システムを転換しない限り、裁判員制度は失敗に終わるのではないかと思います。このネットワークの裁判官がたは、従来の型にはまった裁判官像を壊そうという意気込みを感じられ、非常に期待しています。クリエイティブに頑張ってください。

(ネットから一言・・・裁判官が一般の人と話し合うことができるようにするのが裁判員制度の一つの目的でしょう。裁判員制度自体が一つの教育システムのようになると思います。)



25歳代  梅津彰

 料理を生業にしています。そして新庄市マット事件の山形県出身者です。古い因習により山形県人の気質が避難される事が多い昨今です。「山形は裁判官まで腐ってる」と言われ、ハテ?裁判官って国家公務員だから山形県民とは限らないのでは??確認しようとネットで調べる内にこのサイトに巡り会った次第です。

 転勤、配置替えに違う問題はある様ですが判決内容が山形の地に関係ない事がわかり安心しました。 

 現在、村木判事の件から裁判官自身のモラル低下が問われています。また医療過誤、スピード審理、判事と国民生活の距離感、高度な専門知識の理解度、そして山口母子殺害事件、山形マット圧死事件、手錠少女監禁致死事件では判決内容に異を唱えるメディアが多くみうけられます。中には司法制度の抱える諸問題を裁判官個々の資質に問う様な偏向した内容の報道もあります。

 ですが今現在なら自分に関係する判決でも素直に受け入れる事ができそうです。私は学生の時分に家裁のお世話になりました。その時感じた裁判官の持つオーラ、威厳を今も信じています。

 族議員などいる由もない官庁が予算を増加させるのは大変と思いますが諸問題解決には効くと思います。私も微力ですが周囲の人間に問題意識を持つよう働きかけます。良心を供に頑張って下さい。

 「裁判官は訴える」と「裁判官だって、しゃべりたい!」探して読んでみます。

(ネットから一言・・・罪を犯した少年に対して,ほとんどの裁判官は全力をもってその更生を考えて処分を決めます。あなたのように裁判官の努力を理解してくれると大変嬉しいです。)



40歳代  武田信弘

 自分が原告となり、埼玉県などを被告として名誉回復損害賠償訴訟をやっていますが、裁判所の訴訟指揮にはほとほとまいています。証人尋問などは、当事者にテープ録音や録画が許されるべきでしょう。

(ネットから一言・・・諸外国でも当事者が録音することを認めてはいないので、なかなか難しいとは思いますが、ゆくゆくは考えられるでしょうね。)



30歳代  市来 竜哉

 「裁判官は訴える!」・・・こんな本が出るのを待っていました!出て早々に買いましたよ!私のいる横浜家裁本庁(家事部)は、忙しいながらもとても良い雰囲気でお仕事ができます。裁判官との評議も、私と裁判官とで途中からあまりに両者熱が入って他の裁判官を次々巻き込んで、最後は大討論集会で終わる・・なんてこともしばしば。

 もちろん、事件のことを真剣に話し合うあまりですが、「楽しくなければ職場じゃない!」って言ってくださる裁判官がおられるので、雰囲気は最高ですよ。ただでさえ、「おめでたくないこと」を扱うカイシャだからこそ、職員は明るく元気で事件に、当事者に接したい。でも、こんな雰囲気の庁は、ごくごく少数なのでしょうね。  司法制度改革では、裁判官を増やすことは言及されていますが縁の下の力持ちたる「一般職」を増やすことには、あまり言及されてない感じがします。

(ネットから一言・・・全国の裁判所を横浜家裁のような雰囲気にするのが私たちの夢です。そのためには、特定の裁判官の個性だけに委ねた雰囲気造りには限界があるでしょうね。なお、裁判官の増員は,当然に職員の増員が前提となっていると考えるべきでしょう。)



30歳代  女性  青森県

 はじめまして。裁判など一生無縁と思って暮らしていました。ところが、ある詐欺事件に遭い、犯人が捕まり、起訴され裁判が行われているようですが、被害者である私は何も知りませんでした。

 先日、犯人の弁護士から「示談して欲しい。」との電話があり、初めて、今後の日程を知った次第です。

 裁判という物は、実際の被害者の気持を全く無視して進むものなのでしょうか?被害に遭ったのは、検事でも国でも裁判官でもなく、私のはずなのですが、私は謝罪の言葉も受けていないのに、犯人は裁かれていくのでしょうか?裁判がどのように行われているか、知らせが欲しかったし、被害者はどう考えているか、発表の場が欲しかったです。

(ネットから一言・・・刑事事件は、国が被告人に刑を科すのが適法かどうかを決めるものであって、被害を回復するためのものではありませんから、被害者は当事者とはなりません。しかし、刑事訴訟法の改正により、被害者も意見を述べる機会を得ることができるようになりましたよ。)



30歳代  男性  兵庫県

 先日の模擬裁判で裁判員をさせていただきました者です。貴重な経験をありがとうございました。

 参加してみて思ったことは、職業裁判官と市民との着眼点には少なからず差がある、ということです。中坊先生もおっしゃっていたように、問題がないとは言えないが、今よりは望ましい司法が実現されることでしょう。裁判員制度に対して非常に好感を覚えました。裁判員の役割は、非常に重要なものとなるでしょう。

 その意味で、市民の司法参加に関して、若干、楽観的な感触を持つに至りました。



25歳未満  学生

 将来は裁判官になりたいのですが今は予備校生なので勉強を頑張っております。裁判官になりたくて本屋や図書館で色々調べて分かったことはなかなか「難しい世界」てことです。

 例えば、裁判官である以上むやみに名前を公表してはいけないとか職業をあまり言わないほうが良いとか確かに仕方が無いですが。一番、「えー??」って思ったのは、良い裁判をした裁判官が昇格が早くて少し違った裁判(ある意味すごく良い裁判、裁判所からみれば嫌な裁判)を行ったりすると昇格が遅れたりするってうことです。

(ネットから一言・・・出世や昇格を考えると、いい裁判官にはなれません。昇格しなくても普通の生活を送れるだけの収入はありますよ。)



30歳代  男性  岡山県

 昨年、調停を申立てましたが、酷い裁判官に対応されました。私が調停室に入り、椅子に腰掛けて手を机の上に置いたとたん、「おい、手は体の横へやれ、失礼だろ、ワシは書くことがあるから机の上におくけどな。」と威嚇されました。

 私は腰が悪く(調停の中身もそのことにふれている)そのような姿勢は苦痛でしたが、指示に従いました。すると、裁判官はこちらが聞き取れないほどの早さでまくしたて、こちらが何をいっているのか聞き返すと、「何がおかしい」と恫喝されました。

 結局、調停に対して私はほぼ何の主張のできないまま、これ以上続けたら何をされるか分からないという気持ちになり、ほぼ裁判官の言うとおりに終了させてしまいました。

 さすがに、後日、裁判所に対し抗議をし、何故このようなことをしたのか説明と謝罪を求めました。裁判所が調査をしたところ、事実関係は認めましたが、裁判所長が注意をしたと回答があっただけで、「裁判官の独立性」にふれるので、原因の調査はできないし、この件で謝罪もしない。問題の裁判官はもともとそのような人間で裁判所の会議でも声を荒げることがよくある、たぶん(他の)仕事がいそがしかったからそんなことをしたのだろうとの耳を疑う回答でした。

 「裁判官の独立性」の考え方は裁判官が正しい判断ができるよう発生したものであるはずで、こんな裁判官の身分を保護し謝罪もしなくてよいよう守ってやるためのものではないはずです。なお、弾劾裁判所への訴追も検討しましたが、問題の裁判官はそもそも定年退職寸前であり、後日定年退職したといわれました。ということはこの裁判官にはそもそも裁判所長からの注意も、訴追も、痛くも痒くもなかったということになります。今回の件で私は裁判所も裁判官も信じられなくなりました。

 現在、司法制度改革において、裁判や調停の判断の一部を司法書士やその他、裁判官以外の者に行わせることが検討されているようですが、その場合、独立性の確保も今以上に大事ですが、不適切な言動や判断があった場合に、より国民が利用しやすく納得ができるような対応を定めておくことも大事だと思います。

 国民が公平中立な裁判・調停などを信じるためには、外部の干渉から裁判官が保護されていることと、裁判官自身も公平な仕事をしなければ罰せられるということがよくみえている必要があると思います。

(ネットから一言・・・あなたのお気持ちはよく分かります。司法制度改革審議会の報告でも、裁判所外部の人からの裁判官の評価も、裁判官の採用の資料にすることが提言されています。)



25歳未満  女性 

 初めまして。今大学二年生です。裁判関係の仕事として小耳にはさんだのですが、‘裁判官書記’という仕事は実際にあるのでしょうか?そういう名の資格を探してみても見つからないのですが・・・興味があるのでお手数ですが是非おしえてください。

(ネットから一言・・・裁判官書記という資格はありません。正確には裁判所書記官という職名ですが、最初、裁判所事務官として採用された後、書記官試験を受けるのです。頑張ってください。)



40歳代  女性  愛媛県

 医療裁判をしている人を支援する市民グループの者ですが、裁判官の不勉強と、どう見ても公正とは思えないような判決が出されることに不信感を覚えています。公正であるべき鑑定医が医療側寄りの鑑定を書くことは、よくありますが、裁判官がそれをまともに受けて、「鑑定医がこう言ってるのだから、医療側に過失はない」という判決がよくあります。

 医学文献や、薬剤の添付文書に記載されている内容を読めば明らかに医師の過失がうかがえるような場合にも、平気で医師側の「無過失」を認めることがあります。原告が、経験したことを証言しても、「証拠がない」とかで、認めようとしない。裁判官の頭はどうなっているのでしょうか。裁判は、簡単にはできないものです。相当の費用・労力・時間をかけて、真実を追究しようとして提訴しているのです。医療被害に遭った者が、裁判で正当な判決がいただけるように、もっと勉強していただきたいし、原告の証言を真剣に受けとめていただきたいと思っています。



30歳代  男性  岐阜市

 私は岐阜で司法書士をやっています。司法改革の中で、司法書士の簡易裁判所民事代理権が認められようとしています。司法書士の間ではそのことをチャンスと受け止める向きが多いのは言うまでもありませんが、私は懐疑的になる部分があります。

 なぜ、民事代理権だけを要望するのか?法を学んだこともないのに国民の権利保証などといえるのか?司法書士は弁護士と違って完全な自治権が無いのに、本当に一般国民の立場にたてるのか?

 私は学卒からそのまま司法書士になった訳ではなく、また学生時代の友人には法曹になった者も何人かいますので、世間における司法書士に対する見方というものを、この世界しか知らない人よりは分かっているつもりです。

 司法改革といっても、結局はギルド的な発想になってしまうのかなと思います。もちろん、これは司法書士だけではなく弁護士にも言えることだと思いますが。



40歳代  山崎正幸

 書店で「裁判官は訴える!」を偶然にして目にし、惹きこまれるように一晩で読破してしまいました。その時から、このホームページも拝見させて頂くようになりました。

 第2弾の「裁判官だって、しゃべりたい!」も早速拝読させて頂きました。<隼町に変人を>、我意を得たりの思いでした。 専門学校で憲法の講義等も担当しているので、上記の書籍やこのホームページのことは受講者の方々にも紹介させて頂いております。

 大変な重責を担い、その上激務とお聞きしている裁判官実務を遂行しながら、このような活動をなさっていらっしゃる皆様には本当に敬服致します。 ご健康に留意されて、益々のご活躍を心より祈念いたします。



25歳未満  女性  兵庫県

 裁判官ネットワークの皆さんへ久しぶりです、お元気ですか?ついに大学が始まり、明日、大阪地裁へ裁判の傍聴に行きます!私だけで行くのではなく、法学部1回生用のゼミのような講義を選択している皆で(40人くらい?)行きます。神戸地裁にしかいったことがないので大阪地裁の中身はどうなっているんだろうと今から楽しみです。

 そういえば友達にこんなことを言われました。「裁判所って何着ていってもいいんだよね?」と。私にそういう発想がなかったので本当に驚きました。行ったことの無い人の感覚、というか、私はひょっとして、もう悪い方向に染まっているのではないかと危機感を感じました。



20歳代 女性 法律関係者

 札幌でひらかれました、井垣裁判官の講演会を聞きにいきました。わたしはこれから法律関係の仕事につく者なのですが、井垣裁判官の、付添い人活動に対するアドバイスや、勉強会の立ち上げのすすめ、などを聞いておりまして、熱い気持ちが伝わってきました。そして、単純なものですから、わたしも、こうやって熱い気持ちで仕事していきたいなぁと、かんがえました。

 1番いま心にのこっている言葉は、「被害者の気持ちを理解するため、少年犯罪遺族の本を、恨み節もふくめて、すべて読んだ。ご飯がおいしくなくなるけれども。」です。前に別の法律家の人の話しをきいたときも感じたのですが、いい結論、結果をだすためには、「悩む」しかないんだなぁということです。苦しみながら、悩んでもがいていくうちに、いつか何かいい答えがみつかるものなのかもな、と思いました。悩むうちに何かいい答がみつかる、という発見は、「わたしも法律家としてやっていけそうだ」とうれしくもあり、やっぱ大変なんだ・・と少し重い気持ちにもなり、という感じです。これからもがんばってください。

(ネットから一言・・・ご支援ありがとうございます。)



40歳代 男性

 強固な官僚組織の中で、声を挙げることの勇気には敬服いたします。今後もがんばってください。私も国民の一人として、より主体的に関心を持っていきたいと思います。

(ネットから一言・・・ご支援ありがとうございます。)



20歳代  男性

 裁判官ネットワークの方々、はじめまして。私は司法試験をやめて、現在勤めをしている者です。私が学生時代に話題になっていた、ADRや行政訴訟改革などが、司法制度改革の一環として取り上げられているのを見るにつけ、たまに懐かしくなります。

 さて、司法制度改革のポイントのひとつとして「国民の司法への理解」が挙げられていますが、そのためには、法曹養成制度の解明、とりわけ司法試験と司法研修所について、一般の人に広く知らせる必要があると思います。現在の司法試験では、作文力と解釈力がもっとも要求されていますが(お役所の文書第一主義から)、一般のひとはご存知でしょうか?それだけを期待しているでしょうか?

 司法研修所は法曹養成の環境が整った唯一の機関ですが、その収容能力によって合格者が決まっていることを知っているでしょうか?そして、実質判事補を選別する機関であることに気づいて・・つまり、最高裁の利権となっていることを知っているでしょうか?

 「使いやすい司法」となるためには、多くの人が法曹のことをよく知り、片方の当事者が弁護士を雇うことにより、紛争の相手をびびらせて解決、というのではなく、相手も気軽に弁護士を雇ってフェアに解決、という社会が求められると思います。そして、事件の増加に対応して、裁判官の増員もまた要請されると思います。ちょうど「南町奉行所」のような身近なものになるでしょうね。そのためには、現在のような、組織のための制度は改められるべきだと思います。そして、司法修習のあり方や、「合格者が増えれば、質が低下する」という、ステレオタイプな批判も吟味する必要があると思います。これからも、がんばってください。

(ネットから一言・・・数年内にはロースクール制度が施行されるでしょう。そうすれば、上に書かれたような矛盾はなくなるはずです。鋭いご指摘ありがとうございます。ただ、奉行所が身近なものだったというのは、どうでしょうね?)



20歳代 女性 学生

 前にテレビで裁判官の数を司法制度改革によって増やすことを反対している裁判官をみました。1人で物凄い数の裁判をかかえているのにきちんと個別の事件に対応できていると主張していました。わたしは人間の能を超えていると感じたのですが本当に対応できているのですか?

(ネットから一言・・・大変な努力をしながらも法律的には対応できていますが、当事者の納得という面まではなかなか手が回らないことがあるでしょうね。)



20歳代 男性 学生

 裁判官は退職できないって聞いたんですが、本当ですか?

(ネットから一言・・・裁判官でも、自分の意志で辞職することはできますよ。あなたの言おうとしていることは、逆に、分限裁判か弾劾裁判でしか、裁判官を意に反して辞めさせることはできない(憲法78条)、ということではないでしょうか。そのような制度になっているのは、裁判官が裁判所の組織や行政から独立して、自由に裁判ができるように保障するためです。)



20歳代 女性 学生

 現在大学で木佐先生の講義を聴いているものです。今日の講義で、このネットワークについて紹介され興味を持ったのでHPにおじゃまさせていただきました。

 法学部に入るまでは、裁判所ではすべての人が厳然と法のみに従い、何者にも左右されないといった態度が取られているであろうことを疑いもしませんでした。しかし、大学に入り演習などで実際に傍聴に出かけてみると裁判所といえども人の集まるところであり、やはり法と良心のみに従うということはなかなか難しいのだろうなということを痛感させられました。

 それとともに裁判にもっと触れたいという感が強まり最近では学校が休みの平日は(学校を自主休講にして出かけることもありますが・・・)一人で傍聴に行ったりしています。

 先日傍聴した裁判の後に弁護士さんが裁判所には法は通用しない、なんてことをこっそりもらされたのが印象的でした。

 木佐先生はこれまでやってこられたことを講義で紹介してくださることがしばしばあるのですがそれを「自慢」だととる級友もいます。これはとても残念なことだと思います。日本の裁判官制度について疑問をもたれ、このようなネットワーク設立にも関わってこられたことは尊敬に値すると私は思います。

 常に問題意識をもち、より良い方向へ進むよう努力することはとても大切なことです。私は将来司法書士になりたいなという夢をもっており、僅かながらでも法に携わるものとして今後もいろいろな法律問題に興味を持っていきたいと思っております。意見、というよりは個人的な感想になってしまいましたがこれからも木佐先生並びに日本裁判官ネットワークの方々により、もっともっと素晴らしい日本の司法制度が出来上がることを楽しみにしております。頑張って下さい。

(ネットから一言・・・木佐教授の著書「人間の尊厳と司法権」は、当ネットワークの原動力になっています。木佐教授の存在がなければ、当ネットワークも存在してなかったでしょう。こからも、ぜひ司法に関心を持ち続けて下さい。でも、「裁判所には法は通用しない」とはどういう意味でしょう。気になりますね。)



30歳代 男性 法律関係者

 1月27日付け朝日新聞朝刊家庭欄に平野哲郎裁判官のことが掲載されておりました。「育休に無理解、さらば裁判所」といういささか刺激的な見出しがつけらておりましたが、要するに男性裁判官として全国で初めて育児休業を取得したものの、有形無形の圧力から一人の志ある裁判官が退職せざるをえなくなったという内容です。

 私は、裁判所で働く一職員ですが、記事を読んで、実に恥ずかしい気持ちがしました。裁判所という職場は実際、他人と違ったことをしたり、言ったりする人間にはきわめて冷淡であるように感じます。

 本来、裁判所というところは、多数決によっては奪い得ない少数者の人権を擁護することを使命としており、たとえ少数者であっても、その意見には真摯に耳を傾けることを求められているのですが、実際のところは、そうではなく、大勢に従い、なにごとにつけ波風をたてず、穏便に事務を処理していくことが重要視されているように思います。

 平野裁判官は、我を張り、波風をたててしまったのでしょう。裁判官の世界のことは詳しくはわかりませんが、一人の裁判官の育児休業すら配慮することができないのだとしたら、それは寂しい限りだなーと感じます。それは、寺西裁判官問題ともつながってくるのですが、裁判官の世界は実際、非常に閉ざされた社会で、こうした異質な人を受け入れる度量がないように感じます。

 裁判官は、、多数の事件を抱えて忙しい、育児休業なんてとんでもないという感覚だとしてたら、おおいに問題があるように私には思われます。確かに、裁判官は多数の事件を抱え、夜遅くまでお仕事をされ、さらには自宅に仕事を持ち帰ってまで仕事をされている、それはそれで立派な事だと思うのですが、そうだからといって自分たちを特別視するのはおかしいのではないでしょうか。

 裁判官も裁判官である前に、一人の人間、労働者ではないのかなーと私は思います。人を裁くといっても、所詮は他人のもめ事の仲裁役であり、法律を適用するという専門性を除けば、下世話な仕事(失礼!)ではないのでしょうか。

 裁判官自身が自分たちの仕事を少し過大に評価しすぎて、その結果、自分たち自身で「ふつうの労働者」というか「ふつうの市民」が行使している自由や権利の行使に枠を嵌めてしまっているように感じます。しかし、そうした自分たちは特別だという意識を持つ人には、どこか尊大な雰囲気がありますし、「ふつうの労働者」や「ふつうの市民」の気持ちは分からないのではないでしょうか。

 私は、自分たちは特別だという意識を持つ人より「ふつうの人々」の気持ちの分かる人に裁かれたいと思うのですが、多くの人々もそう思っているのではないでしょうか。司法制度改革の核心も案外、こうした点にあるのかもしれませんね。

(ネットから一言・・・私たちも、平野判事を支援したいと考えています。しかし、裁判官は司法の組織上は管理者ですので、裁判官である前に労働者である、とは言えない面もあります。それでも、労働者や市民の気持ちを忘れないようにしないといけませんね。)



40歳代 女性 弁護士

 日弁連で、森野裁判官の家庭裁判所についての講演を聴きました。家裁の中での事務の取り扱い方、家裁の裁判官の実務、その他家裁の職員の実情等、外からではわからない実情がわかり、たいへん良かったと思います。

 裁判所における司法行政の情報公開については、規則がありませんが、国家の重要な機関ですから、公開して当然だと考えています。しかし、一般には裁判官でそのように考える方は少ないようです(たぶんお忙しいというのが主な理由の1つだと思いますが)。そんな中で、情報公開を実践なさっている貴ネットワークの活動に、興味と感心を持ち、感謝しています。これからも頑張ってください。

(ネットから一言・・・去年から、裁判所でも、情報公開法の趣旨に沿って、司法行政文書の一部の開示を認める通達がなされているんですよ。)



50歳代 男性 田中敏浩

 司法制度改革・・・時代の必然なんでしょう。しかし、裁判官であれ、弁護士であれ、この改革の目的は?何なんでしょう?・・・皆様方の「待遇改善」?・・・ 裁判官も行政職ではないにせよ、いわゆる公務員ではないのですか? あまりにも、遠すぎて(雲の上の人?)よく見えません。映画で見た、ドイツの裁判官は市民の「そば」にいたように見えましたが?このコーナーの対象者の欄でも、普通の市民は、「おまけ」のように見えます。 裁判官も弁護士も、きっとエリート集団なんですよネ!

(ネットから一言・・・司法改革は、司法が国民により身近になるようにという、国民のための改革だということを、理解して欲しいです。ただ、ご意見をお聞きするページに、職業の選択肢が法律関係しかないことを問題にされているようですね。これは、法律関係者以外の方が司法制度に関心を持ってくれることを予想していなかったことと、あまり選択肢が多くならないようにしたことにあります。)



50歳代 男性

 民事裁判の判決文が届いた。「主文 1.被告は、原告に対し、・・・、〜の割合による金員を支払え。」この最後の文言「支払え。」これは誰の誰に対する言葉なのか。ったくこの時代、びっくり仰天だ。

 それどころか許せん。裁判制度は、われわれ国民が争いごとを解決する手段として、その判断を国に委託しているのであって、裁判官から「〜を支払え。」というような口調で語られる筋合いのものではない。仮に百歩譲って、それは事務的な言葉遣いにしか過ぎないとしても、この古めかしくも居丈高な言葉遣いこそ、司法制度改革の第一歩であるべきだ。考えられたし。

(ネットから一言・・・裁判は、最終的な、国家による紛争解決手段です。ですから、国から義務者に対し「・・を支払え」というような命令を出す必要があります。ただ、「・・を支払う」というような、判断の内容を知らせる表現でもいいかも知れないですね。)



30歳代 男性 國分 裕之

 司法制度改革の目指す方向は司法の民主化に適合しているものと考えます。司法をより身近で分かりやすいものにしていくために必要なものだと考えます。私はこの度の改革に賛成です。

 日本裁判官ネットワ−クについては次のような感想を持ちます。

 これまで行政や政治に関する情報は比較的多く接する機会がありましたが、司法に関する情報はそれに比べるとはるかに少なく、特に裁判官の方々についておよそ知ることは難しかったかに思います。日々様々な社会問題、紛争に接しておられ、相当な見識を持っておられるはずの裁判官のたちが、なぜこんなにも静かなのだろう、と不思議に思っておりました。

 発言したくてもそれをためらわざるを得ない何かがあるのだろうか、などと考え、得体の知れない何かに対する恐怖感すら覚えたことがあります。

 司法の正当性は国民の信頼感にある、だから裁判官は公正中立であると国民に思ってもらう必要がある、裁判官が積極的に自分の考えを述べ出すと、その国民の信頼感が揺らぎかねない、という考えを聞いたことがあります。

 少なくとも現在の社会状況を念頭に置いたとき、わたしはその考えには反対です。国民が何も知らないから司法の信頼が保たれると言うなら、その信頼の中身は一体何なのでしょうか。何もありません。過去、そのような考えが適切であった、と判断せざるを得ない状況はあったのかも知れませんが、今の社会に生きるわたしには、とにかく盲信しなさい、と言っているようにすら聞こえます。

 わたしは裁判官の方々が物事を自分の言葉で語ることは素晴らしいことだ、と考えます。信頼とは沈黙によってではなく、発言し、可能な限り対話することによって、育まれて行くものだと思います。 これからもこのネットワークが充実、発展してゆくことをお祈りします。

(ネットから一言・・・裁判官の中立性は、司法改革の中でもっと議論されるべきでしたね。ご理解、ご支援、ありがとうございます。)



20歳代 女性 学生 相澤なお実

 日本裁判官ネットワークと言うものが、この日本社会に存在するとは全く知りませんでした。しかし、なかったら、裁判官も一国民として権利を守る必要があるのですから、不思議ですよね。

 先日、比較政治学のクラスで、ドイツと日本の裁判官の実態を描いたビデオを見ました。それで、日本の司法制度とは一体誰のためのものなのか、とても疑問に思いました。また、もし私達の身近で法的に解決してもらいたいトラブルが生した場合に、一体どこへ行ったらいいのかと、不安でいっぱいになりました。

 わたしは、司法は国民の権利を保障するものであると思います。いまのまま、違憲立法の成立しにくい状況、司法が行政と結びついている状況を放置していたのでは、安全に生活できません。それにはまず、転勤を減らし、あらゆる団体活動を認めるなど、裁判官が市民に近い生活を遅れるようにしなくてはならないと感じます。

 司法制度改は早急に進めて欲しいですし、また、それには国民意識を高めることが重要だと思いますので、これから更に市民とともに進めるシンポジウムなど活発な動きに期待します。

(ネットから一言・・・私たちは、一国民としての権利というよりも、独立した裁判ができるような環境を作るための権利を主張しています。ご支援ありがとうございます。)



25歳未満  男性 学生

 なぜ裁判官に女性は少ないのですか?

(ネットから一言・・・どの国家機関でも、まだまだ女性は少ないのではないでしょうか。しかし、最近は女性裁判官がどんどん増え、他の国家機関よりも女性の割合が多いのではないでしょうか。)



20歳未満 女性 学生

 私はインターネットラジオでDJをしているんですけれども、そこで「裁判官だってしゃべりたい!を読んでみてください!」と宣伝したところ、多くの方(リスナー)が購入して、読んでくださったので報告します。

 先日、法学部生だったというリスナーさんから本の感想が届きましたので、抜粋してお送りしたいと思います。
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 「裁判官だってしゃべりたい!」読みましたよ。お恥ずかしながら、大学卒業してから実に10年近く法律関係の本を読んでいなくって、うーむ大丈夫だろうか?などと何とも情けないことを思いながら恐る恐るページを進めたのですが、話し言葉で編集されているのもあって、大変解りやすく、スラスラと読み進める事が出来ました。

 これなら、法律にあまり馴染の無い、一般の方でも読めるんじゃないかなぁ。本物の法律専門書はこんなもんじゃないですよー。何がなんだかサッパリ解らない。そのくせ「はじめて学ぶ○○法入門」とか、平気で書いてるんです。

 ある教授が講義中に、法律の専門書について、「この手の本は、初めての人に教えるために講師が読む本であって、学生の読むものでない。」って言ってましたよ。…半分冗談でしょうけど。

 裁判官の本音が垣間見れて、すごく面白かったです。私も世間一般と同じく、「裁判官」と言うイメージはやはり「硬くて堅物な人」でした。でも、中には胸の内に熱意があって「変えなければ」と思う我々の期待している理想的な裁判官もいるんだと知って、ホッとしています。

 実は、以前に「海難審判」という、裁判に似た審判に証人として出廷した事があります。そのときの、審判官(判事)や理事官(検察)の対応や、やり取りを目の当たりにしてますますその思いを強めてしまった、という経緯があったので、この本を拝読して、それを否定できたのは、ホント嬉しかったです。

 たまたま、私は当事者にならなかったのですが、身内がサンドバック状態に審判を受けている姿を見て、裁判制度や司法行政に対する不信感が一杯だっただけにこの本は、私の中の偏見に一石を投じるものとなりました。

 日本裁判官ネットワークの方々の益々のご活躍を期待いたします。

 それと、対談のなかで免田さん本人が出ておられて、とてもビックリしました。「免田事件」と言えば、人権問題や、訴訟問題の講義で必ずと言っていいほど題材になるいわや、バイブルのようなもので、まさか、その免田さんが!

 少々鼻息を荒くして読んでおりました。たぶん、対談相手の裁判官の方も同じ心境だったんではないでしょうか?

(ネットから一言・・・インターネットラジオでの宣伝、ありがとうございます。)



50歳代  男性  弁護士  平井 治彦

 最近、法廷で感じることですが、形式論理性は、正当な認識の必要条件なのかという疑問があります。裁判官が壇上から自分の理屈を前提にして尋問内容を詰問する姿を見るとそのように感じます。

 確かに、形式論理性は、認識内容の正確な説明にとっては、必要にして十分条件だと云えると思います。これに対して認識の手続について云えば、必要条件であっても十条件ではないとは云えるはずですが、形式論理が展開するスタート地点が誤っているとかえって認識の阻害要因として作用するのではないかと感じます。間違った形式論理はないほうがマシということになります。

 謙虚で柔軟な感受性だけで相手の真意を理解する人々が存在するのを実感すると益々疑いが濃厚になります。その意味では、形式論理性は認識にとって必要条件ですらない。高慢で硬直した形式論理性は認識の災いだと感じます。

(ネットから一言・・・貴重なご意見ありがとうございます。しかし、ム,ム,難しい。)



40歳代  男性 今野連祐

 「裁判官は訴える」は買いました。読みました。新刊は早速買います。

(ネットから一言・・・ありがとうございます。)



60歳以上  男性

 一日も早くドイツの司法界のような改革が実現することを希望します。

(ネットから一言・・・司法改革も少しずつ現実化してきています。)



40歳代  男性

 はっきり言って、裁判所は近寄りたくない、見たくないところです。仕事上やむを得ず、(民事調停の申し立てられた立場で)行かされたことがあります。関係者が思っていられる以上に敷居はすごく高いところです。文書が届いただけでものすごいプレッシャーがあります。それは警察以上につらいものがあります。

 それから、苦言をもう一つ。何回も通っているうちに裁判所内を見る余裕ができてから気づく点がいくつかありました。

 一つをあげるとたとえば法廷内を覗く窓(なんていうのかわからない)になぜふたがあるのでしょうか?必要でしょうか?この例は小さなことかもしれませんが、裁判所は広い意味ではサービス業と思うのです。この窓は、サービス上どうなんでしょうか?どうしても必要でしょうか?知人は傍聴に行ってこのふたすら開けられなかったと言っていました。

 このホームページについて・・・・

 裁判官の方のホームページができていることを知り、これはすばらしいことだと思います。「反対されずによく作れましたねーー」感心しました。関係者しかわからない司法制度では無く、少しでも多くの人にわかりやすい司法制度になるよう現場の方々(失礼(^^;....)の奮闘をすごく期待しています。

(ネットから一言・・・法廷の小窓は、別の当事者等が法廷の内部を確認するためにたびたびドアを開けたりすると、審理に集中できないからですので、必要なものなんです。)



30歳代  男性

 コーヒーブレイクの「K氏」に関する話を読みました。犯罪は増える一報で刑罰を受け人が罪を犯したとき裁判所はその罰を与える所だと認識しております。

 しかし、些細ないざこざは日常茶判事でここに言う犯罪とは別の意味で犯罪が起きています。その別の意味での犯罪(人を軽蔑し無視する行為、犯罪者を育成する行為)に対し生活者としての人がどう取り組んでいくか、「私は普通の人になりたいんだ、だけど周りがそうしてくれない、罪人なんだと決めつけられる」と云う一文を聞いて誰もそうしたいはずなんか無いんだと考えてしまいました。

 司法制度改革では心のケアにも取り組んで欲しいと思います。

(ネットから一言・・・最近、修復的司法という、精神的ケアも含んだ司法が注目されつつあります。)



40歳代  男性  法律関係者  山崎正幸

 貴ネットの存在はTVのニュース番組で知りました。現職裁判官の方のこの様な活動が今までなかっただけに大変興味を抱きました。早速、「裁判官は訴える」を拝読させて頂きました。

 偶然にも、貴ネットのメンバーの方の中に大学時代ご指導いただいた先輩がいらっしゃり、少し驚きました。

 「裁判官だって、しゃべりたい!」も拝読させていただきます。専門学校で憲法学の講義もしてますので、裁判官の方々の実情を知る事はとても参考になります。

 目次にあった「隼町にも変人を」というのは、まさに「我が意を得たり」といった心境です。(ちなみに、「永田町の変人」は高校の先輩です。)

 私も諸先輩に一歩でも近づける様に精進致す所存です。これからも司法の改革のため皆様がご活躍されることを祈念致します。

(ネットから一言・・・ご支援、ありがとうございます。)



50歳代  男性  阿部 潤一

 人が人を裁くこと、量刑の重さ、賠償金の多寡、最も現実的な判断と決定、その根拠は何でしょうか。手垢に汚れた判例では無いと思うのですが。

 裁判官によるこのようなサイトが有るとは、思いも寄りませんでした。開かれた司法を目指して頑張ってください。

 交通事故で重度障害を負った娘の父です。

(ネットから一言・・・量刑、賠償金等は、同様の事件には同様の結論を出すという平等の観点からも考える必要があり、一気に変更することは難しい面もあります。)



30歳代  男性  西岡 浩二

 こんにちは、このHPを拝見しました。私は法学部卒で会社員しております。私は大学卒業前に一度だけ裁判所見学を致しました。

 刑事事件で強盗殺人の裁判でしたが証拠に関しての内容で、刑事が証拠物件の証拠の能力に関して犬の嗅覚は人の何倍だ云々を語っていました。私は「そうかすごいなー」感心したけれど、よくよく考えていたら、こうしたことを一つ一つしていたら、時間が掛かって仕方ないだろうな−と思いましした。

 それと、あんまり卒業以後、法律にたずさわっていないのでまったく分からなくなってしまったけれど、世の中でどれほど司法に関心ある人がいるでしょか?

 だいぶ昔の日本国民は義理、人情、信義できたのに司法がある意味で盛んになり、世の国民が司法にその判断をゆだねるとしたならば、それは普通の日常生活までを司法で縛り尽くすことになるのではないでしょうか? まず、日本の司法教育そのものを見直して、少なくとも学校教育でもっと法律について学ぶべきではないかと思うのです。いろんな法律が多すぎて伴って、何かに違反したばかりに罪人感情が国民に染付くようでは、国民の心が窒息してしまいます。本当に住み難い世の中になりました。

(ネットから一言・・・法律は人を拘束することだけが目的でなく、人を守る目的もありますよ。)


40歳代  女性 長野英子

 司法改革の案の中で、民事訴訟を起こしてまければ相手側の弁護士費用を負担することになるという話を読みましたが、私たち「精神病」者が裁判を起こせなくなる時代になると思います。ハンセン訴訟のように、過剰および長期に拘禁されている強制入院患者の解放のための裁判などとても無理になるのではないでしょうか?

 また「精神障害者」が起訴され刑事事件の被告となった場合、裁判員制度を権利ではなく義務として強制されるようになると、本人の病態に合わせた訴訟進行など無理となり、ますます「精神障害者」の防御件保障は困難になるのではと考えております。連日開廷で迅速な裁判などということになると「裁判を受ける権利」の保障はとても難しくなるのではないでしょうか?

(ネットから一言・・・弁護士費用の敗者負担制度には、国を相手にする訴訟等は適用しない等の多くの例外が認められるはずです。  精神的障害を持った人には、何年もの長期間の訴訟の方が負担になるのではないでしょうか。)



25歳未満  女性

 私は大学生ですが、今「刑事手続きにおける犯罪被害者の損害回復」というテーマで、刑事司法手続きによって犯罪被害者の損害回復を実現することができないかと、諸外国の制度などを取り上げ検討を進めています。

 そこで、疑問に思ったことがあります。 

 昨年「犯罪被害者保護法」が成立・施行され、この法律の中に、「民事上の争いに関する刑事訴訟手続きにおける和解」についての規定が盛り込まれました。

 これに関して私の手元には、昨年11月から今年3月までの実施状況についての資料がありますが(江見健一「裁判所における犯罪被害者保護への取り組み」法律のひろば2001.6)、実際に行われた件数は、非常に少なく思われます。

 これは一体どういったことが原因となっているのか疑問です。

 施行後間もないということもあるかと思いますが、利用者のニーズにあっていないなどの法律上の問題、あるいは運用上の問題なども考えられます。

 この件に関して、実際に現場で働いていらしゃっる裁判官の方なら、ご意見をお持ちなのではないかと考えメールをしました。

(ネットから一言・・・損害賠償請求事件は複雑なものが多く、刑事訴訟の中だけでは解決できな場合が多いでしょう。また、逆に、訴訟までせずに示談が成立する刑事事件も多くあります。)



40歳代  女性  弁護士

 長野県上田市の図書館の推薦本のコーナーに「裁判官だってしゃべりたい!」が置いてあって、ポップな表紙に惹かれて思わず手に取ってしまいました。目次を見たら井垣さんの名前があったので借りてしまいました。

 今は仕事は辞めて信州の山の中で知人の畑仕事など手伝いながらのんびり暮らしています。あんなに反対していた少年法もとうとう改正(?)されてしまったのですね。私はすっかり浦島花子です。映画「ハリケーン」、私も見ました。すっかり忘れていましたけど。井垣さんとは大分視点が違う見方をしていました。あの3人はいったいどうやって生活してるんだとか、そういう見方をしていました。

 ネットワークを立ち上げて、最高裁その他からの圧力は如何なものなのでしょうか。想像もつきませんが、一市民として応援致します。

(ネットから一言・・・ご支援、ありがとうございます。映画だけでなく司法制度も、社会背景が異なると、理解しづらいものがありますね。)



50歳代  男性  大平祐一

 過労死しそうなほど大量の仕事をかかえ、日夜努力して居られます裁判官の皆様には、本当に頭が下がります。

 司法制度改革で裁判官の増員をはかることが、問題の根本解決への最短距離であろうと思いますが、それに加えて、裁判官の仕事をサポートする事務システムの整備、さらには、7年間に1度のサバティカル制度の導入なども、元気良く仕事をしていただくための基盤整備として検討に値するのではないでしょうか。

(ネットから一言・・・司法制度改革では、裁判官の増員は非常に重要ですね。裁判官にもサバティカル制度?と似た制度もありますが、忙しくて利用する人は少ないです。)



60歳以上  男性 斉藤禮義

 問題はあったが、東京高裁の判事の罷免と言う事で、決着になったが、私が思う事の一つは、裁判官でもごく一般の人であったという事の証である。

 裁判官も生活に面白くない時や、不安定な感情の時に、売春事件を犯してしまう。特別な人ばかりではなく、破廉恥な欲望に苦しんでいる、そんな環境と条件にも置かれるということではないだろうか。

 この人なりに、どういわゆる更正されるのか、心配だが、裁判官もごく普通の人だったのが、申し訳ないが、うれしかった。

(ネットから一言・・・このようなご意見には、裁判官としては、救われる思いがしますが、そのご意見に甘えてはならないですね。)


40歳代  男性  宮下 正昭

 いささか旧聞に属するでしょうが、魚住昭氏の「特捜 検察の闇」を読み、重い気分です。真に志のある自由な裁判官が育ち、市民が社会のルールをつくり育てることができる改革であることを願ってやみません。

(ネットから一言・・・そのような司法改革であって欲しいですね。)



50歳代  女性

 調停委員として家事、民事の仕事をさせていただいています。バブル崩壊から家事事件と民事事件が繋がりをもったものも多く、調停事件の複雑化がめだちます。

 私たちも法律を一生懸命勉強しています。全てを把握して適切な進行をはかる裁判官の判断にはいつも頭がさがるおもいです。

 債務弁済関係では、業者への対応など他の官庁の方針など気になるところです。

(ネットから一言・・・調停員の方々には、いつもお世話になっております。ありがとうございます。)



25歳未満  男性

 私は法学部に所属する学生です。判決を調べてレポートを書く課題がありましたが、そのとき法律用語の意味を調べるだけで大変でした。

 法学ってもしかすると一般の人には理解できない、特殊な言葉で仲間内だけで独自の世界を作ることなのかなと思ったり、その世界でがんばるってどんなことなのかわからない気分です。

 判決文を平易な言葉で書く努力って、裁判官の方がちょっとがんばればできることなのですか?それとも難解な専門用語で書かないければならない決まり(内規など)があるのでしょうか?私はまだ1年生です。だから、徴憑なんて言葉ですぐつかえてしまいます。

 専門用語を使いこなせるようにならないとあなた方の世界の住人にはなれないのでしょうか。普通の言葉で誰もが理解できる法律が必要ではないでしょうか。(学生はもっと楽できます?)

(ネットから一言・・・最近はできるだけ分かりやすい判決を心がける裁判官が多くなっているはずです。ただ、法律は正確な表現をする必要がありますので、ある程度、難しい言葉は避けられません。)



25歳未満  女性

 私は大学で刑法ゼミに所属している者です。司法制度改革については、賛成な点と反対な点があります。

 まず、法曹人口を増やすのには賛成ですが、ロースクールをつくるとなると、ロースクールに入るための予備校に通ったりだとか、ロースクール自体も高額な学費がかかったりすると新たな問題がでてくると思います。

 現在も、時間とお金に余裕のある人が、大学を休学して予備校に通い、司法試験に挑戦するといった状況で、せっかく法学部に入ってもほとんど意味のない状態です。

 大学の法学部を改革するとともに、ロースクール案についても、入学制度、カリキュラム、年数、学費などの諸事情を慎重に進めてほしいと思います。

 また、一般人が裁判に参加して、司法判断にも加わるというのは、今の日本では早すぎるというか、まだ無理があるとおもいます。

 日本国憲法の基本的事項も知らない人々が多く、またマスコミの報道に流されやすい人々が判決を下すかと思うと恐ろしいと思うからです。まず、日本でも「法曹」を身近に感じられる体制からつくりはじめていって国民が「裁判」「法」というものに関心を示しだしてから、そのような制度を試していってもいいのではないかと思います。

 ところで私たちのゼミでは、今「保安処分」について研究しており、私は保安処分における裁判官の役割について調べる担当で、司法が介入することが本当に望ましいのか、など様々な点から調べています。

(ネットから一言・・・裁判員制度は、世界の先進国のほとんどが採用しています。  保安処分も多くの国が採用していますが、個人的には、保安処分制度は死刑制度と同様に、捨て去られるべき運命のように思います。)



25歳未満  男性  学生

 私は10年前に父の仕事の事情でスペインから来日しました。今は法学部で勉強していますが、私の入学当時からの目標(というより夢で終わってしまいそうなものだが)は、日本の裁判官になることです。

 今の司法制度のままでは私は(国籍は未だにスペイン)日本国籍を取ってもどこかで足止めを食らうだろうなぁと、思ったりします。(弁護士にはなれますよね?)司法改革が成功したら私のような人は裁判官になれないものだろうか。この国の司法制度に貢献したくて毎日死に物狂いで勉強しているが、この努力は空しいものに終わってしまうのだろうか。

 こんな外人の私だが、この国が好きで出来ることなら役立てたいと思っています。日本の司法制度を見守る仲間に入れてください。

(ネットから一言・・・日本を愛していただき、ありがとうございます。きっと、夢はかないますよ。)



25歳未満  女性

 私は、刑事訴訟法のゼミを専攻しており、今、ゼミにおいて陪審員制度について学んでおります。今、特に分からないこと2つがあります。

 今日本に新たな司法制度(私たちはその制度を「裁判員制度」と習っております)が取り入れられた場合、本当にすぐ機能するかです。

 私自身は陪審員制度をかじり始めており、興味もありますが、裁判というものに縁遠い一般市民(法曹界以外のことです)の中からランダムに、そして忌避されたりして選ばれて・・・それが受け入れられるか。またアメリカのように機能するのかということです。

 そして2つ目に、アメリカの陪審員制度においては「死刑」判決のある場合を除いては有罪か無罪かのどちらかのみを陪審員が決めますが、そうなってくると日本の刑法では対応しきれないのではないだろうか、と言うことと、私もこの新しい案がどのようなものか詳しくは分からないのでめちゃくちゃなことを言っているのかもしれませんが、第3者(ランダムに選ばれた人)も混じったこの制度で判決をも第3者を含めて行う場合、第3者はその判断はできるのかな、ということです。

(ネットから一言・・・先進国で裁判員制度または陪審制度を採用していないのは、日本くらいです。もっと、国民を信用していいのではないでしょうか。)



30歳代  男性

 裁判所職員の処遇きちんと討議して欲しいと思います。調書判決が民事にも入り、大部分の書記官は、比較的軽微な事件について、裁判官と変わらない程度の仕事量を任されておきながら、身分保障も薄く、サービス残業に追われているのが現状です。

 それに加え、ただでさえ繁忙な職場に、オーエー機器が導入され、されたのはよいけれども、学ぶのは自費で勝手に研鑽してくれ、そして、ミスしたら、あなたのせいよと、幹部職員から言われる現状です。結局、いくら叫んだところで、戦前の日本と同じように、犠牲は弱い職種へ、というのが私の実感です。

 それに比較して裁判官の方々は恵まれています。

(ネットから一言・・・もっと積極性を持って,労働条件をよくすることや、国民のために裁判所がどうあるべきかを考えてもいいのではないでしょうか。)



40歳代  男性  桂秀光

 弱い者の味方をしない裁判官が多すぎる。

 行政事件で処分庁側(行政側)ばかりを勝訴させるのは、統計学が教える、自然回帰の法則に反する。

 こんな状態だと結果的には、行政側にこびへつらう人間だけが得をするということになり、公正な議論、当然の文句を言う人間が減り、日本という国が社会的に全く成長しない活力のない国になるだけである。

 それは、とりもなおさず、国力の低下を招く。

(ネットから一言・・・行政訴訟も司法改革の対象に入っていますよ。)