皆様からのメール


60歳以上 男性 京都府-せんだ

 私は裁判に長時日を要するのが理解出来ません。勿論裁判官の絶対数が不足している事情は理解していますが、それを長い間放置している最高裁判所の頭の中は、理解できません。三権分立といいながら、人件費の制約があるなどと言い逃れは出来ないはずです。

 それから、選挙における一票の格差問題で5倍程度は格差とは言えないと自ら、憲法を無視した判決をだして恬然としている最高裁判所にあきれかえっています。その最高裁判所広報課が、この裁判官ネットワークの活動に対し「憲法や法律に違反せず公正中立を求める国民の信頼を損ねない範囲で活動する限りネットについて特別な意見はない」といつているのです。この意見はそっくり最高裁判所に当てはまるのでお返しします。

 憲法判断から逃げまくっている最高裁判所にウンザリです。改革はまず最高裁判所から手を着けるべきではないでしょうか!一度位国民がオオッと賛成するような判決を出して欲しい。



60歳以上 男性 裁判官 広島-中原貞夫

 定年まで1年9ヶ月の簡裁判事です。このようなHPのあることは漠然と知っていましたが、10月27日の朝日新聞でURLがわかりアクセスしてみました。コーディネーターの方の中に姫路勤務当時同じ宿舎だった方が2人も居られ、懐かしく投稿することにしました。

 新聞記事中、簡裁判事を除くとの括弧書きは、統計上の数字に関しての記載でしょうが、紹介メールを見ても簡裁判事らしい投稿はなく年寄りが多いから仕方ないかと感じました。

 簡裁特有の問題では、消費者信用関係事件で、分割払いの和解を拒否し判決を求める業者が増え、経済的弱者の保護に苦慮しするようになりました。このような問題もまたここで取り上げてみませんか。

 パソコンを始めてまだ1年半の年寄りでもメールもでき、このHPの「朝日新聞の論壇について」の末尾、裁判官の「官」が「宮」になっているのはスキャナーを使ったミスではないかと推測するぐらいの知識も身に付きました。頑張れーー簡裁判事。


30歳代 男性 法律学者 大分大学-森 稔樹

 憲法、行政法、法学などの講義を担当する者です。講義の一環として、大分地方裁判所での裁判傍聴を行っております。多くの学生は、裁判そのものに興味を持っているのですが、彼らにとっても、裁判所は、まだまだ遠い存在であるようです(そして、裁判官の方々も)。また、憲法の講義を担当する私の実感なのですが、日本の初等教育および中等教育において、裁判制度を含め、法律、政治など公民分野の教育が、あまりに不十分です。それが、裁判所および裁判官の存在を我々から遠ざけている一員のようにも思われます。

 ネットワークの皆様が、積極的に発言をされ、訴えかけられることを、から願っております。 


60歳以上 男性 元大学工学部教授 京都府

 朝日新聞記事で本日貴ネットの存在を知りました。とても明るく、進んだ方々がおられることに感激し、大いに期待します。けれども、お仕事がらの故か、全体に文章が硬くて、難しい用語が多いので、多少読みにくい印象でした。)司法改革が、真に国民のために、国民の立場に立って、国民の参加のもとになされるよう念願しています。

 これまでの法律が、どうしても為政者中心の考え方が基本にあるように私には思えますので・・・・。貴ネットのような存在は、この意味で画期的です。ご発展を祈ります。(72才・)


30歳代 男性 法律関係者 大阪府

 司法制度改革は21世紀の日本にとって、社会インフラの整備としては、絶対不可欠なものではないでしょうか。今、アメリカが空前絶後の好景気を迎えているのは、多くの人々が、投資を行っているからであり、少子高齢化社会を急速に迎えている日本にとって、401Kプランを成功させるためにも、我国だけではなく広く海外から投資してもらわなければならないのではないでしょうか。そのためには、外国人が安心して日本に投資できるような無色透明で迅速に紛争を解決する司法制度を持つ必要があるのではないですか。

 このグローバルスタンダートと言われる時代に、「日本の風土に合った司法制度」は、本当に必要なものなのでしょうか。「裁判のマス化」、「ネット社会における裁判」をもっと議論すべきではないでしょうか。



30歳代 男性 法律関係者 大阪

 先程,裁判所書記官は司法制度改革ではほとんど議論の対象となっておらず,しらけた雰囲気が現場では漂っているという意見を寄せたものです。

 念のため,司法制度改革審議会のホームページで公開されている議事録(第1回から第28回まで)について,「裁判所書記官」というキーワードで検索をかけてみました。

 結果は,わずか23個でした。議事録は委員全員の発言が最大漏らさず記録されており,ダウンロードすると相当の時間がかかる代物で,たぶん新書判サイズの本にすると5,6冊になるのではないかと思われますが,そうした長時間にわたる議論のなかで,発言された回数はわずか23回です。もっとも多いときで,第26回の7個,第17回の6個です。 はじめて登場するのは,第8回で,そのときは1回きりでした。登場した回数を記しますと,次の通りです。,11,13,17,22,26,27 職場では,最初のうちこそ,分厚い司法制度改革審議会の議事録が回覧されていましたが,今はどうなっているのでしょうか。

 多忙を極める少数の裁判官を補佐して,日本の司法制度を守ってきた裁判所書記官が司法制度改革審議会では,この程度しか議論されていないのです。裁判所書記官の多くが,司法制度改革をどのような目で見ているかご理解いただけると思います。

 債務名義の7割は,調書判決か和解調書か,支払督促であり,そうした債務名義は裁判所書記官が作成しているのです。争いがあるか,ないかという点を別にすれば,民事司法の7割は書記官の債務名義によって機能しているのです。しかも,その債務名義は,裁判官の作成する判決と何ら効力に差がないものです。

 その上,裁判所書記官は,裁判官の補助として争点整理や事案解明行為にまで参画し,裁判官の不足を補う努力をしているのです。しかも,国民の多くの知らないところでです。さらに,当事者に直接,電話で怒鳴られ,窓口で泣きつかれ,裁判官と当事者の板挟みとなりながらです。

 私は,声を大にして言いたいです。

 裁判官を増やせば,司法改革は実現するのか。裁判所書記官はこれから,何をすればいいのか。



25歳以下 女性 神奈川-和田みゆき

 はじめまして。いろいろな情報が飛び交う時代、沢山の人が混乱しているとおもいます。しかし真実は一つだと思います。私は噂などに振り回されたくない。本当のことを知りたいです。私は過去の裁判記録を検索出来るページを作ることを提案します。膨大な数の資料だと思いますが、是非、実現していただきたいです。



30歳代 男性 大阪府

 私は、先日破産の審尋で裁判所に行きました.破産する事は、債権者に対して悪い事だとは思うのですが、裁判官に、月1万の家に住め、1日千円で生活しろ、だの家族6人では到底現実的でないことを命令口調で言われました。現実問題月1万の家賃の家なんてないし、理想ばかりで現実がまったくわかってないのだなと思いました。

 その裁判官が実際できる事であればいいのですが、現実離れして、自分はとてもえらいのだという感じがとてもしました。社会教育というか社会研修を取り入れるとかするべきではないでしょうか.



60歳以上 男性 研究者 東京都-ボノボ

 先日、四谷で開かれたフォーラムには、わたしの体調が具合が悪くて欠席しました。大変残念に思っています。

 さて、9月26日のニュースステーションを見ていまして、浅見宣義さんが出演して判事の実態を披瀝していましたが、こんなことは、わが国では初めてではなかったかと思います。と同時に、わたしが感じましたのは、「純粋培養の環境からは『本物』は生まれない」ということでした。世間の風に当たらないで、「こんなものだろう」という見当をつけるような審理、事実認定では、訴訟当事者は納得していない。判決書だけが裁判ではない。ということです。
  これを是正するには、「陪審制」を、民事も刑事も日弁連が主張する「選択制」でもいいですから、できるだけ速やかに「改正」できるようご協力頂きたく思います。


40歳代 男性 学生 東京都-赤浦協一郎

 今晩のTV朝日ニュースステーションで貴団体の存在を知りました。私も組織的には固めの所(みずほ)に居ますが、理系管理職の私とっても法律の世界は言葉が難し過ぎる。平民にも認識共有の為の検討をし続けて頂きたい。



25歳以下 男性

 一票の格差がでかいのは違憲だ。日本が良くならないのは、田舎の議員がのさばっているからだ。田舎の議員がのさばっているのは、一票の格差があるからだ。



30歳代 男性 法律関係者 東京都

 私は弁理士をしております。最近、特許訴訟に関して弁理士に訴訟代理権を与えるべきか、との議論がなされています。職域が拡がるのは結構なことですが、やはり現状では訴訟に関する知識が乏しい弁理士に訴訟代理権を与えるのは時期早々かと。但し、適切な研修、試験等を行うことで解決できないでしょうか。超えなければならないハードルの水準を明確にすることで、自己研鑽に励む弁理士も増えると思いますが。



30歳代 男性 弁護士 神奈川-熊谷

 「朝日新聞の論壇について」等、改行が少なく、文章が非常に読みにくい。どうしても、「裁判官はやっぱり、相手の立場(読者の立場)に立って考えられない」と、思ってしまう。法律書の様な読みにくい書物は、一般人はあまり読まず、読みやすいものを好んで読むものです。いかに人に読ませるかという工夫がもっと必要だと思います。



40歳代 男性 愛知県-岡戸 正成

 出版直後に「裁判官は訴える」読みました。日経ビジネス誌にシンポジウムの記事が掲載されていましたので改めて息の長い活動をされているのだなと感じ、紹介されているHPを開いてみました。理屈と膏薬はどこにでもつくという言葉がピッタリの法律の世界が少しでも変わり、実社会に即した争い事の解決が図られる制度が早くできることを切に望みます。それには裁判官が実社会に出て、実社会に触れることが必要かと思います。外で見かけることはまったくありませんものね。



25歳以上 女性 学生 兵庫-紅茶

 こんばんわ。いつも毎日新聞でご活躍を拝見しています。皆さんまっすぐ前を向いている感じがして、励まされています。かっこいいです。(笑)「裁判官は訴える」を読みたいのですが、なかなか機会がなくてまだ未読です。今世紀中には必ず探し出して読ませていただきます!

 色々活動なさっているようですが、いつも場所が東京なのが悲しいです。地方の身では、予算も時間も苦しくて・・・。関西での講演会その他の予定はないんでしょうか?あったら是非参加させていただきたいんですが。



50歳代 男性 大阪府-橋本邦雄

 1票の格差が4.98倍でも違憲でないという裁判官の判断は、私たち国民にとって常識はずれのなにものでもないと考えます。衆議院で2倍以下、参議院で3倍以下になるまで、裁判官の今後の動きを見たいと思います。



25歳以下 男性 法律関係者 大阪府

 私は裁判所で裁判官と一緒に働く書記官です。裁判官ネットワークの裁判官ともかつて職場でご一緒したことがありますし,飲みに連れて行っていただいたこともあります。「裁判官は訴える」も拝読しました。司法改革についても興味があり,その方面の書籍や新聞記事にも出来るだけ目をとおし,ニュース番組も見るようにしています。

 裁判所で働くようになってもう10年になりますが,裁判所というのは本当に風通しの良くない職場だなーと感じます。大学時代,ゼミの教官に「司法試験に落ちたので,裁判所職員になります」と報告にいくと「そんなじめじめしたところに行ってどうするんだ」と言われました。そのときは,それはないだろーと思っていましたが,今では確かにそうかもしれないなーと思うようになりました。

 司法改革では,裁判官のあり方が随分と論議されていますが,問題は裁判官にとどまらず,一般職員も含めた裁判所職員全体に関わるものと感じます。

 とりわけ,管理職の仕事に対する志気の低さには時として怒りを感じることすらあります。事務改善の新しい提案に対する消極姿勢と前例踏襲,事なかれ主義,あるいは非効率な事務処理のあり方が,情報公開によって国民の知るところとなれば,いったいどういうことになるのかと不安になります。管理職が,ノートパソコンを横において,電卓を使って事件統計を半日もかけて処理している様子を見たりしていると職業選択を誤ったかなという思いすらしてきます。

 また,事務改善の提案をしても,組織原理とかなんとかいうわけのわからない理屈でもってうやむやにされることが多く,なるほど,書記官というのは,余計な頭を使わず,言われたことをやっておけばいいのかなー,仕事に対する情熱を他に振り向けた方がよいのかなーと思うこともあります。

 どうも,裁判所の一般職員というのは,組織上,裁判官の下に置かれることから,どうしても創造性や積極性といった点が活かされず,仕事のあり方についてはあきらめてしまっていて,結局は,仲間うちで飲みながら仕事の愚痴を言いあっているような観が私にはあります。

 私は,不合理・非効率な事務については,みんなで議論し,改善すればよいではないかと思うのですが,そんなことに力を費やしたってろくなことにはならないというのがたいていの管理職の思いのようです。そんな事務処理は,おかしいじゃないですかというと,それは確かにおかしい,みんなおかしいと思っている,でも仕方がないんだというのが答えなのです。

 とどのつまり,裁判官は裁判官で発言しない,職員は職員でやはり発言しない,たまに発言しても歓迎されず,孤立する,そういうものが言いにくい雰囲気があります。そして,大切なことは知らないうちは決まっていて,私たちの上の方から連絡事項,伝達事項として降りてくるのです。事務改善の提案や会議での発言は,評価されるよりむしろ,組織秩序を乱すものと考えられているのではないかとさえ思えます。

 私は裁判官と一緒に仕事をするこの書記官の仕事は,なかなか奥が深く気に入っているのですが,裁判所のこうした気風にはまったくなじめません。司法改革が裁判所のこうした気風に風穴があけてくれればよいのですが・・・・。  



40歳代 女性 広島県

 離婚裁判を受けた立場の者です。

 刑事裁判で冤罪ということがありますが、民事裁判でもそれを防ぐ方法を考えてほしいと思います。どんな方法がいいか頭に浮かびません。ただ、被告がそれを望むなら本人尋問だけでなく刑事裁判のように現場検証や精神鑑定等したらいいと思います。もしかしたら、精神科医が何人か裁判に加わってくださるといいのかも知れません。

 家庭の中は密室でなかった事はとても証明できません。裁判官も忙しくて人手不足だと聞いています。それも原因の一つかも知れません。

 私が誤解されるような発言をしたのかも知れません。しかし、ありもしない事を判決理由に書き連ねられた人の気持ちは解っていただけますか。結婚生活だけでなく、人格まで全て否定されたような気持ちになってしまいます。

 どれほど叩きつけられ、立ち直れなくなるか想像できますか。何年間かかけて執拗に相手を非難し排除し続け、いじめ、そして、裁判ではそれに輪をかけたように事実を都合よく変えたり架空の事実をくっ付けて申し立てるなどとても悪質だとは思いませんか。

 しかも裁判所では家では見た事もないようなしおらしい態度で話しているのです。皆がそれを信じたようです。客観的な証拠もなくそれが認められてしまいました。そんなことを防ぐ方法を、システムの中に盛り込んでほしいと一般庶民の私は切に願っております。私だけでなく、子供達の人生にも大きく影をおとします。

 ここに書くメッセージとはもしかしたら質を異にする意見かも知れません。しかし、このような事が今後起こらないようにするには、黙っていは解決がつかない事と思い、また判決を受ける側の立場を解っていただきたく、ここに記入させていただきました。 


30歳代 女性 東京都

 初めまして、私はただの会社員です。このサイトもどうやら素人が読むものではなさそうだと思いつつ、そもそもは検索エンジンから辿り着いたもので、せっかくなので一筆残そうと思います。
 
 今日(9/18)のニュースで暴行と殺人の罪に問われた犯人に出た「限りなく死刑に近い無期懲役」という判決に新鮮な驚きを感じ、そういえば、オウムの井上被告に対する判決文の一部を読んだときも同じような驚きがあったことを思い出し、裁判官という方々にも人格が吹き込まれ判断に作用するのかという実感が初めて湧きあがり、もしや同じ人なんてことがあるのだろうか、そうならば裁判官の名前を調べてみようと検索したらここに辿り着きました。

 選挙でも誰が誰だか解らず、いつも一票が無駄になっているような不快感にとらわれながら、全員に不信任のバツを書いたものです。おそらく一般市民には見えないところで、裁判官にも「護憲派」とか「人権派」(?)なんてカラーがあるんでしょうが、もっと解りやすく身近であってくれると、有り難味も増すと思うのですが。

 庶民派ぶる必要はありませんし、そんなことも求めておりませんが、何よりも主義主張が人それぞれ明快に違うはずでそれがはっきり見えてくるのは、やはり安心感に繋がると思います。雲の上の法曹界じゃ、これからの世の中では信用できないですよね。 



25歳以下 男性 長野県

 日本の裁判は、解決するまでに時間がかかりすぎると思うのですが、どのようにすれば、裁判を早く終わりにすることができるのですか?そのために、なにか対策をしていたりするのですか? また、裁判の役割を教えていただきたいのですがよろしくお願いいたします。 



25歳以下 女性 石川県

 ワイドショーなどで、現在の司法制度や裁判官について、感情的に非難している人たちに「非難しかでしないのか」と、何故か怒りを感じてしまい、裁判官で検索しました。このホームページを見て、法曹の方々も現状を憂いている事が分かりました。やはり、警察組織と同様に何か目に見えない大きな力によってくるわされていると感じました。

 しかし、何が悪いのかよく分かりません。今の制度を決定する時にはこれなら大丈夫だと、考えて決定されたはずなのに、どうして今、こうなんだろうと考えてしまいます。私達のお上任せのツケなんでしょうか。公正な裁判に憧れて、裁判官を目指していますが、なんだか理想と現実のギャップに失望しそうで不安になります。誰かがなんとかしてくれる、なんて考えている時ではないと感じました。

 質問ですが、日本で陪審制は本当にやってよいのでしょうか。1人が意見を言えば、全員が右にならえになりそうな気がするのですが。 



30歳代 男性 群馬県 桐生 岳

 居眠り裁判官について、どう思われますか?

 先日、ある地方支局の土地の明渡し請求に関する民事訴訟についての、証人尋問を傍聴しました。それは、判決を残した、最後の尋問です。

 しかし、その最中、裁判官が、居眠りを止めませんでした。2度注意させていただいたにも関わらずです。今回の証人尋問の理由の一つは、当該裁判官が、「産業廃棄物とは、どういうものなのかわからない」「廃棄物処理法は、知らない。説明が欲しい」という法律に関する知識不足を補うこともあり、その説明も兼ねたものでした。(それだけでも、やる気が無い様に感じますが)その尋問の最中に、裁判官は、居眠りを続けたのです。

 公判中の尋問は、淡々と続き、裁判官は、判決の日付のみを伝え、終わりました。法の良識は、どこに行ったのでしょうか?訴訟費用と、税金を搾取するだけの、司法の志を忘れてしまった公務員に成り下がったのでしょうか?

 この件について、関わった人々、当事者・弁護士・書記・庶務、そして、証言者に対し、どのように面するのでしょうか?裁判とは、裁判官がいなくても進行するものでしょうか?今回の尋問を空白にしても、判決はできるものでしょうか?空白にされた情報に基づく判決を、果たして信用できるものでしょうか?かつて、司法を学んでいたものの一人として、この件は、怒りと嘆きを強く感じます。司法以前の問題です。



40歳代 男性 法律関係者 鹿児島県 瀬下満義

 行政訴訟について

 私は原告として、行政訴訟を経験しましたが、裁判官がちんぷんかんぷんのように見うけました。現在の状況では、行政訴訟は事実上住民側の勝訴は不可能に近いのではないでしょうか。裁判官にまったく自身がないように感じられました。

 常識のなさ、生活経験の乏しさは致命的だと思います。住民側は、資力の面からも圧倒的に不利であり、行政庁に立ち向かうのは玉砕戦の様相を呈します。 そこで、裁判官からみた行政訴訟の実態と改善策を述べてもらえたらと思います。

 日本の行政は完全に機能不全を起こしております。議会も同様です。間接民主主義がうまくいっていません。裁判官は勇気をもって、社会と向かい合って欲しいと思います。


30歳代 男性 千葉県 川畑圭司

 「どんな仕事に就いているにせよ、人はいい仕事をしようと思うのがあたりまえだ」(チャールズ・ブコウスキー著、中川五郎訳「くそったれ!少年時代」)

 「いい仕事」とは何か。この1週間、ブランド企業2社が相次いで警察当局の家宅捜索を受けたことで、こんな思いを抱かずにはいられなかった。車と食品、いずれも生命に直接かかわる。安全な製品を作るのが、まずはいい仕事の基本だろう。しかし製品に欠陥があることが分かったときの対応は、疑問だらけである。事件にかかわった社員は、いい仕事だと信じて法に触れるようなことをしていたのか。あるいは、いい仕事をしたいという社員の志を無理や抑え込んでしまう力学が働いたのか。 会社の手前勝手がまかり通る姿を、また見せつけられた気がする。会社にとっていい仕事は、社員にとっても社会全体にとっても、つまりは無条件に「いい仕事」だというのが、本来なら当たり前なのに。

 ***2000年9月2日 日本経済新聞夕刊『鐘』欄より***

 たぶんほとんどの人が、司法試験を受けるときには、司法を通じての社会貢献を夢見て受験したものと思います。特に裁判官任官者は、中立で公正な判断を通じて社会に貢献すべく裁判官への任官を希望したものと思います。しかしながら、実態が現状のようになっている原因は、裁判官自身が一番良くしっているのではないでしょうか。

 真の原因に自らが目を向け、改革を試みることは、確かに至難の業であるでしょう。ミッドウエー海戦以降の大本営発表のように、うそを貫き通すために更なるうそを重ねてしまった現状では、真実の公開は時期を失してしまったのでしょうか。しかし、先送りすればするほど事態は取り返しのつかないことになってしまうことは、歴史が何回も何回も証明しています。歴史の教訓を忘れ、バブルの宴に酔いしれた多くの人達のように、渦中にいる人達にとっては、問題意識すらないのでしょうか。

 御会はまだ、国民の意見を聞く窓口を設けているので、一国民として意見を述べさせて頂いています。最高裁はホームページを設けていますが、意見を聞く窓口はありません。最高裁の考え方を如実に物語っています。意見を受け付ける窓口の無いホームページというのは、最高裁だけではないでしょうか。国民から、社会正義の実現のために、権限を委託されているという本来の立場は100%忘れています。自分達は国民とは身分の違う上の存在、いわゆる『お上』であり、国民が最高裁に物言うのは不敬そのものだという姿勢がありありです。それは最高裁のみならず、裁判官の態度にも如実に現れています。

 私が経験した裁判では、被告側弁護士と打ち合わせをして不正をしようとしているのに対し、もう少し公正にお願いしますと原告側弁護士が一言言った時の逆上した裁判長の顔は今でも忘れません。不正の行使を進言する弁護士には笑顔で同意し、「公正を」とたった一言言った弁護士には逆上して怒り出す裁判所の実態は明らかに異常です。世界的にも奇異の目で見られている日本の裁判所。国際的な機関からの勧告も、その傍若無人な振る舞いで無視を続ける日本の裁判所。そういった裁判所を、お上のすることだからしょうがいと、黙認を続けてきた国民も確かに悪いが、裁判官の罪の方が重いと私は思います。

 9月3日読売新聞朝刊に、横浜地裁の裁判官が調書を偽造した件で、弁護士が告訴をした記事が出ていました。この裁判官は、今までの習い性として、何の躊躇もなく偽造をしたのではないでしょうか。今までは、裁判官・検事・弁護士の司法ギルドの堅い結束のなかで、そういった不正は表沙汰になることはなく、弁護士にしても、裁判官の機嫌をとってさえいれば、商売がなりたっていたので、そういった不正に目くじらをたてる必要はなかったのでしょう。しかしながら、時代は少しずつではあるが変わりつつあります。弁護士にも競争が必要な時代が予想されるし、組織の不正論理を内部告発する例も増えてきています。今回の事件は、裁判官と検事の官僚同士の結束から、起訴には残念ながら至らないと思いますが、告訴する弁護士は増えてくると思われます。弁護士に対する締め付けは、確実に強制力を失っていくものと思われます。

 大本営発表のおかげで、国民がどれだけの悲劇を味わったかというのは、記憶に新しいことです。その教訓を生かせずに、同じ過ちを繰り返す愚はもう止めなければいけません。

 監視のない何をやっても許される閉鎖的な権力は、必ず悲劇を伴って滅びるということも、何回も何回も繰り返された歴史の教訓です。悲劇が拡大を続ける前に、問題の本質に目をそむけるのを止めて、自らの問題を公表することは不可能な事なのでしょうか。一国民として、日本の将来が少しずつでも良い方向に向かって欲しいものと思っています。社会正義のために、司法は重要なインフラです。そのことを十分に留意して、今後の活動を期待致します。 



30歳代 男性 千葉県 川畑圭司

 『過ちを犯した大組織が社会へ及ぼす損失を抑制する究極の価値は構成る人々の道徳観念のあり方だろう。30年にわたるリコール隠しで強制捜査を受けた三菱自動車工業事件の背景には「隠ぺいの継承」はあっても消費者や社会への「誠」の心は枯渇したようにさえみえる。《中略》雪印事件が発覚した際、追求を受けたトップは「私は寝てないんだ」と述べて失笑を買った。かつての日本組織を支えた「義」や「誠」の観念はひたすら内向きの保身の道具になり、モラルハザードというカタカナの助けを求める。危機に直面した組織のふるまいが問われるとき、時代の美徳を問いかけた1世紀前の日本人のことを考える。』(8月30日の日本経済新聞・春秋欄より)

 司法に限らず、政官業の中で、旧態依然とした上記にあてはまる組織が未だ多いのが、日本の不幸である。大組織の過ちが、社会を歪め、自らや自らの子孫にまで不幸の輪を広げることに対しての認識が薄いのではないか。また、わかってはいても、自らの組織を裏切ることができない。社会正義の実現のために、自らの保身、組織の利益を捨てる志は日本人の心から消えてしまったのだろうか。坂本龍馬が、脱藩してまで日本の将来を思った志のDNAは、消滅してしまったのであろうか。

 3審制度というのは、下級審での過ちを上級審で是正するという目的があると私は思っています。しかしながら、上級審は下級審の不正を覆い隠す事に精を出し、本来の役割を見失っていることが多い。官僚が独占する1審・2審に対し、官僚以外の血が入る最高裁への上告は法律改正で大きく制限され、官僚裁判官による組織的な不正は、益々水面下に潜るようになった。

 私が感じる御会は、産業界でいえば、労働組合にあたると思います。自分達の環境を向上させるための会であって、国民の視点にたって司法を改革する会には至っていないのではないかと思っています。確かに、今までの司法官僚組織は、御会のような労働組合的組織さえも容認されない超閉鎖的な組織であり、御会の活動はそれなりに画期的なものだと思っています。御会の今後の活動に期待もしています。

 しかしながら、裁判所という組織が、閉鎖的で自らの権益を守る事に汲々として、自らの組織には全く不正がないという誤謬に囚われているかぎり、組織を構成する裁判官に真の精神的な自由はこないと思います。

 このことは、国民の不幸であるばかりか、裁判官自身にとっても、不であると私は感じます。社会正義を実現し、国民の幸福に多大に寄与する仕事ができる立場にいるのだから、そういった仕事をした方が、1人の人間として大きな充実感を味わえ、人生としても大きな幸福であると私は思います。国民も裁判官も双方ハッピーになれる手だてははっきりしているのに、過去の呪縛に囚われ自らが自らを不幸に追い込んでいる現状が不思議でありません。

 独占的で監視のない権力は必ず滅びるのは、歴史が何回も何回も証明しています。インターネットの発展により、裁判所への監視の輪も着実に広がりつつあります。一刻も早く司法被害の拡大を防ぎ、司法が社会正義の実現のためのインフラに生まれ変われるように御会も時代に沿った意識改革をお願いしたいと思います。

 一国民として、一司法被害の被害者として切実に願います。



25歳以上 男性 大阪府

 8/30日NHKラジオを拝聴致しました。私は約7年前から数多くの民事裁判を家族から起され苦しんでいます。現在の司退法制度は全くなっていないと感じます。

 その理由の大半は、審議・審判の遅さは、当事者にとっては、精神的・金銭(控訴・弁護費用)的にも非常に厳しい条件ばかりです。出来ることならば裁判などの争いはするものではないと私は考えます。私は、「裁判」はもっと幅広い専門家の意見を多く取入れ、当事者にとってストレスを与えるような「誤った判決」が出ない事を希望します。今後の司法改革に大きく期待します。 裁判官のみなさん頑張ってくださいお願いします。



30歳代 男性 千葉県-川畑 圭司


 私は妻の交通事故で民事裁判を体験しましたが、それまでの持っていた裁判所のイメージと実際の裁判所との差異の大きさに驚愕致しました。裁判所は、公正・公平であり、良心と法律に基づいて訴訟指揮と判決を下すものと思っていました。しかしながら実際は、露骨に不公正・不公平な訴訟指揮を行い、判決では証拠を完全に無視し、信じられないような創作を伴った非論理的理由を記載する裁判官。日本は本当に法治国家なのかと疑いたくなりました。

 事故証明や被害者・加害者の証言で、夕方の退社時の事故であることは明らかであるのに、朝方の事故と創作し、夕方になって初めて病院にいったのは事故によって身体に障害がなかった証拠とした。事故車の損傷も、修理伝票より明らかであるのに、車に何等損傷はなかったとした。また裁判所が選任した医師は、医学鑑定でレントゲンやMRIの他覚的所見を基に事故と症状との因果関を断定したが、判決では、被害者の首の骨はもともと異常をきたしており、事故によるものではないとした。事故歴も頚椎異常の症状の通院歴も全く無いにもかかわらずの創作である。その他尋常では考えられない言いがかりで加害者を擁護した判決理由であった。

 加害者側保険会社が、公務員共済であるがゆえの不公正・不公平であろうと思われる。インターネットを検索すると、不当判決による司法被害の訴えがあふれている。確かに司法に対するアクセスを容易にすることは大切であるが、司法の一番重要な公正・公平が担保されない限り、アクセスを容易にすれば司法被害者が増えるだけの改悪になってしまう。

 腐敗部分の改善を試みることなく、単に表面だけを化粧して腐敗を覆い隠そうとする、旧来からの悪習を繰り返していては、社会正義の実現は永遠にこないのではないだろうか。 裁判官の公正・公平を担保するための改革が先決ではないだろうか。そのためには、官僚裁判官の独占を崩し、不正をチェックする機構が必要と思われます。

 官僚や警察の腐敗も、その実態が明るみにでたからこそ、改革が期待されるのである。今からでも遅くはない。実態の真の解明と、真の問題は何であるかの原点を国民の視点から考えることを一国民として熱望する。



50歳代 女性 東京都世田谷区-高橋 弘子

 正義という大志を抱いて声をあげてくださった裁判官に敬意を表したいと存じます。勇気がいることだと思います。裁判の判決というのは、社会生活における方向を差し示すものであり、とても重要な位置に存していると思われます。今、日本の社会は不況になり、若者が正規の職業につけない数が150万人とも言われています。また、いじめや暴力が闊歩し、親子の殺傷事件も後を絶ちません。やはりこのような時代にあって、正義を実現しようとされていらっしゃる裁判官を応援すべきであと思います。

 裁判の判決は社会に大きく影響を及ぼします。明るく生き生きとして、個人が尊重され、能力が発揮でき、国際社会においても、日本が尊敬を受けるような国づくりは、社会の理念を表現する判決文に、ものごとの尺度が求められているといっても過言ではないと思います。しかし、その尺度がいい加減であれば、その影響は私たち子孫に悪い影響を及ぼしてしまうでしょう。誰が聞いてもわかりやすく、納得いく判決は、文明の賜でもあると思います。応援したく存じます。



25歳以下 女性 京都府

 はじめまして。(無謀にも)裁判官となることを夢見、京都の某私立大学法学部にて日々勉学に励んでいるものです。

 貴ホームページ、楽しく拝見させていただきました。想像していたものよりもずっと読みやすく、(良い意味で)大変ショックを受けました。 大学の講義その他で聞く「裁判官」や、裁判所でつまらなさそうな顔をして弁護士の話を聞いている(失礼!)裁判官」とはまた違った顔の「裁判官」を知ることができ、本当に良かったと思います。 これからもがんばってください! ・・・それから、もし私が間違って司法試験に合格し、さらに間違って裁判官となることができたなら、その折には是非とも貴ネットワークに参加したいと思っておりますので、どうかよろしくお願いします!



30歳代 男性 神奈川県-渡邊弘

 子どもたちは、学校を卒業し市民として生活していく中で、様々なトラブルや紛争に巻き込まれる場合が出てきます。しかしながら、そのようなトラブルや紛争に出会った場合、現在では、多くの市民は、紛争を正当に解決する方法を見つけることができず、泣き寝入りせざるをえないのが実情であるように思われます。

 このような現状を生み出す原因の一つに、高等学校以下の学校教育において、自分の基本的人権や権利を守る方法を教えられてきていない、という問題があるのではないでしょうか。確かに、社会科の教科書には、「憲法では○○という権利が保障されている」ということは書かれています。しかし、人権や権利を確保するための具体的な手段・方法までは、教えられてきていないのが実態です。たとえば、ほとんどの子どもたちは、法的紛争処理の専門家である弁護士に相談する方法さえ知らないまま、社会へと出ていきます。

 「規制緩和」が進められる中で、社会的紛争に対処するための方法として、行政による事前規制から、司法による事後的救済を重視する方向へ、社会情勢は大きく動いています。今後、市民が主権者として、法や裁判と自覚的に関わらなければならない場面はますます増えてくると思われます。司法制度改革審議会でも、国民が統治客体意識を脱し、統治の主体であるとの意識を持って、司法と関わることの重要性が指摘されいます。

 このような中で、主権者となる子どもたちに、自分の人権や権利を守るために必要な、最低限の法的知識や法的思考能力を身につけさせることは、喫緊の課題となってきています。とりわけ、司法・裁判システムを利用するための能力は、全ての市民に求められるものとなるでしょう。

 高等学校では2003年から実施される、新しい学習指導要領では、問題解決的な学習を想定した「総合的な学習の時間」が新設され、紛争解決を目的の一つとする法や裁判に関する教育についてのあらたな可能性が生まれてきています。

 ドイツでは、裁判官が積極的に学校に出かけ、正規の授業で法や裁判について高校生に教えたりしていると聞いています。日本においても、以上のような社会情勢の変化や学習指導要領の改定に対応し、高等学校以下の諸学校における法教育の充実に向けて、全国各地の裁判官が学校教育現場との連携をとり、裁判のしくみについて生徒に講演したり、模擬裁判の指導を行ったりするなど、裁判と裁判官を身近に感じさせるような取り組みをすすめられることを、切に希望します



60歳以上 男性 弁護士 大阪-井上二郎

 ネットワークへの裁判官からの意見が多く掲載され、たいへん興味深く読みました。少し気になるのは、殆ど全員が匿名であることですが、これもやむを得ないとは思います。これからも、匿名で結構ですから、大いに意見を聞かせていただければと思います。

 ところで、刑事裁判について、かねて痛感していることは、無罪推定の法理や令状主義が形骸化しているのではないかということです。

 一般化して言うのは問題かもしれませんが、例えば、被疑者の勾留につき、例外であるべき延長がむしろ原則化してしまっていることは、顕な事実と言えるでしょう。被疑者に接見して聞いてみると、比較的単純な事件でも、はじめの10日間に取調べがあるのは、せいぜい多くて5〜6日だけ。連日捜査しているが10日ではどうしても間に合わない、延長しなければならない「やむを得ない事由」があるとは思えない事案でも延長されている。捜査官もはじめから延長を当然のこととして、捜査しているのではないか。

 つまり、令状主義が捜査官の行動を規制するものとして機能していないのだと思われます。まさに、令状は、捜査官の「言いなり」に発布されているのが実体ではないか、と言いたくもなります。

 それに、権利保釈の「権利」性も、公訴事実の否認=罪証隠滅のおそれ、と極めて短絡して解釈されることにより形骸化されてしまっている。単純化して言えば、否認=保釈却下、この現実が被告人から防御権や黙秘権を事実上完全に奪ってしまっている、と私は思います。
 なぜ、こんな現実が生まれてしまったのか。その原因を私なりに考えてみました。それは、「裁判官の検察官寄り」とかいうものではなく、「裁判官無答責」を事実上是認する今の最高裁判例(例えば、90年7月20日民集44−5−938)にあるのではないか。裁判官は、たとえ結果的に間違った裁判をしても、それが上訴審で批判されることはあっても、「違法または不当な目的をもって裁判したなど・・・・特別の事情がある場合」でないかぎり賠償法上の責任を負わないとされているからではないか。違法または不当な目的をもって裁判することなど現実にはあり得ないから、実際には裁判官無答責を是認するのと同じである。

 このことが、令状審査に当たり裁判官をして緊張感を失わせているのではないか、と私は思うのですが、いかがでしょうか。(なお、その意味でも上記最高裁判例は、裁判制度に内在する・・・云々の理論上の問題はあるでしょうが、市民の常識からはズレていると思います。)

 私のこの意見には、裁判官から反論が予想されます。大いに異論・反論を期待します。情報公開の意味でも、今の令状審査の実際を明らかにしていただければと思います。



25歳 男性

 裁判官という普段なじみのない方々の活動が少しだけわかったような気がしました。しかしながら、あなた方の中にはあまりにも人間味のない対応をされる人もいることも事実です。
 私の知り合いに自己破産した者がいて、その自己破産の最中に、ちょっとした問題が生じた際、某地方の裁判官にいわれた一言が「弁護士を雇えばこういう問題は起こらなかった。」と言う物でした。
 言われた当人曰く、弁護士を雇えるのなら自己破産しているとは言えなく、一文の金が無いから自己破産と言えるのではないか、と言うようことを泣きの涙で言っていました。
 裁判官の方にとっては、地方を転々と異動する事は、いずれ中央のお偉いさんになるための足かけかもしれないですが、市民には地方も中央もありません。なにより、人を裁くという特権的な立場にある方々であるからこそ人間味という物が必要なのではないでしょうか


40歳代 男性 弁護士 兵庫県-中山知行

 法曹一元裁判官 その根底には、キャリア裁判官より弁護士の方が市民感覚を反映しやすい、また弁護士の方が社会常識があるという考え方があると思います。

 しかし、これは中坊公平さんを代表とする一部の弁護士の「たち悪い」偏見です。 私は、裁判官も市民感覚をもった社会常識のある方が大多数と思いますし、逆に割合から言えば、市民感覚など気にもとめない非常識な弁護士の方が多いのではないかと思っています。 中坊公平さんは裁判官に強い偏見を持っています。マスコミも変な先入観をもっています。

 裁判官はもっと自分たちの意見を言うべきです。 裁判官も司法修習生の2年間、判事補の10年間で相当人格的に鍛え上げられるはずです。頭を下げる回数は弁護士の比ではないと思います。

  私がそれよりもっと心配なのは弁護士からいきなり裁判官になった人がまともな事実認定をして判決が書けるかということです。 法曹一元裁判官になる弁護士の中には資質に欠ける人が混じる可能性が非常に高いのではないかと考えています。弁護士は自分の依頼者の話しか聞いておらず、事実認定の訓練を受けたこともなく、法律家であっても裁判官に向いているとは限りません。

 私は、法曹一元裁判官には全く賛成できません。

 司法改革は法曹一元裁判官や陪審制を実現することではなく、また、ただやみくもに弁護士の数を増やすことでもなく、もっと裁判制度自体を市民の権利実現に役立つものに変えてゆくことから始めるべきだと思います。



40歳代 男性 弁護士 兵庫県-中山知行

 政府の司法制度改革審議会が提案しているロースクール構想には絶対反です。

 現在働き盛りの私たちが合格した昭和40年代から60年代の司法試験は、合格率約2%と非常に厳しいものでした。4日間で行われる7科目14通の論文試験に合格したら、東京で7日間に渡る口述試験(選択科目があるので拘束期間は10日以上でした)がありました。

 このような厳しい試験に合格し、司法研修所で2年間の徹底した実務教育を受け卒業試験に合格した者たちが裁判官・検察官・弁護士として現在の日本の司法を担っているのです。政府の司法制度改革審議会や文部省が考えているロースクール構想ではその卒業生のほとんど大部分に法曹資格を与えようとしています。たった2年間の大学院教育を受けただけの人に法曹資格を与えようと言うのです。

 司法試験も現在の試験とは別だてのやさしい試験にするかもしれないとのことです。そこには、これまでの司法試験を貫いてきた厳格さや公正とか公平という観点は全く感じられません。ロースクール構想は、ろくな教育ができなくなっている日本の大学が何とか生き残ろうと自らの存続のために提案してきたものです。

 しかし、看板を書き換えても象牙の塔の中味が大きく変わるとは到底思えません。東大や京大の法学部の学生でさえ大学や大学院の講義を受けるより司法試験予備校の講義の方が面白くて役に立ち魅力的だから予備校に行くのです。

 私の同期の司法試験の合格者は450人程度でした。まさに少数精鋭の仲間たちです。このうち多くの仲間たちが外国に留学し、外国の法曹資格を取得している者も多数います。政府のロースクール構想では合格者を3000人−5000人にするとのことです。試験をやさしくして合格者を濫造するというのです。これでは日本の法曹三者の質の低下はどうしても避けることができません。

 弁護士を増やすことが経済界の請だと言いますが、必要ならば企業は自らの法務部のスタッフを米国のロースクールに留学させ、米国弁護士の資格を取らせてくれば良いではありませんか。何も日本の司法試験をやさしくしたり不公平なものにする必要性はありません。
 司法試験予備校の弊害もいわれています。しかし、これまでの司法試験は論点を丸暗記するような勉強をしている人は一生合格できない試験です。全人格を試される試験と言っても良いと思います。予備校に通ったからといってもともと合格できる資質のない人が合格できるようになるような生やさしい試験ではありません。

 ただ、前述のように大学の講義を聴いているより予備校の講義の方がずっと面白くて役に立つことは間違いないところです。よく考えてください。資質に疑問の残る人たち (これまでの司法試験では合格できない連中) に日本の司法を任せて良いのでしょうか。法律の基本を知らない裁判官がどんな判決を書くか想像しただけでそら恐ろしいものがあります。

 ところで税理士試験は大学院を2つ出れば国家試験が免除になるそうです。この制度は実務能力の全くない税理士を生んでいるとして強く非難されています。税理士の国家試験でさえ、大学院を2つ出る方が、国家試験に合格するより容易なのです。弁護士が毎年3000ー5000人も誕生するようになると、現在の税理士・司法書士・弁理士・行政書士・社会保険労務士の職域は全部ロースクール弁護士に侵害されることは明らかです。日本には既に法律関連職についている人が15万人もいるのです。安易なロースクール構想には断固反対し絶対潰すべきです。



25歳以下 男性 弁護士 東京

 裁判官の方々が司法制度について意見を述べられるようになったのは画期的な素晴らしいことだと思います。

 家庭裁判所の制度について一言。家事事件は一度しかやっていませんが、家庭裁判所は普通の裁判所と異なり、当事者の書類を相手方に渡すのが原則とはなっていない、その他後見的な制度があるのですが、それが逆に家庭裁判所の裁判官、調停員、書記官の勝手な法治主義に反した処理方法を生むような感じがします。もっと、透明性のある事務処理手続が必要だと思います。

 裁判所の制度について一言。裁判所は忙しすぎて、勉強する暇がないのではないかと思われます。それで、ひどい判決(法理論的に全然読むに堪えない)を出していると思われます。それに裁判官は権力と身分保証があるから傲慢になっていると思われます。その傲慢になっているのがひどい判決を出す一つの原因になっていると思われます。法律雑誌はある程度出来のよい判決だけ出すので、出来の悪い判決も何らかのメディアで発表する必要があると思われます。



50歳代 男性 弁護士 岐阜県

 裁判官として十数年在職し、弁護士として間もなく十年になります。里の田舎で事務所を開設し、少しづつ自分らしく、つまり気兼ねなく言いたいことを言い、行動したいように行動するようにようになってきました。こういうことが「アイデンティティ」の自覚なのだと得心がいき、精神的な充実があります。これは、良いことも悪いことも含めてです。

 自分らしさを(一部)停止するような裁判官にはなりたくなかったのですが、自分らしい裁判官にも実務的に優れた裁判官にもなれずに退官しました。メンバー各位のご健闘を期待します。ともあれ、今は、弁護士に換わって良かったと思っております。

 そこで弁護士の目から一言。事実認定がデタラメの判決が現実に存在することを体験しました。事実整理が論理的に不可思議である判決が現実に存在することを体験しました。原因は、職業裁判官制度にあるのではないかと思います。裁判官は法律・判例等を知っています。しかし、事実は当事者が一番良く知っています。そのことの恐ろしさの自覚がない裁判官が存在します。現行制度の枠内でも問題提起の方法がないか考えております。



50歳代 男性 東京都-市川哲男

 日独裁判官物語を見ました。7/21草加市中央公民館にて明治時代にお手本にしたドイツの諸制度(大学を含)がやっと改革の動きが出てきたことを感じました。(国立大学の独立法人の動き)

 裁判所の市民から遠くなった存在から、市民との対話をこの様なHPを通じて門戸を開けたことはすばらしいことだと思います。映画を実の感想は裁判所は警察によく似ていると思いました。

1、キャリア優先社会(最高裁)最高裁判事は国民に選出されているとっているが、本当にセレクションされているのだろうか。何も解らないのに丸を入れてないだろうか
2、ジェンダーの問題、ドイツでは女性が沢山活躍している様子がうかがえましたが、翻って我が日本は如何でしょうか



25歳以下 女性 学生 和歌山県-堂山 祥代

 和歌山県民文化会館で行われた森野裁判官ご出席の講演を拝聴させていただきました。「稚内裁判する気わっかない」「県文で見聞」と少し照れくさそうな表情でおっしゃる森野裁判官と、当事者に声をかけられる事を懸念しながら自転車をこぐ森野裁判官が結びついて、私はご無礼意ながらもなんてかわいい方なんだろうと思ってしまいました。森野裁判官は昼食をどうなところでなさっておられますか?(愛妻弁当?)三年坂通りにあるうどんの大や、洋食のとんちゃん、喫茶モカが私のお勧めのお店で安くて美味しいです。暑い夏お身体をご自愛下さい。



25歳以下 男性 関係者 千葉県-一村 大輔

 私たちは、病気になると病院に行きます。病院に行く時に、自分の病状によってどこに行けばよいのか迷うことはあるものの、途方にくれることはまずありませんし。そして、不治の病を除けば大方は治ります。

 その一方、私たちが法律のトラブル(=病気)に巻き込まれた時、どうすればよいのか正直戸惑うのが事実です。弁護士事務所に行けばすぐに相談にのってくれるのか?どのくらいの期間で解決するのか? 料金は? この簡単な情報ですら、ほとんどの国民に知らされていません。

 そういう状況下にあると、法曹界に対して偏見を持つようになります。その中には的を得ているものもあれば、間違っているものもあるでしょう。ただ、それを判別すべきものがない以上、司法に対する失望感、敷居の高さは解消されることはありません。

 改革にあたってはまず、何がどう問題なのかをはっきりするべきです。最近の議論では、「まず改革ありき」という結果が先行している感が否めません。今までの方法での良かった点、悪かった点を客観的に洗い出して、1つ1つ確実に解決していくべきでしょう。

 裁判官は司法の要です。この方々が動かなければ司法はかわりません。理念にある、「公平・中立」の観点から様々な意見を聞いて、自分の恣意的判断を排除し、憲法の民主主義に基いたもっとも妥当な判断を心より期待しております。



60歳以上 男性 新潟県-中野廣治

 私は、「日本裁判官ネットワーク」のホームページに寄せられた多数のご意見を当初からプリントアウトして読んでいます。

 2000年5月14日以降のご意見の中で、社会学を大学院で専攻されておられる若い女性の方が、「裁判官ほど、近づきにくく、近づき方が分からない存在はいません」と書いておられるのを目にしました。本当にそうですね。私も実感として共鳴せざるを得ない思いです。

 又、元裁判所書記官の方が、「多くの当事者、弁護士、検察官、そして裁判官と接してきた者として、以前から日本の裁判制度はおかしいと思っておりました」との一節も共鳴せざるを得ないものです。

 つきましては、私(1925年8月10日生)のホームページURL:http://www1.ocn.ne.jp/~hnakano/を、是非アクセスして頂けませんでしょうか。極く最近開設したHPです。タイトルは、「インターネットで民事裁判を公開します」です。率直なご批判を賜りたいと存じます。



50歳代 女性 弁護士 東京都-石井 小夜子

 ここの意見欄に、少年法を早く改正してほしいという意見がありました。少年法改正とは、もっと厳しく処罰できる方向に、というご意見だと思います。しかし、これでは今の問題は全く解決しませんし、事態は悪くなると思います。

 そもそも、少年法は刑事裁判とは全く考えを異にして作られています。犯罪を犯してしまった少年に対し、それぞれ個別に、どう対応すれば再犯をせずにすむを考えて、主に教育・福祉的な処遇をするのが少年法の趣旨だと思います。そして、こうした対応の結果、社会の安全を守ろうという考えだと思います。

 刑罰が制裁という力を背景に他律的に対処するとしたら、これは少年の力に働きかける自律的なアプローチとうべきで、甘いとか厳しいとかいうレベルとは違ったものです。

 また、厳罰化しても犯罪抑止に効果がないことはよく知られています。むしろ、刑罰化することで少年への働きかけを失うこと、ひいて再犯率が高まることの方が危険です。今の安全な日本社会に大きな貢献をしているのが少年法です。この財産を失ってはなりません。

 少年犯罪は社会の鏡であり、少年犯罪防止にはそこにメスを入れなければならないと思います。少年法の運用で言えば、最近の家裁でのケースワーク機能の低下は大きな問題があるのではないでしょうか。70年代終わりから見られるこの傾向は年々大きくなっているように思えます。ケースワーク機能を充実させてこそ、少年法の趣旨が、より生かせるはずです。



40歳代 男性 和歌山県 -木綿 紀文

 先日、和歌山市にて「裁判を市民の手に」というシンポジウムがありました。和歌山家裁の森野判事のお話を伺い、私たち市民が動かなければ、と強く思いました。また、頑張っておられる、司法関係の方を応援するつもりで、ホームページを拝見させて貰いました。 40歳代 男性 法律関係者 鹿児島県-瀬下満義

 2回目の投稿です。

 著書「裁判官は訴える」を読みました。率直な意見や心情の吐露に深い感動と共感を覚えました。裁判所内部から改革の声をあげることは、大変な精神力を要したに違いありません。裁判官ネットワークの皆さんの職業人としての矜持と使命感に敬意を表します。

 私は、鹿児島県の離島種子島で行政書士等の士業を営む者です。現在、私自身が当事者となって国を相手に、行政手続きに関する本人訴訟をしています。初めて裁判を経験しましたが、率直な印象を述べますと、裁判はとても利用しにくくて、当事者の負担が大きすぎると思います。種子島から鹿児島の地裁や宮崎の高裁支部まで出頭するのは大変です。出頭して何か意味のあることでもするのならまだしも、実質的には、次回期日を決めるのが主な用件です。訴訟運営を根本的に変えないと国民のための司法から程遠いものになるでしょう。

 種子島簡裁の書記官と雑談したときに、地裁の裁判官は200件以上も事件を抱えていて、各事件を仔細に検討する時間的余裕がないと言われました。和解事件が多いとはいっても、現状では裁判官の処理能力を超えている様に思います。裁判所の職員の数を3倍ぐらいは増やさないと、これからの社会にはとても対応できないと思います。

 これまでは行政がなんでもかんでもやりすぎて、住民は自立、独立の気概を失った観があります。これからは自主性を重んじて、紛争の解決は行政に頼らず、当事者で解決するか、裁判によるか、または仲裁制度等の裁判外紛争解決法によるのがいいと思います。

 裁判所はほんとうのところ、これまでは出番がなかったのかもしれません。21世紀は司法の時代の予感がします。裁判官ネットワークの皆さんといっしょに、私たちの社会を築いていきたいと思います。
 健康に留意されてご活躍されんことをお祈りいたします。



40歳代 男性 法律関係者 鹿児島県-瀬下満義

 これまで日本の社会では裁判は必要なかったのではないだろうか。
だから、国民にとって裁判制度はどうでもよかったのだと思う。すべては、行政が仕切り和を尊ぶ精神により解決されてきたように思う。訴訟を提起して事を荒立てることは、日本人にあるまじき恥ずべき行為だったのだ。

 しかし、これからは日本人も一人一人が自立してお上に頼らない生き方や、社会が求められていると思う。価値観も多様性が必要である。国際化の時代を迎えて多くの外国人とも共生していかなければならない。多様で自由な社会では紛争解決手段もまた柔軟で多様なものが要求される。
 明治の近代化から100年、日本はようやく裁判制度なるものを必要とする時代を迎えたのだと思う。



50歳代 女性 兵庫県

 医療裁判の証人として初めて裁判所に出廷しました。

 被告病院側の証人だったので、原告側の弁護士と対峙しました。弁護士は誘導尋問で原告側が有利になることを証言させようとし、YESかNOで返答させそれに対して補足しようとしてもそれ以上の発言をさせません。私が弁護士の発言に対して疑問があっても聞く権利はないのです。私を怒らせて言葉尻を捉え裁判官の私に対する心象を悪くしようとしているのが良く分かるのです。

 医学的に正しいかどうかではなく裁判官の印象のみで医療裁判は結審するのでしょうか。医学知識のない裁判官が判断することではないのではと考えます。医師は法廷に慣れていません。弁護士の誘導尋問にどう答えていったらいいのか分からず相手側の思うような答えを出さざるを得ない状況に陥ってしまうようです。

 証人席に初めて座った私を一方的に責めて自分の有利な証言のみ引き出す。それ以上の発言をさせない。これで裁判を進めていく。裁判官は何も発言せず聞いているだけでした。医療裁判は医学的知識のある第三者機関に委せ公正な判断をすべきです。初めて裁判を経験して思いました。



30歳代 男性 熊本県-永田 文彦

 どこの世界にも「まともな判断」が出きる方というのは居られるものですね(笑)。

 弁護士や判事、裁判官等という職種の方達は、自分達(若しくは政府・お役人の方々)の都合で法律を弄び、自己満足のマスターベーションばかりしている人々だと思い込んでいました。

司法内部からの改革の提言、もっと盛り上がって全国的・国民的運動になればいいですね。このHP関係者の方々の誠意を多くの人に理解してもらいたいものです。



50歳代 男性 法律関係者 神奈川県-長谷川 博

 日本の裁判官の有志がHPで司法制度改革の提言を行っていることに敬意を表します。

 私は、税理士ですが、現在税務訴訟で訴訟代理人とともに訴訟活動をすべく補佐人の許可申請をしましたが、被告国側から補佐人を認めるべきでないという意見書が出されたのに対し、反論書を提出しております。

 被告国側の訴訟代理人は、指定代理人として国税局の複数の訟務官が担当しており、裁判所には、国税局から調査官が派遣されている裁判システムで、原告代理人弁護士一人の他に税理士の補佐人許可申請を拒否しようとする国側の訴訟活動とこれを是認しようとする裁判所の姿勢には大きな疑問をもっております。

 国側が税務に関する専門家の訟務官が訴訟を担当するのに、弁護士ともに税務に関する民間の専門家である税理士が補佐人になることを忌避できる現在のシステムは、当事者平等の原則にもとるだけでなく、原告納税者の裁判を受ける権利の充実や迅速な裁判を阻害するもので、これでは税務訴訟の原告勝訴率が数パーセントである現状の改善ができません。

 規制改革委員会などでは、目下税理士の出廷陳述権を認めようとしておりますが、現在税理士の補佐人申請が4割くらいしか許可されていない裁判実務にも問題があるといわなければなりません。
(私のHP参照:http://www.cyberoz.net/city/hirohase)
近くこれらの問題を私のHPでも訴える予定です。
このような意見を述べる機会が得られたことについて、本HPに感謝します。



30歳代 男性 弁護士 京都府

 過日、KBS京都テレビで「ひらかれた司法をめざして」の再放送を拝見しました。現役裁判官の方々がテレビで問題提起されていることに近年ない嬉しいショックを禁じえませんでした。ぜひ、全国各地で放送していただきたいものです。

 私は現在、民間企業の役員ですが、小学生の頃から法律に興味をもち、それが理由で大学も法学部を選びました。お恥ずかしい話ですが法学部に在籍し、刑法を専攻しながら裁判所には傍聴に訪れたこともありませんでした。つい最近傍聴の機会を得、また調停事件に関わったことから「国民のための司法」の必要性を痛感しています。

 司法制度改革はぜひ必要なことであり、裁判官の独立が本当の意味で守られることが求められることは論じるまでもありません。

 しかし、同時に国民自身が意識改革しなければどうにもならないと思います。例えば私のような傍聴にも行かなかった法学部学生もしかり。また、「裁判沙汰」などと裁判になることそのものを敬遠する風潮もそうです。何でも裁判にしろとは言いませんが、せっかく司法がよくなってもそれを国民が敬遠するようでは話になりません。最高裁裁判官国民審査もそうです。どなたかが、「判断する材料がない」旨の投稿をされていましたが、総選挙の時に裁判官の経歴が各戸に配布されているのをご存知ないのです(投稿された方を非難しているのではありません。資料が配布されていることを知らない方がいる、という事実が問題だと申し上げたいのです)。さらに、マスコミに誘導される世論。マスコミの報道を疑うこともたまにはしなければ。「無罪の推定」は法曹界のみで通用する言葉で、オウム教祖の松本被告人や林 マスミ被告人が現時点では無罪だ、などと言ったら世間では変人扱いでしょう。もうひとつ、国民に順法意識が低いこと。「捕まらなければいい」という意識ではどんなに良い法律が制定されて司法が理想的に機能しても意味がありません。

 民主主義と法による支配は外国やお上から与えられたもので、自ら勝ち得たものではないだけにどうも日本国民は意識が希薄なような気がしてなりません。

 ・・・どうも文章がヘタで真意が伝わりにくいとは思いますが、裁判官の皆さんが保身に走らず奮闘されているのに私も含めた国民=主権者はいったいナニをやっておるのだ、と感じたものですから自省も込めてボヤかせていただきました。

 近日中に「裁判官は訴える」を拝読したいと思います。



60歳以上 男性 研究者 東京都

 わたしは、96年から、初級クラスのホームページを自身でつくり政治家、官僚を対象にコラムを発表しつづけてきました。狙いは、若者や中年の人生に関わる一大事が、外圧ならともかく、この国のシステムの狂いに原因することがあまりに多いという思いから、何とかしなければならないとの危機感と併せて、政治・行政・司法改革を根底から実現することでした。

 この国は、改革無くして国民の幸福は無いとの確信の元、下記のホームページを作りました。
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~bonobo/

 皆さんの、動きを見て、わたしは、やっとこれで、でかい荷物をおろせる思いです。「ボノボの政経塾」をお読みください。



30歳代 男性 裁判官

 京都地裁や横浜地裁などで、裁判官の採点をしている人達がいる。その採点基準についても新聞等で読んだことがあるが、声が小さいなど、裁判の内容とは全然関係のない項目が多かったように思う。声が大きいのがいいのであれば、いくらでも大声を出す。しかし、裁判はそれで済むのではない。裁判官の立場から言えば、単なる野次馬根性的な発想で無責任な採点をされてはたまったものではない。一般に、「市民」と名の付く活動をしている人ほど、社会的に無責任な人はいない。「市民」、「市民」と言えば、何で通ると思っている。弱者ぶった強者、被害者づらした加害者とはこのことか。



40歳代 男性 裁判官

 紹介されているメールを見ると、やはり裁判官からの投稿が比較的少ないですね。もっと、裁判官が素直な感想を書けばいいのにと思う。

 また、一部の例外を除いて、裁判官の投稿は文章が堅くて取っ付きにくい。内容的には簡単なことを言っているのに、やたらと難しく表現している。もっと分かりやすい文章は書けないのかと思う。

 さて、司法改革論議のなかで、裁判官の一般的な傾向としては、
陪審制の導入…反対
キャリアシステムの廃止…反対
判事補採用の廃止…反対
法曹一元…懐疑的
裁判官には常識がないとか市民感覚がないなどの批判…懐疑的
参審制…限定的に賛成(事件の性質や特定分野に限って採用する)法曹人口の大幅増加…賛成

「裁判所は行政寄り」という批判…そのような批判は当たらない、行政法そものもが行政側に有利に作られているから仕方がない、裁判官としても自戒しなければならない、など、いろいろの反応がある。
ロースクール構想…正直言ってよく分からない
といったところでしょうか。

 私としては、将来的には判事補の採用を廃止して法曹一元を実現すべきであると考えているが、陪審制の導入には、現状ではやはり数多くの問題点があって、懐疑的にならざるを得ない。

 また、私個人としては、「裁判所は行政寄り」という批判は、かなり当たっていると思う。それだけでなく、「大企業寄り」、「政権政党寄り」という批判もあるとすれば、あながち否定できないと思う。



50歳代 男性 裁判官

 日独裁判官物語」を見た。日本の裁判官の実情の一端を伝えていることは事実であるが、弁護士が作製しただけあって、やはり、見方が偏っていると言わざるを得ない。裁判について何も知らない素人があのようなビデオを見て、日本の裁判や裁判官について感情的な悪意、偏見を持つことを危惧する。ある新聞で、このビデオを見たある女性が「ショックだった。市民一人一人が声を上げていかなければならないと思った。」との感想を述べたという記事があったが、素人があのビデオを見ても何がどう問題なのか分かるはずもなく、その女性もそのような声を安易に記事にする新聞も無責任極まりない。

 最も問題なのは、日本の弁護士達の問題性には一切触れられていないということだ。日本の裁判制度に問題があるにしても、その責任の多くは弁護士にもある。この点は、改革論議の中で、裁判官が声を大にして主張しなければならない。

 例えば、法曹一元といいながら、多くの弁護士は任官したがらないし、実際に任官した弁護士を見ても、裁判官としての十分な能力を持っている人は少なく、いわば裁判官として使いものにならない人が多いのである。仕方なく、簡易裁判所の仕事を与えられている任官弁護士もいる。

 これはほんの一例に過ぎない。過去の司法改革の論議にあって、弁護士は、既得権益擁護のためにことごとく反対してきた経緯がある。

 このような現状では、法曹一元といっても実現は困難といわざるを得ない。



40歳代 男性 研究者

 寺西判事補の「裁判官の積極的政治活動」云々の問題は、彼がいわゆる盗聴法に反対する集会に参加したから、マスコミに好意的に取り上げられ、一般市民もそれに洗脳されたのでしょう。もし、国歌・国旗の法制化に向けての集会に裁判官が出席していたら、マスコミはどんな反応をしていたか。多くのマスコミ(全部とはいわない)はこれを徹底的に叩き、「裁判官が政治活動をするとは何事か!」と怒りまくり、一般市民もそれに洗脳されていたでしょう。裁判官の市民的自由などと議論されているが、要するにこの程度の話で、物事の悪い方面ばかりを見て騒いでいるに過ぎない。もし、裁判官が事件に関し当事者から賄賂を貰ったという事件が起こったとしたら、どうなるか。マスコミをはじめ国民は、裁判官は公正でなければならないから、一般市民とは交流させるべきではないと声高に叫ぶに違いない。

 司法制度改革も、現状の制度のいい面と悪い面を十分吟味しつつ、進めなければならない。マスコミや一般市民は、とかく物事の悪い面ばかりを見て、感情的な議論に陥り易い。

 「日独裁判官物語」などというビデオがあるが、これも、ドイツは良くて日本は悪い、というイメージを殊更に視聴者に植え付ける意図のもとに作製されたとしか思えない。ドイツの裁判制度にも日本にはない欠点が数多くある反面、日本の裁判制度にも数多くの長所があるのであり(この点は文献も多い)、あのようなビデオが一般市民に出回っているのかと思うと、それこそ日本はこれで大丈夫かと思う。



30歳代 男性 裁判官

 『誰かが言っていたが、都市手当を廃止して、地方勤務手当というものを作るべきだ。裁判官もサラリーマンと同じで、やたらと東京、大阪等の大都市で勤務したがる。その動機にはやむを得ない面があるが、地方勤務を余儀なくさせられている者にとっては、せめて手当を付けて欲しいというのは自然な気持ちだ。大都市で勤務している者は、それだけで生活上いろいろの利便を受けているのであるし、エリート意識に浸ることもできる。その上、何故手当を付ける必要があるのか。これは、裁判官だけではなく、一般職員でも同じことである。



40歳代 男性 裁判官

 宮崎地裁判事の横山氏の投稿は、最高裁が泣いて喜ぶ内容かも知れないが、裁判官の本音とはかけ離れているのではないか。「キャリアシステムに対する批判は心外」とまで言い放つ神経が私には理解できない。
むしろ、それに対する反論として投稿されていた大阪高裁判事の意見の方が私には違和感なく受け入れられる。裁判官も人の子で、最高裁による人事その他の統制をおそれ、職場でビクビクしながら発言し、行動しているのが大半の裁判官ではないのか。一般職員とて例外ではない。 

 今、最高裁が司法制度改革に関する現場の裁判官の意見を全国各地で聴取しているが、そこでの各裁判官の意見も、概ね保守的、現状肯定的なものが大半で、正直言ってつまらないの一語に尽きる。陪審を頭ごなしに否定する意見はザラで、キャリアシステムを擁護し、法曹一元や「裁判所は行政より」との見方に反発する意見も多い。このように発言しておけば最高裁から睨まれることはなかろうという意識が見える。

 これがキャリアシステムが作り出した職場の雰囲気なのだ。



40歳代 男性 裁判官

 「日独裁判官物語」は、裁判官である私も見たが、作製方針がかなり意図的で、偏向がある。日独裁判官の正確な比較をしているとは思えないし、ドイツの裁判官は全て理想的であり、日本の裁判官は全て悪いといわんばかりの論旨にはうんざりする。



40歳代 男性 裁判官

 雑感
 この裁判官ネットワークについて、最高裁は関知していないからという理由で白眼視している裁判官は、今なお多い。裁判所とは、息の詰まるような職場ではないか。

 新任判事補の研鑽の一つとして、「長官講話」というのがある。新任判事補もそれなりに仕事を抱えて忙しいのに、悠長な研鑽もあったものだ。これでは、教祖の話を聞く宗教団体の信者と同じではないか。



40歳代 男性 裁判官

 裁判所の中ではやはり自由に物が言えない雰囲気があるし、最高裁の判例に盲従するような裁判官が比較的出世が早いような傾向がある。

 反面、過去に青年法律家協会にいた裁判官や、違憲判決を書いたような裁判官は、比較的冷遇されている。これは事実で、裁判官が自己の良心に従って裁判することの妨げとなっている。

 また、最近の若い裁判官や修習生は、発想が画一的というか、皆同じような考え方をする。自分自身の発想や価値観を持っている人がほとんどいないように思われる。というか、最高裁は、上から言われたことを何でも「はい、はい」と受け入れるような「素直な」人を好んで裁判官に採用しているように思われる。職場でのミーティングなどでも、司法制度改革協議会の審議内容に対する意見でも、裁判官の意見は皆似たり寄ったりで、面白くない。

 まあ、組織にいる限り、皆、自分のことがかわいいし、下手なことは言いたくないというのは、人間誰しもあることだ。キャリアシステムの長所を生かしつつ弊害を改めることはできないものか。



30歳代 男性 埼玉県

 『裁判官は訴える』読ませていただきました。
 執筆された方々の勇気に心から敬服するとともに第二弾に期待します。



50歳代 女性 法律関係者 石渡 照代

 論壇を読んで

 宮崎地裁横山判事の論壇を読んだとき、本当にこんな人いるのかしら、長い間、裁判所にいてお目にかかったことがない、まるで仙人のように超越してる方がおられるんだなと驚きました。

 しかし、日ごろ裁判官と縁がない市民にとっては、これを裁判官の理想の姿ととらえ、立派な裁判官を持った国の国民として誇りにすら感じるかもしれません。

 その意味で伊東判事の反論は時宜にかなったすばらしいものでした。事例に挙げられていたのは、ほんの一例にすぎません。そしてあのような人事に耐えて、なお立派に尊敬されるお仕事を続けておられるのは一つの勲章と呼ぶにふさわしいものです。

 問題はその水面下にあるのです。あの立派な横山判事にもぜひそのことに思いをめぐらせていただきたいものです。



30歳代 男性

 理系出身でまったくの素人ですが、以前から多少は関心・疑問がありましたので、また意見を述べることがこのネットワークを支持する1票となると思いますので、メールを送らせていただきました。

○以前ほどではないようにも思いますが、行政寄りの判決が多いように感じます。一般市民が行政に直接訴えられる窓口が司法しかないことを考えると、それは一般市民が行政に働きかける意欲を失わせることになると思います。訴訟によっては陪審制の導入なども必要なのではないでしょうか?

○私が学生の頃も少年法については、自白偏重で疑わしきは罰するようになっているというような問題提起がされたように思います。最近は凶悪犯罪への対応ができていないということでよく話題になります。いずれにしても、少年法というものが軽んじられ続けているような気がします。

○小さなことですが、最高裁裁判官の信任投票(という呼名で良いのでしょうか?)は不信任は×、記入なしは信任ということになっていますが、信任は○、不信任は×とすべきではないでしょうか?その方が少しでも一般市民の司法への関心を高めることになると思います。

 法を変える立場ではないのでしょうが、より良い司法制度を目指して多様な活動を展開されることを期待しています。



60歳以上 男性 弁護士 大阪府-井上二郎

 これは、特にネットワークの裁判官への意見ではありませんが、日頃、改善すべきだと痛感していることは、刑事担当の裁判官や書記官が被告人や被疑者の名前を「呼び捨て」にしている例が多いことです。学校の先生が児童生徒に、あるいは、親が子に名を呼び捨てにするのはともかく、無罪の推定を受けている被疑者や被告人を呼び捨てにしてはばからない、裁判官や書記官の人権感覚を疑わざるを得ません。

 それと、刑事法廷で「被告人前に出なさい」という裁判官がいまでもときにいますが、「出なさい」という言い方は、呼び捨てにするのと発想は同根であるばかりか、むしろ社会人としてのマナー(裁判官も被告人も、いうまでもなく対等の市民です)にも反するでしょう。また、法廷での「起立」「礼」を止めたことをあたかも特に「権威主義」を改めたかのようにいう発想とも同根というべきでしょう。「起立」「礼」などを止めるのは、市民の感覚として至極当たり前のことであって、取りたてていうことのほうが不思議だと思うからです。

 キャリア裁判官が「社会常識に欠け、権威主義的、官僚的」と批判されるのは、一見「つまらないこと」のように見える、こんなところにも原因があると思われます。市民は、当然のことながら、「お役人」のこういう言動には敏感に反発、反応するのです。

 私は10年間民間会社に勤務して修習生になりましたが、修習生になってまず最初に痛感したのは、裁判所の上記のような一般社会との雰囲気の違い(権威主義というより、権威を装う雰囲気)でしたが、それから約30年経ったいまでも、その感じは変わりません。私が法曹一元を主張する理由の一つはこの点にもあります。尤も弁護士にも権威主義を感じることはありますが、少なくとも、依頼者である被疑者や被告人を呼び捨てにするような非常識な人はおそらくいないでしょう。もちろん依頼者だから呼び捨てにしないのではなく、それは同じ市民同士だから呼び捨てなどという失礼なことはしないのです。

 このような私の感覚は、裁判官からみれば間違っているのかもしれません。
 裁判官からのご批判、ご意見をいただければ、幸甚です。



25歳以下 男性 学生 沖縄-桑島崇史

 司法制度改革は必要です。でも少年法改正、陪審制の導入は反対です。
 代理監獄の廃止、警察等での人権無視の取調べを是正すべきです。



50歳代 男性 京都市-半田 敏照

 2000年3月号雑誌「世界」の「裁判官は何に追いつめられているか」の座談会を読み、このネットワークを知りました。私も、この間幾つかの裁判に関わり(主に労働関係の行政訴訟)今の裁判制度に疑問を感じております。これまであまり司法改革には関心をもっていませんでしたが、「世界」の特集「司法改革」を読んで、初めて今回の司法改革の内容を知ることが出来ました。

 そこで、今回の司法改革についてその問題点を知り、市民の立場から発言していくために講演会を企画しよう思いますが、その場合、講師を依頼した場合現職裁判官の方がお越し頂けるのでしょうか。お伺いいたします。



30歳代 男性 大阪-福井 朗

 本日(2000年5月22日)付の毎日新聞1面に、日本裁判官ネットワーク会員で神戸・小学生連続殺傷事件担当判事の井垣康弘判事の寄稿(前文)が掲載されていました。誠に妥当で、しかもヒューマニズムに満ちたご意見であり、感動しました。

 私自身は、このネットワーク・ファン・クラブの会員ですが、この会員になっていてよかったと思い、あわせて多くの人がファンクラブに入会してくれれば、とも感じました。

 私自身、このファンクラブの活動に積極的に参加しているとはいえませんが、ファンクラブの存在が多少なりとも裁判官ネットワークの判事の方々の励みとなれば、と「陰ながら応援」しています。



40歳 男性 岡山大学法学部-今村 与一

 本日、貴ネットワークの登録メンバー宮本敦氏の講演を学生たちといっしょに拝聴する機会を得ました。これまでにも、元裁判官の現職時代のお話や、研究会で知り合った判事との個人的なお付き合いを通じていろいろ想像をめぐらしていたものの、現職裁判官の人間らしい一面とともに、その率直な本音を語っていただき、たいへん感銘しました。ありがとうございました。

 実は、みなさんがお書きになった本は、私の場合、ずいぶん前に購入しながら、今日まで積読状態におかれていました。矢鴨ほどではないにせよ、楽そうに見える大学教師も、日々の仕事に追われ、精神的に追いつめられているのです。いまや司法界のみならず「改革」の大号令がとどろく中、明確な意思表示を避けてきた自分を反省しています。ネットワークの輪が、裁判官の方々の枠を超えてさらに広がり、疲労と孤立感にとらわれた人々を勇気づけてくれることを切に期待しています。



40歳代 男性 鹿児島県-宮下 正昭

 開かれた、顔の見える裁判官へのみなさんの特に現職裁判官の方々の取り組み、大変興味深く、その成就を期待している一人です。
 そのみなさまに、先日(26日)、判決が出ました神坂さんの任官拒否問題について、ご意見を聞かせていただければ幸いです。



40歳代 男性 奈良県

 大阪地裁の裁判官任官拒否判決について、裁判官ネーットワークの方達はどのようにお考えなのか、とてもお聞きしたいと思い、書き込みました。

 「外見的にも公平らしさ」が要求される、と言う点は、別の職業を考えてもそれ程変な基準ではないと思います。たとえば、葬儀社の接客部員に茶髪でピアスを付けたおじさんを採用しようとはしませんよね。

 ただ、裁判官も職業の1つにしか過ぎないので、その「外見的な公平らしさ」を仕事以外の時間や場所でも要求するとなると、裁判官の生活や人生そのものまで拘束することになってしまう。一市民としては、そんな裁判官には裁かれたくないですね。

 活動をガンバッテください。



30歳代 男性 大阪 福井 朗

 市民集会に参加して、裁判官ネットワークの存在を知り、また、その場で「日本裁判官ネットワーク・ファンクラブ」にも入会しました。

 裁判官ネットワークの方のお話(大阪高裁の伊東さんの)を聞いたり、朝日新聞の「素顔の司法」(いつの掲載でしたか? )でネットワークのメンバーの現職裁判官の方の記事を読んだりするまでは、「裁判官なんておよそ非人間的でないと勤まらない仕事。世間知らずも甚だしい」と考えていましたが、今は考えを改めるにいたっています。

 法曹一元化をすればすべて問題は解決、とはいかないでしょうが、現在の見直し論議は国民にとって歴史上千載一遇のチャンスではないでしょうか。・・少々大げさかもしれませんが。

 今後とも皆さんのご活躍に心から期待しています。



40歳代 女性 学生

 三月移動の季節をすぎ、最近沢山の目を引く判決がでていますね。

 前にも、「あれ?この裁判官??」って、厳しい顔した方がTVに映って信楽鉄道の画期的な判決の時でした。
「あっ、ネットワークの人だ!!」ネットワークでお見かけしたときは、本当に人のよさそうなやさしそうな方だったのに、、、裁判・仕事・判決ですものね、厳しい顔で当たり前。なんか、少しほっとしたような、嬉しいような、ほのぼのしたような、、、(支離滅裂でスミマセン)。

 本題です。
 お忙しいのだと推測いたしますが、HP楽しみにしてますので、マメにマメじゃなくて良いですから)更新してください。



50歳代 女性 法律関係者 石渡 照代

 全国各地からファンクラブへの入会申込みが届いています。
 ほとんどの方が入会への熱い思いが添えられています。その一部を紹介します。

 「この度はファンクラブ通信をご送付いただきありがとうございました。切手にも足りない会費でこのような通信をされてご苦労をおかけします。私は消費者センターで相談員をしており、司法改革東京各界懇談会に参加しています。「裁判官は訴える」を読み、近ごろ感動する心を失っていた私に大きなプレゼントをいただいたように感じました。

 27年前、借家の一方的な値上げに供託し家主から訴えられました。4歳と3歳の子どもを両手に出廷した時、裁判官がひとり言のように「子どもまで連れて女が一人で出てくるとは」とつぶやき、書記官までびっくりしてまじまじ裁判官を見ていたあの時を忘れられずにいます。

 最近、大学で改めて法律を学び学士号を取得、大学院に進むことにいたしました。遅まきではありますが、法律書の中に安らぎを得ています。 その中であのご本は私に勇気を与え、27年前の不信感を拭うに十分な人としての裁判官を感じさせていただきました。ぜひともこの芽をつぶされないように見守り、育てていかなければと思います。」

 うれしいお便りでした。



40歳代 法律関係者 男性

  今日、京都テレビの「司法改革」という番組の再放送を拝見しました。常々そうあってほしい、と考えていた裁判官像の人達に会えてホッとしました。今後ともガンバッテください。応援します。

 話題は裁判官とは、離れますが、どうもおかしいと最近考えていることがあります。重要な司法の一部であるはずなのですが、話題にもなっておりません。
 それは、犯罪の最初の段階で警察官が裁量で処理している事実です。簡単な事例は、交通違反を見逃がすことは論外として、説諭ですませたり、反論すれば検挙したりしていることです。そのような権限が警察官にあるのでしょうか。 事件として立件するか否かを警察官が判断してよいのでしょうか。検察官の処分(起訴、不起訴など)については検察審査会というオンブズマン制度がありますが、警察官の立件するかしないかについては、検察庁への告訴しかないというのは、自分に利益が有る裁量をされた場合あり得ないのではないでしょうか。 余りにも警察(官)の裁量が大きすぎると思います。全てを立件するというのも問題で、「大岡裁き」にもよいことがありましょうが、本来、罰するか否かは裁判官の専権であるはずなのに・・・。 ずっと疑問を感じております。



女性 学生 北海道-村上 久美子

 昨日、札幌弁護士会主催による岡 裁判官の講演に出席しました。今まで、私は裁判官が、法曹界の中でも一番ラクな仕事をしていると思ったので、岡 裁判官より、職務の現況を聞きビックリしました。

 法律を大学で3年勉強している私でさえ、この程度の知識しか持っていないのだから、普段、法律に触れたコトのない人はもっと知らない世界が多いと思います。これからも活動を広げ、人々にもっと法律や法曹の仕事の現況をわかってもらえる機会があれば、民意によって「司法改革」はできると思います。早く、ドイツのように市民に近い、開かれた司法が、日本でも実現できるよう、私も支援させて下さい。



60歳以上 男性 京都府-岡崎知夫

 司法改革について、今日の京都テレビの「ひらかれた司法をめざして」を見て始めて意識しました。とても素晴らしい番組でした。途中で他の番組を見るつもりで見始めましたが、最後まで引きつけられました。の考えはこれからとりまとめるつもりですが、ともかく私たち一人一人が変わっていくことがスタートだと思いました。自分の意見をきちんと述べていくように変わらなければならないということです。皆さんのご活躍を大いに期待します。



女性 学生 福井県-ひと

裁判官の法服が黒いのはなぜですか・・・?



25歳以下 男性 学生 東京都-高野 純史

 私は現在、法律を勉強している大学3年です。裁判官ネットワークについては以前から関心をよせていました。というのも、私の学校には以前裁判官をされていた先生方が多くいらしゃるからです。その意味で間接的にではありますが、裁判官の職業生活についてのいくつかのお話をきいていたのです。やはり、一般の国民にとって裁判所や裁判官という存在は遠いものであると思っています。しかし、現職の方がたのこのような活動を積極的に行っていくことがじめの一歩であると思っています。今後のより活発な活動を期待しています。



女性 学生

 3月11日のシンポジウムで皆さんのお話を聞かせて頂きました。【能面の様に表情無く、黒い法服を身に纏い、血が通わず、ある意味で社会常識と情が無く、エリート意識のみで、、、】等と世間で言われ、そのレッテルで裁判官を一括りで見ている部分がすこしありましたが、シンポジウムでは、裁判官の多くが、<均質化・等質化の金太郎飴>に疑問を持ち、<自分達の常識がはみ出していないか>と、いつも考えておられると、伺いました。“(☆o☆)キラキラと少年のように目を輝かせ、黒い法服の下にチロチロと真っ赤に燃える熱いハート”を垣間見たような気がします。

 懇親会でも、お話が聞きたかったのですが、高額所得者の集いかと、次回は、チョットだけリーズナブルに。

 司法書士の方が、高校始め学校に講演会・学習会に出向いているという記事を何度か読みました。裁判官の方も、是非社会参加(?)的に子供(と言うには大きいかな?)達と話されてはいかがでしょうか?。少年法はじめ、犯罪とは、刑罰の意味とは、現場のお話をされたら少しは、(少年犯罪始め)犯罪の抑止力になりませんでしょうか?!。もっと、司法を身近かに市民の目の高さに降ろして下さい。教育の現場では、【法】の教育は、皆無に近いのです。



女性 京都市北区 立命館大学 調査企画室-増田弘子

 立命館大学では、「21世紀の法曹養成」連続シンポジウムを開催しております。2000年1月30日開催の第1回シンポジウム「司法制度改革を考える〜21世紀日本の法曹像・法曹養成」では、日本裁判官ネットワーク・小林克美氏をはじめ6名の法曹関係者・市民・学生・企業法務担当の方々をパネリストとしてお招きし、貴重なご意見を伺うことができました。



60歳以上 男性 弁護士 大阪-井上二郎

 昨日の東京での「ネットワーク」の集会のニュースをテレビで拝見しました。おそらく最高裁は苦虫を噛みつぶしているでしょうが、市民のためにこのような集会を開かれた「ネットワーク」の熱意と勇気に敬意と賛意を表します。その集会で市民の方々からどのような発言や反応がったのかを是非知りたいのですが、何かの形で発表していただけないでしょうか。 このホームページを維持されておられる裁判官は、お忙しい中大変ご苦労をされているのではないかと思いますが、開かれた司法の実現のために今後とも、どうぞがんばってくださるよう、祈っています。



30歳 男性 岡山

 選挙の紙に「裁判官の罷免」の項目がありますよね。でも、あれ、意味ないと思うんです。その人の名前だけ書いてあって、その人がどういう判断をしたかなんてことは、全くわからないじゃないですか。出来たらそういうところから改革してください。あと、裁判って結構金がかかるような感じがあるんですけど、どのくらい金がかかるんでしょうか?普通の市民感覚での改革ってことであれば、とりあえずこんな感じだと思います。「裁判官は訴える」には、転勤がきついとか色々書いてありましたが、結構高級取りなんですから、普通のサラリーマンとおなじじゃ誰も納得しないと思います。ただ、日本の裁判のシステムが疲労しているのであれば、改革には大賛成です。頑張ってください。



25歳以下 男性 公認会計士 稲葉恵一

 公認会計士です。裁判官は最高裁を仰ぎ見、会計士は大蔵省の鼻息をうかがいます。警察は警察庁、教師は教育庁。どこかおかしい限りです。大騒ぎして、変ったと見えてもなにも変らず。公認会計士とシンポジウムを開いてはいかが。



30歳代 男性 裁判官 沖縄県 青木孝之

 意見の是非についてはあえて触れません。ただ、少数意見が表明の機会を与えられなかったり、少数意見であることそれ自体に由来して何らかの不利益を受けることがあっては、民主主義社会の自殺だと思います。「君の意見には反対だが、君にその意見を言う権利があることについては、命に代えても守るつもりです。」アメリカン・デモクラシーの理想を体現すると言われるこの言葉が思い出されます。私も、裁判所が少数意見を許容し、正論が正論として通る仕事場であるべく、微力ながら尽くしていくつもりです。

 ただ、その一方で、このホームページに残された意見の中には、率直に言って、いささか一面的ないし感情的な意見もあるように思われます。私自身は、裁判官ほど素晴らしい職業はない、自分の天職だと思っています。裁判所ないし裁判官からの情報発信があまりに少ない、それ自体が問題であると理解はしていますが、自分の仕事に静かな誇りを持ち、黙々と仕事をしている裁判官も少なくないことを是非知っていただきたいと思います。



30歳代 女性 神奈川県

 今、著書をせっせと読ませて頂いてます。“びっくり・仰天”する事多いですね。裁判官も人の子だったんだ!!(失礼)と、ページをめくるたび驚きです。法で予断と偏見をもって裁いちゃいけない!!。証拠のみによって、、って、法廷の中に出された供述調書とかだけしか(?)見ちゃ駄目??でも、裁判官も人の子??社会で生きているからには、ニュースや新聞・週刊誌・ワイドショーだって見ちゃうでしょう??疑問!疑問!!疑問!!!です。 いつか、お会いできる機会があると思います。其の時を楽しみにしてます。いろいろお話を聞かせてくださいね。司法改革がんばりましょう!!。



40歳代 男性 東京都

 今後の活動に期待しています。特にドイツの裁判官と比較した特集番組をTVで見てから、日本の裁判官が余りにも人間的である事を否定されていることを感じています。また、それが当たり前という感覚を裁判官自信が持つ事に対して大変な恐怖を感じます。開かれた司法を目指し頑張ってください。



25歳 男性 福岡県 平山賢治

 こんにちは。
 いまこの国の多くの国民は、現在の政治に絶望しております。それはその人が与党に投票しようが、野党に投票しようが、思いは同じなのではないでしょうか。
 国会が国権の最高機関だから法令審査権を遠慮するというのは、私は全く間違った見方であると考えています。

 与党に投票している人も、それなりの矛盾を抱えながら日々苦闘しているというのが実情ではないでしょうか。 こういった世相にあって、裁判所が理屈にかなった、筋の通った判決を出せば、必ずや多くの国民が支持してくれることでしょう。

 現在のわが国にあって、最もかげの薄い司法が、憤然として国民の権利を守りにかかる。これこそが日本国民の権利意識を高め、日本を救う第一の道だと思うのですが。 釈迦に説法だったかな。これからも頑張ってください。いつでもどこでも応援しています。



25歳以下 男性 学生 京都 増田祐一

 大学の講義などにおいても、現在の日本の裁判所の縦社会や、閉鎖性について、問題とされています。このままではいけないと痛切に感じます。 裁判官ネットワークとゆう団体の存在を知って、本当に応援したいと思いました。 私たちが法曹に入るころには、現状が少しでもよいものになっていてほしいと思います。それができていなければ、私も、裁判官ネットワークのような活動をやっていこうと思います。 とにかく、応援しているので頑張ってください。



25歳以下 男性 埼玉県-廿楽章

 司法制度改革で忘れてはならないこと私は学生時代に憲法ゼミで日本の司法制度の運用をなぜ違憲判決が少ないのかという観点から調べたことがあり、書物に当たった結果、そもそも日本の司法においては裁判官に「憲法学的意味の裁判官の独立」は存在しないのではないかと感じました。

 ときおり全国紙でさえも勘違いしているのではないかと感じる言葉として「法治主義」があります。日本国憲法の時代にあってはそれは実質的法治主義すなわち理性的な法により権力を抑制し国民の自由を守る「法の支配」の意味です。その最後の砦が裁判所のはずです。違憲判決を書くことを躊躇させるものがもし良心以外のものであるとしたら・・・。つまり裁判官の独立が「人事の秘密」や「適材適所」などの名目で侵されているのではないかということをいいたいのです。制度改革についての議論は世論としてもなかなか盛んになってきています。いまこそ(最高裁が嫌う)「政治的な」議論も要なときです。日本裁判官ネットワークの皆さんに対しても現職裁判官だからこその実体験に基づいたリアルな意見や提案を期待します。



30歳代 修習生  男性 東京都

 一般国民の目から見て、「一体何を考えているかよく分からない」裁判官が自己主張をし始めたことに注目しています。お忙しい中こういう事もやるというのは大変だと思います。ところで、今後の司法を担う修習生に向けてはどのようなことを訴えようとお考えなのでしょうか?もしかたまっていることがあれば伺いたいと思います。



女性  愛知県 北仲千里

 私は、東海地方で活動するF's(エフズ)というグループのメンバーです。このグループは、性別や結婚などにとらわれず、一人一人が尊重されるような社会を目指して、会報を出したり、企画をしたり、いろいろな行動をしている小規模なグループです。私自身は社会学を大学院で研究しているものです。

 実は、以前大津地裁の安原さんが関わった強姦致傷罪に関する判決について、抗議活動を行うという動きが、私たちの周囲でありました。F'sにも一緒に抗議しよう、という呼びかけがあり、新聞記事や判決文を読み、話し合ったのですが、結果としては抗議を行いませんでした。

 その理由は、(判決を妥当と思ったわけではないのですが)判決を批判する以前に、その判決にいたる理屈についての疑問がたくさん出てきたからです。つまり、一般国民にとって、刑事罰というもの、性犯罪というものがどういう基準で定義され、量刑が決められているのかがそもそもわかりにくいのです。それは、単なる情報公開の問題ではなく、その枠組みが共有されていないのです。そこで、以来F'sでは、「性暴力とはどういう罪なの?罪とは何だと考えているの?」などのことをもっと深く知りたいと思い、本を探して読んだり、講師になってくれそうな専門家を探してきました。しかし、大学の先生も、刑法関係で性暴力を語れる方はこの地域では見つからず、弁護士も適任とは思えず、裁判官はどうアクセスして良いかもわからず、それ以前に裁判官が市民グループの集会に来て報告してくれるとは、とても思えませんでした。したがって、この企画は宙に浮いたままです。

 しかし、後に安原さんご自身がこのネットワークにかかわっていらっしゃることを知り、また、上記の判決への各団体からの抗議に対し、ショックを受けていると書かれていることもわかりました。私たちは、裁判官をつるし上げようと言うのではなくて、裁判官はどんなふうに性暴力を見、刑はどのように決められているかを知りたいのです。「引退した裁判官なら語ってくれるのかも」などという案も出たりしているくらいで、私たちには弁護士や、警察の末端の人、政治家や官僚の姿は見えるけれど、裁判官ほど、近づきにくく、近づき方がわからない存在はいません。



25歳 女性

 今、世論としては、被害者の意見をもっと裁判官に聞いてもらいたいという声が大きいのですが、現職の裁判官の皆さんは、この点についてはどうお考えですか。私は、もっと被害者のことを考えてあげてもよいと思うのですが。



30歳代 男性 上田高裕

 偶然このHPに来たのですが、あーあこれ以前TVでやってたあのHPだとすぐわかりました。(このHPすこし重たいですね。)僕たち庶民からみると、あなたがたは雲の  上の人ですが、裁判官も同じ人間なんですね。ほっとしました。頑張ってください。
 追伸一度でいいから、裁判官の人たちと飲んでみたいと思います。



25歳 女性 学生 福岡県

 私は現在裁判官を目指している司法試験受験生です。@訴訟を当事者の利害を離れたところから客観的に判断できる、A弁護士としてどんなに頑張っても判決は裁判官が出すものである、B憲法76条3項の文言に感動した。との理由から裁判官になるために勉強を始めました。 

 無事裁判官になれた暁には、是非お仲間に入れて頂きたいと思っているのですが、難関を潜り抜けて司法修習生になれても、任官が確定するまでは、周りに合わせた発言をしておいた方が無難なのでしょうか。私としては、はなはだ納得がいきませんが、そこで下手に波風を立てて、任官できなくては元も子もないのかなという気もします。 裁判官になるまでも、なってからも道は険しいようですが、誰もが泣き寝入りせずにすむような透明な社会を目指して、少しでも自分にできることがあればと思います。



40歳代 男性 北海道

 昨日、書店で本を拝見し早速アドレスを調べてやってきました。まだ、本を購入してはおりません。元裁判所書記官です。と言いましても別に懲戒処分にあったわけでも、いわゆる首にされたわけでもありません。自主退職です。設立に際しての基本要素3つを拝見させていただきましたし、皆様のご意見の紹介も読ませていただきました。

 一般職だった私達からは、雲上人と言われていた裁判官が作るホームページですから計り知れないものがあるのでしょうが、最高裁と対決せずに改革なんかできるのでしょうか。意見の対立があったときはすぐに自分の意見を引っ込めるのでしょうか。いわゆる最高裁にタテをついたと転勤させられませんか。最高裁がこのネットワーク設立を了解したとのことですが、ただガス抜きに丁度いいと思われたのではないのですか。何か問題があっても裁判官を辞めて弁護士になればいいと思っておられるのではないのでしょうか。大変失礼な内容でしたが、決して単なる誹謗中傷ではありません。多くの当事者、弁護士、検察官そして裁判官と接してきた者として、以前から日本の裁判制度はおかしいと思っておりましたから、このようなネットワークには賛同いたしますが、その、深い所の、本音でそう考えておられるのかどうかお聞かせできませんでしょうか。



25歳以下 男性 学生 東京都

 私は、現在司法試験の勉強をしている22歳の大学生です。今までは、弁護士になることを目標としていましたが、「裁判官は訴える」を読ませていただき自分も12人の裁判官の方のように、裁判官として信念を持ち、活躍していきたいと思うようになりました。いま、まさに司法は大きく変わろうとしている時だということを認識しました。是非、この機を逃さないようにネットワークの方にはがんばっていただきたいです。私も、なんとか早く試験に合格して法曹界に入ろうと思います。様々な問題、圧力があると思いますが、これからも頑張てください。応援しています。



25歳以下 女性 学生 兵庫県

 はじめまして。司法試験受験生です。まだ、始めたばかりですが。私は判事を身近に見て育ちました。やはり、一般的には裁判官というものは、どこか遠い山の中にこもって修行している人みたいに見えるものなのでしょうか? 私はドイツ語が大好きで、ぜひ、ドイツで法律を勉強したいと思っています。手続法に興味があるので、その辺の勉強が出来たらうれしいなあ、なんて将来の希望です。裁判官が社会とさらに関わるべく動き出すことは、とても面白いことだと思います。いやあ、早く仲間に入りたいですね。



女性 大阪府 手嶋 京子

 HPもかなりのアクセス数をカウントしているので驚きました。やはり、マスコミの影響力はすごいですね。余談ですが、私の主人の家族が、「裁判官の娘と自分の息子が結婚したせいか、最近はやたら裁判官や裁判のニュースが耳に入ってくる」と話していました。マスコミの力もさることながら、やはり人間同士の付きいから生まれる興味や関心は、それ以上なのかもしれません。本にもありましたが、いろんな会や、学校の行事に普通に参加して、そこで「市民」同士の交流があれば、もっといろんな方が普通の裁判官に興味を持っていただけるのになあ・・・と、普通の裁判官の父を持つ娘は思いました。



女性 学生 山口県-安養寺 梓

 昨年、このHPを見付けて、それ以来何度か来ています。3月11日、シンポジウムがあるそうで…行ってみたいですが…きっと都内であるのでしょう。3月11日は私の誕生日なので行きたいのですが。19歳になります!10代最後なので…何かデカイ事でもしてみようかな(笑)それでは、また来ます!



40歳代 男性 東京学芸大学附属大泉中学校 成田喜一郎

 日本裁判官ネットワーク御中わたくしは、中学校で社会科教諭をしている者です。の度、新聞報道(朝日)で日本裁判官ネットワークの設立を知りました。昨日、『裁判官は訴える』を購入し、読み始めております。わたくし事で恐縮ですが、選択社会の授業で「犯罪学ゼミ」(17名)を担当しており、東京地裁へ裁判傍聴にいったり、その記録をもとに模擬裁判をおこなったり、中学生とともに犯罪や裁判を通して「生きる意味と社会的な正義」を探る試みをしています。今後、インターネットを通じて中学生がいろいろと質問などをすることも増えてくるかと思いますが、そのときは、よろしくお願いいたします。



東京学芸大学教育学部附属大泉中学校 社会科教諭

 追伸 裁判傍聴は数年前から続けておりますが、裁判終了後その法廷で裁判官と中学生たちとの質疑応答の時間を経験することのできました。そのときの教え子のひとりが昨年暮れにやってきて、今、大学で法学を学びながら、裁判官をめざしているという話をしてくれました。



60歳以上 女性 茨城県

 裁判官の姿が見えて大変喜ばしくご活躍を期待いたします。 あまりのご熱心さに裁判官ご自身のご健康はどう管理していらっしゃいますか.裁判所はどのように裁判官の健康を組織的に守っているのでしょうか.社会のために大切な財産として裁判官の健康を守られますように祈ってやみません。 たどたどしいメールで申し訳ありません。 ご健康をお祈りいたします



30歳代 男性 東京-大村京佑

 はじめまして、京都地裁の裁判官が「タクシー運転手には雲助が見受けられる」と判決文に書き込み、処分を受けました。また、罷免要求なども出されているようです。しかし、東京新聞12/25夕刊は「被害者と共に泣いた裁判官」と、好意的な記事を掲げており、私も勇気ある発言だと思っています。何かしたいなと思い、京都地裁に電話して「他に裁判官を支援している人はいますか」と聞いたところ、「そう言った質問には答えられない」との回答を受けました。そちらの著作も読んでおらず、恐縮ですが、雲助事件に関してはどのような見解をもたれておりますか? 裁判官を支援するにはどんな方法があるでしょう? 教えて下さるとありがたいのですが。



40歳代 男性 神奈川県 守部宣長

 サラリーマンですが、明日にでも少年法の改正を実現して頂きたい。京都の小学生殺人事件です。確証はないでしょうが、その他の犯罪や、また、これらの事件が、密集して生活せざるを得ない現代の子供達の環境に勿論、悪い影響をあたえている為今後、少年そして、もう一つはお金のない老人犯罪が増えてくると思います。親としては、少年法を一日も早く改正して頂きたい。色々、難問はあると思いますが、私達の世界も問答無用。結果を出して来い。の世界。がプロです。今のままで良い。と思っている人は殆どいないのではないのでしょうか。それとも足を動かしリサーチして「いや、います」とでもいう結果が示されれば別ですが.....。民主主義ですから。とにかく頑張ってください。


40歳代 男性 弁護士 宮崎県弁護士会

 ネットワークの立ち上げについては、心より敬意を表しております。私ども在野の人間が発言するのですら、リアクションを多少は意識するのであり、ましてや裁判官の皆さんが本来「当たり前」とはいえ、このように態度表明されることは尊敬以外に言葉が見つかりません。10月の日弁連人権大会への安原裁判官のメッセージをその場で聞き、大げさに聞こえるかも知れませんが歴史の転換点に立ち会えたという喜びを感じました。私も、在野におる者として恥じない生き方をしたいと考えています。また、お便りします。